My Funny Valentine
わたしにも、わたしの中で響いている歌があった。その歌をわたしも、自分の声で歌いたいと思った。
お父さんがくれたあのレコードたちは、みんな自由だった。いくつもの気持ちたちが集まって、それぞれの歌い方で、会話していた。
彼らはわたしに教えてくれた。自分のリズムで、自分の歌い方で歌えばいい。
そして、ステージの彼女は、わたしに勇気をくれた。臆病だったわたしに、自分の歌を歌うために、わたし自身の歌を響かせるために他人の前に出て行く勇気をくれた。留まり続けていたわたしの周りの空気が、彼女の歌を聞いた日から、風が吹いて流れ出した気がした。
6 カノ
高一の冬休み前エッちゃんが思い出したようにナオミに、男を紹介してくれる約束はどうなったのかと言い出した。クリスマスが近づくと人並みに焦り出すエッちゃんは、ナオミと対照的だった。
「クリスマスに彼氏がいないと寂しい。」エッちゃんはよくそういうことを平気で言った。カノはエッちゃんのように素直にそう言うのはかっこ悪い気がして言えなかった。
ナオミはそういう事は絶対言わなかった。カノは、ナオミが寂しいなんて思わない気がしたし、思っても絶対言わない気がした。カノはエッちゃんみたいになりたいと思わなかったが、そんなエッちゃんをナオミみたいにバカにもしなかった。
ナオミの友達の年齢層は広く、近所の中学生から友達と呼べるかわからないサラリーマンまでいた。以前カノとエッちゃんはナオミに誘われて知らないおっさんとカラオケボックスに行ったことがあった。ナオミの父親の知り合いだというそのおっさんはおっさんにしてはおしゃれな感じだったが絶対にナオミの父親の知り合いではないとカノは思った。そのおっさんはエッちゃんが気に入ったようで聞いたこともない昔の曲を一緒にデュエットしてご機嫌で帰っていった。そのあと羽振りが良かったナオミにエッちゃんは気づかなかったのだろうかとカノは思ったが、たとえ知っていたとしてもエッちゃんは何も言わないのかもしれなかった。
外の世界に出たがるナオミと違ってエッちゃんは自分の周りの、自分が今いる環境を楽しもうとする。自分が今持っているもので遊ぼうとする、無理な背伸びをしないエッちゃんには同い年の友達ばかりで、ほとんどが学校の友達だった。
カノは高校になってから地元の友達と遊ばなくなってきていた。学校が違うと遊ぶ場所も違っていき、今まで楽しかったこともつまらなくなってきたりして、仲良しだった地元の友達たちとも無理せず自然に疎遠になっていった。高校に入りバンドをやり始め親しい仲間も出来たが、中学の頃よりも交友関係は狭くなったような気もしていた。
「じゃあ、」と言ったナオミはクリスマスの一週間前、カノとエッちゃんに同い年の男を紹介すると言った。ナオミは文化祭の時のPAの兄ちゃんといつの間にかメールを交換していたらしく、カノたちに言わずにその兄ちゃんのライブにも行っていた。ナオミが紹介するというのはそのライブハウスで知り合いになったロック少年たちだった。
エッちゃんはその男の子たちについてナオミにいろいろ質問をした。何てわたしたち2人のことを言ってあるの?チャラい感じじゃないの?わたしあんまり話せないけど大丈夫?その子たち本当に彼女いないの? 当日どんな感じの服でいったらいいの? あまりにもエッちゃんの質問が多いので、カノは自分の聞きたいことが聞けなくなってしまった。
カノはエッちゃんとは違うことを聞きたかった。そいつらはどんな音楽を聞いているのか。バンドをやっていたり、そのバンドでオリジナルの曲をやっているのか?
ナオミの話ではそいつらはライブハウスに月一で出演していて、そいつらのライブが吉祥寺であるというので3人はそのライブを見に行くことにした。
ナオミには言っていなかったが、カノはライブハウスに行くのが初めてだった。
そのライブハウスは吉祥寺の公園口のバス通りの1階がコンビニのビルの地下にあった。「Live&Spotターニング」と今夜の出演バンドたちの名前が書いてある立て看板の横を地下に降りていくと、狭い階段の壁には沢山のライブ告知のチラシやバンドメンバー募集の張り紙が何枚も重ねて貼ってあり、金網で出来たドア付近には、鋲を打った革ジャンを着たモヒカンの痩せた男と、唇にピアスをいくつもしている顔色の白い女が座り込んでいて、男はカップラーメンを、女はスーパーで買ったような刺身を食べていて、雰囲気はあまりよくなかった。
ナオミが「この下だよー。」と言って先に階段を下りていく。カノとエッちゃんはしゃがみ込んだままこちらを見上げるその2人のほうを見ないようにしながら暗い地下へ続く階段を、手を取り合っておそるおそる降りていった。
金属製の重たいドアを力を込めて引っぱると、ギターの騒音がカノの耳を貫いた。ライブハウスの中はステージに向けられた派手な色の照明の他は真っ暗に近く、50人ほどの客が曲に合わせて跳ね、カノとエッちゃんが座った破れたソファーの隣では甘い匂いがする紙巻きのタバコのようなものを吸っている目の焦点が合ってない男がカノを指差して「スゲエ」と言って誰もいない横の席に同意を求めた。
制服のままで来なくてよかったとカノは思った。いかにも場違いな気がした。このまま帰ってしまいたかった。カノの横にぴったりくっついているエッちゃんも同じ気持ちらしく、カノの腕を強く握りしめるエッちゃんの手が痛かった。
ナオミの友達の「コケコッコー」という名のそのバンドはパンクバンドだった。そこのライブハウスには楽屋がないらしく、カノが来た時に演奏していたバンドが終わり照明が少し明るくなると、黒い髪をスプレーで立てた3人男の子たちが客席からステージに直接上がっていきセッティングを始めた。
彼らの演奏は下手だった。下手だったがオリジナルをやっていた。ものすごい単純な曲で、バカみたいな歌詞を歌っていた。カノたちよりも下手だったが、下手なのが自分たちでわからないかのように、下手なのが当たり前かのように、自分たちで作った曲をやっていた。こんなに下手ならカノは恥ずかしくて人前では出来ないと思った。彼らの中には恥ずかしいという感情がないかのようだった。
彼らが演奏中カノの横にやってきたナオミがステージを顎で差し「ヘタでしょ。」と言った。リズム音痴なドラムをもどかしそうに見ていたエッちゃんがナオミを見て控えめに頷いたが、カノは頷かなかった。
確かに下手だったけど、彼らはカノが出来ないことをやっていた。こんなに下手なのにどうして曲が作れるのか不思議だった。彼らの曲は基本的な3コードしか使ってない単純な曲だったが、誰かの真似ではなかった。カノたちのバンドのように、誰かのコピーではなかった。
カノは軽音楽部の先輩たちの作るオリジナルの曲が嫌いだった。ケータイ小説から持ってきたような恋愛の歌詞とヒット曲から集めてきたみたいなメロディーを詰め込んだような曲を作る先輩たちをかっこ悪いと思って心からバカにしていた。そして、そんな先輩たちから文化祭の演奏のことを悪く言われ、心底怒っていた。ナオミもエッちゃんもそれほど気にしてないみたいだったが、カノはそのことを考えるといつでも腹が立てられた。
作品名:My Funny Valentine 作家名:MF