おつかれさまです、ユリリカ探偵社
そしてまたも女性の声だったが、凛々花は咄嗟に危険を察知した。舌の根が一瞬にして乾くような緊張感に襲われる。
凛々花は声をかけてきた人物の正体を確かめようと、相手の顔を見据えた。怯んでは付け入られるかもしれない、と警戒心も露わに。
「あ……」
だが、相手の顔を見て、少し拍子抜けがした。
はて、どこかで見たことがあるような……。
「あれ? 忘れちゃった?」
相手の女性は凛々花の表情を見て、そんな言葉をかけてくる。
「……ああ、あのときの……」
しばらく考えてから、岡浦という名がようやく凛々花の頭に思い浮かんだ。そう、兵頭がし残した採用調査を凛々花が勝手にしてしまった、あの調査対象の人物である
「ほら、以前、私達の撮影会に来たでしょ? で、お姉さんが飛び入りで参加してきて、その後はなんか私達の会を犯罪者と勘違いしてたじゃん」
「ああ、あのときはどうも」
凛々花はそのときのことを思い出してばつが悪そうだ。
「はは、思い出した?」
女は立ち止まった凛々花に、突然寄り添ってきた。
「ねえ、あなた今は何やってるの? お、今日のファッションはこの前と違って随分可愛らしいね」
と、上から下まで凛々花の体に視線を這わせる。
「あは、そうですか? あたしも少しは成長するんですよ」
褒められたからか、つい凛々花は気安く応じた。
「うん、いや、なかなかいいよ。あ、そうだ。実は今日これからまた撮影会があるんだよ。どう? 参加しない?」
「いえ、今日はもう帰ろうと思いますので」
そう言って、凛々花がその場を立ち去ろうとしたときだった。
「い、痛い!」
凛々花は腕に痛みを感じた。
見れば、凛々花の白く細い腕を岡浦の思いもよらずごつい手が鷲掴みにしている。柔らかい肉に食い込む岡浦の指に、凛々花は歯を食いしばり、絞るような悲鳴を上げていた。
「まあ、いいじゃない。少しくらい付き合ってよ」
そのまま岡浦は凛々花を強引に連れて行こうとする。
見覚えのある風景?
周りをよく見れば、この場所は凛々花が採用調査時に岡浦のあとをつけてたどり着いたビルの前だ。
マズいと思った瞬間にはもう地下室への階段へと連れ込まれた。あまりの突然さに、凛々花の表情は凍りつく。いや、表情だけでなく、声も、体も凍り付いてしまったようで、自分の意志のままに動かせなくなっていた。
「この前は楽しかったよ」
言葉を発せない凛々花に、岡浦は話しかけ続ける。
「これからお楽しみというところで、あなたのお姉さんに邪魔されてね。あのときはびっくりしたよ。もっと虐めてやろうかと思ってた矢先だったからね。実は我々はタレントとかで有名になろうとしている少女達を虐めてやる趣味の会なんだよ。可愛いくない子だったら、その場でけなして放り出すし、虐め甲斐があるなと思ったら、汚い仕事をさせたり、可愛い子だったら、勿論我々が存分に楽しむんだよ。写真を撮ったり、ビデオを撮ったり、そのほか、あなたが想像できないようないろいろなことをね。世の中には、そういう悪い人が沢山いるのを知らないで、奔放に遊びまわっている女の子が実に多い。そういう子に、本当の社会、裏の裏の、とても汚い社会を教えてあげる、とっても親切な団体なんだよ。ウフフ」
女の気色悪い笑い声とその発言に怒りを覚えたのか、凛々花は反論するかのようにようやく口を開いた。
「じゃ、あ、この前は……や、やっぱりそのつもりで撮影会を開いたのね。あのときの泣いていた女の子はどうしたの?」
「ああ、あの子は、あのときも説明したように、私たちのお眼鏡に叶わなくて、不合格を出したから泣いてただけだよ。まあ、ちょっときつい言葉も言ったけどね。でも、基本的におとなしい子にはそんなにこちらも強く言わない。味わい深い反応が返ってこないから詰まらないしね。で、あなたの場合は、ファッションセンスは最悪だったけど、容姿が悪くなかったからどうしようかと迷っていたときに、お姉さんに邪魔されてしまって残念だったよ。あなたに図星の発言されたうえに、突然のお姉さんの想定外の出来事だったんで、こりゃどうしようとこちらも戸惑っていたら、お二人にさっさと帰られちゃってね」
岡浦は卑しい笑みを浮かべる。
「だから、今日は逃がさないよ。この前の続きをたっぷり楽しもうね。ウフフフフ、ヒヒ」
ここから逃げたい。一刻も早くこの場から去りたいのに、脚がうまく動いてくれない。
凛々花は恐怖に固まり、無理矢理に降ろされる階段を、ミニスカートをひるがえしながらくだっていった。
後悔だけが沸き起こる。
こんなことしなければよかった。
触れてはいけない社会の一面に首を突っ込んでしまったのかもしれない。
無理に抵抗したら、今まで傷一つつけまいとしたこの顔と体に傷をつけられてしまうかもしれない。
それなら彼女らの言葉に素直に従ったほうがいいのだろうか。
「ほら、ここ入ってっ!」
岡浦が汚らわしいドアをあけると、凛々花を振り回すようにして奥に放り込んだ。凛々花はバランスを崩し、思わず膝をつく。
しかし相手は女だし、そのうち隙を見て逃げられるかもしれない。
凛々花は微かに希望を持った。
「おーい、今日は面白いプレゼントを持ってきたよー!」
奥の暗い空間に向かって岡浦が声をかける。すると、なんだなんだ、と複数の男の声が響いてきた。
果たして二人の男が奥から出てきた。彼らに向かって、岡浦が説明し終えると、
「おお、そうか〜」
なかのひとりが嬉しそうに頷き、凛々花の腕を取って立ち上がらせ、奥へと引き摺り始めた。
胸がはだける。
この前は女性しかいなかったが、それはオーディション参加者を安心させるためだったなのか、と凛々花は思う。
男達のイヤらしい笑い声が耳に入り、凛々花は身を竦めた。
「どうなっちゃうんだろ、あたし。やっぱり分不相応なことしちゃったのかな。お姉ちゃんの言葉を守らなかった罰なのかな……」
凛々花は小さく呟いていた。怖さを紛らわすためなのか、自然と口から出てくる。またそれは、気が遠くなりかけているのを防ぐための、自己防衛なのかもしれなかった。
実際、凛々花は気が遠くなりかけていた。薄い意識のなか、すべてのことが終わって、過ぎ去ってしまって欲しいという願望も、一方では持っているのかもしれない……。
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何かが起きた。
その場にいる誰もが、何かただならぬことが起こったと感じた。
暗闇のなかに突如射した光と、地下室に反響する轟音とで、それは一目瞭然だった。
皆が一斉に光の射すもとを辿る。
そこには、歪んで無理矢理に開かれたドア。
「お前らっ! なにやってるんだっ!」
聞き覚えのある声?
そう、以前は毎日のように聞いていた。
でも、ここしばらく聞いていなかった。
その声の持ち主は兵頭進五郎。
兵頭は男二人に抑えつけられている凛々花を認めると大声で威嚇した。
「彼女を放せっ!」
「なんだお前!」
男の一人が声を上げ、もう一人とともに突如兵頭に襲い掛かった。
作品名:おつかれさまです、ユリリカ探偵社 作家名:新川 L