おつかれさまです、ユリリカ探偵社
そうですね、しか返せない自分に気付いたことが恥ずかしくて、結局何も言えない。
何も気が効いた言葉も言えないままに、百合とともに席を立っていた。
祖母が玄関先まで見送ってくれたとき、百合が祖母に向き直る。
「離れていても家族は家族ですよ。優子さんも家族のことは気にしている筈です。ご両親の気持ちが変わってきていることを知ったら、優子さんも弟さんも休日には帰省して、再び楽しい団欒が見られると思いますよ」
「うちの息子も頑固だからわからないけど、そう期待してるよ」
爽やかな青空とは対照的に、姉妹は曇った顔でその家を後にした。
他人の家族関係に立ち入りはできない。
ガラスよりも強固な見えない壁に立ちはだかれたようだ。
麦畑へ差し掛かると、凛々花が一度優子の家を振り返ってから口を開いた。
「お姉ちゃん、あんな気休め言って」
「気休めじゃないわよ。だって、一家団欒がなくなって悲しそうなお婆ちゃんの顔見てたら何か言って元気付けたくなって……実際みんなが変なことに拘らなければ丸く収まるんじゃない?」
「変なことだから拘るんだよ。まったく理想論だね。現実的じゃないよ」
「凛ちゃんだって……」
百合は一呼吸置いて躊躇う。
『お母さんに理想の姿を押し付けているのは理想論じゃないの?』
と言いかけてやめていた。妹を言い負かす気持ちになれないのだった。
「何?」
身構える凛々花。
「うんうん、何でもない」
そんな百合を無視し、凛々花は突然にゃははと笑顔になった。
「それよりいいこと聞いちゃったじゃん、ゲイだよゲイ。ここまでゲイが憎いなら、お姉ちゃんも一度言ったけど、谷田部さんをゲイにしちゃえばいいんだよ。そうしたら優子さんもすぐ諦めるね」
ぐっと握りこぶしを作る。
「まあ、それを確認できただけでも一応来た甲斐があったかもね。確かに万一BL好きだったら変な展開になったかもしれないし…でもどういうふうに谷田部くんをゲイに?」
「あ、それはあたしが後で考えるよ。ほら急ごう」
凛々花が顎で指した遠くにバスが見えたので、二人は走り始めた。
§
「凛ちゃーん、ごはんできたって言ってるでしょー。いつまで部屋にいるのー?」
階段の下から凛々花の部屋に向かって声をあげている百合。
「もう先に食べちゃうから。あれデジャヴュ? また変なこと考えているんじゃないかしら」
百合はなかなか出てこない凛々花を待ちきれず箸を取った。すると、がたんという音と共に階段を下りてくる音が聞こえてくる。そして、開かれたドアの先に凛々花が嬉しげな顔で立ち、百合に一枚の紙を掲げて見せた。
「じゃーん。ほら、作戦考えちゃった」
「何の?」
「決まってるでしょ。谷田部さんのゲイ化計画よ。ぐふふ」
百合は突き出された紙を手にとり眼を通し始めた。
「なになに?……えーと、題が、『華麗なるハードゲイへの道程』って。ちょっと何書いてるのよ」
百合が頬を染めると、凛々花が、
「何が?」
と不思議そうな顔で返した。
「い、いや、何でもないけど……ってこういうハード系のBLが好きだったの?」
「ああ、えっと、好きじゃなかったけど、考えているうちに面白くなってきたのは否定しない」
「凛ちゃん自分で考えるって言ったの、単に趣味でやりたかったからなのね」
百合の勘繰りに、凛々花は強く手を振る。
「それだけじゃないよ! あのアイドル発掘サークルの件でお姉ちゃんにお世話になったから……まあ、と、とにかく、明日でいいから谷田部さんにこれでいいかどうか訊いてきてよ!」
気恥ずかしそうにしている凛々花に、百合は少し嬉しそうに応じる。
「はいはい。ま、いいわ……はー、でもこれは尋ねづらいかも……」
再び紙に眼を通しながら百合はがっくりと肩を落としていた。
§
「えーやだよっ、俺!」
高等部の教室内に谷田部の素っ頓狂な叫びが響き渡った。
百合が凛々花の作戦を説明している最中に、谷田部が堪え切れず拒否したのだ。
「うーん、でも凛ちゃんがお願いできないかって言ってるのよ。どう? もう少し考えてみて」
若干こうなる予想はしていたものの、百合も困り気味である。
「だ、か、ら、何で俺がこんな格好しなくちゃいけないの? 今まで普通の格好していた普通の高校生が、明日から革のホットパンツを穿いてバイクに跨って登校するんだよ? つか、この棘がいっぱい付いているジェットヘルメットも凄いけど、まあそれはなくもないデザインだからいいとして、これボールギャグでしょ?」
「ごめん、わたしよく知らなくて」
「そか……あ、いやいやボールギャグにデザインされたマスクって何? 涎たらしまくりでバイク乗って登校したくないよ俺!」
「……ごめんね、全部妹が考えたものなんだ。やっぱり無理かな? 妹にお願いされているからできればやって欲しいんだけど」
「だ、か、ら、無理だっつーの」
全くとりつく島のない谷田部に、とりまきのひばりも百合に加担し始めた。
「なんで駄目なのよ。やってあげなさいよ。男なんだから寒くたってホットパンツで登校ぐらいできるでしょ」
「谷田部クンも少しは百合さんのこと、あと自分のことも考えて少しは協力してあげて。あ、あのほら、バイクの乗り方とかもここに書いてあるのならできるんじゃない?」
聞いていた梢も乗り出し、ストーカーから谷田部を守ろうと必死だ。彼女にとっては、谷田部の羞恥より優先されるべき事項なのだから。
「ふむ、どれどれ……脇をセクシーに締め、腕を曲げず伸ばす。そしてお尻を突き出し、背中を丸めず可愛い猫が伸びをするようにそらして、ってーー何でバリバリのスポーツバイクにこんな外国のセクシーCMみたいなスタイルで乗らなきゃいけないのよ!」
「やっぱり駄目?」
「駄目っていうか、俺の体が非対応。ヨガ教室にでも行って体やわらかくしないとこんな格好で乗れるわけない」
「やっぱり無理よね」
百合が淡々とこぼす。
「すまんな。凛ちゃんのせっかくの計画だからやってあげたいのは山々なんだが、お尻突き出してバイク操る自信ないし、ホットパンツも転んだら危険だし、ボールギャグも運転に集中できない。どれも無理だわ。そう伝えてくれ」
「ええ、話しておくわ」
元々粘り強く説得するつもりはないので、百合は彼の意見を素直に聞くのみだった。
百合は帰宅後今日の顛末を話したが、凛々花は意外と落ち着いて聞いていた。
「まあある程度は予想していたよ〜」
「え?」
「うまくいけば谷田部さんのハードゲイスタイル見られるかなと思ったけど……実はプランBも考えてたの。ただそっちはもう一人のキャストが要るから、それを誰にするかが問題で」
頭を悩ませうんうんと唸りながらも楽しそうな凛々花。
百合はそんな妹を見ながら、
「敵わないなぁ〜」
と呆れ気味に一言洩らしていた。
第六章 策略と錯覚
凛々花は翌日の学校でも考え事をしていた。
休み時間中も片肘をついて難しげな顔をしている。
なかなか良いアイデアが思い浮かばないのか、顎を突き出して自然見下ろすようになった鋭い眼つきで、時折周囲に眼を走らせている。
何かを企んでいる?
作品名:おつかれさまです、ユリリカ探偵社 作家名:新川 L