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My Funny Valentine

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夏休みに今まで以上に仲が良くなったはずの3人も、バンド名を決めようということになると意見が合わなかった。ナオミの考えたバンド名はどれも暴走族みたいだった。エッちゃんのはかわいかったが、いかにも女の子っぽくてカノの好みと違った。フツーじゃない感じのバンド名がいいと思うカノには以前から考えていたものがあった。3人だけのバンドは軽音でも自分たちだけだったし、目を引く名前がいいと考えた「ミツドモエ」というバンド名をカノはかわいいと思ったが、ナオミは「どこが?」、エッちゃんは「わからない。」と言い、結局決まらなく保留になったが、文化祭のエントリーの時にカノが勝手にミツドモエで書き込んだ。後で2人に文句を言われたが、文化祭の時だけ、と言って許してもらった。それからなんとなくそのバンド名になった。

文化祭の前日、カノは眠れなかった。その日リハーサルで初めて体育館のステージに立つと、見慣れた体育館がいつもより広く思えた。
ステージに向けられた沢山のパイプ椅子に顧問の先生や軽音の部員たちが座って順番を待っていた。もし明日、あのパイプ椅子にたくさんの生徒が座ったらと思うとアガってきたカノは、平気そうな他の2人にわからないように足を震わせた。
PAを通してやるのも初めてだった。事前に顧問から音響についての説明があったが、結局はPAの人の言う事を聞けというものだった。外の業者に頼むからどんな人が来るのかただでさえ不安なのに、くれぐれも余計な事をしないようにと顧問に釘を刺されるとカノは余計不安になったが、その日来たのは自分もバンドをやっていると言う愛想のいい兄ちゃんで、女子校に初めて来た、とニヤニヤしていた。
ちゃんとPAを通してもらうと地下食堂で適当につないで出していた音よりもちゃんと聞こえた。人見知りしないナオミがその兄ちゃんと親しくなり、女子高生なのに渋いロックを好むカノたちを面白がってくれたその兄ちゃんは、カノがアンプの調節がわからないと言うとセッティングの仕方を教えてくれて、もっと力を抜いてカッティングしたほうがいいよ、とアドバイスしてくれた。

当日の朝、3人は軽音の部室の前に集まった。ナオミはテンションが高く、いつも以上に饒舌だった。エッちゃんは「きんちょうするー。」と言いながら朝ご飯に持ってきたパンを食べていた。
緊張でまったく眠れなかったカノは気持ちが悪くてなにも食べたくなかった。口の中が乾いて水ばかり飲んだ。当日に地下食堂で最後の練習をしようと思っていたが、部室では先輩たちがお祭り気分でステージの衣装に着替えたりメイクをしたりしていて、練習をする雰囲気ではなかった。制服のまま出るつもりのカノたちは楽器だけ置いて外に出ると、なんだあれ、かっこわるい、と悪態をついた。エッちゃんが自分のクラスの模擬店の手伝いにいってしまうと残された2人は初めての文化祭を見て回ったが、カノは出番の時間が近づくにつれてそわそわして何を見ているのかわからなかった。

ステージの袖から前のバンドの演奏を見ていたカノは思っていた以上に緊張してきていた。歌詞を忘れたらどうしよう、出だしのキーを間違えるかもしれない、考え出すと失敗することしか思い浮かばなくなり、今さら不安だと2人に言う事も出来ないカノが手にかいた汗を何度もスカートで拭っているとナオミが「顔が青いんですけど」と意地悪く笑った。何か言い返そうとしたカノの乾いた喉にタンが絡まった。いつも絶妙なタイミングでヤなことを言うナオミをカノがにらむと、ナオミは今まで見た事もない真面目な顔で「引っ叩いてやろうか?」とカノに言った。
少し躊躇してから「うん」と言った途端、カノは叩かれた。横で見ていたエッちゃんは何も言わず、心配そうな顔で自分が叩かれたように頬を押さえた。
ステージから前のバンドが終わった拍手が聞こえた。カノはありがとうとナオミに言うかわりに床に唾を吐いて、ストラップを掛けギターを構えた。ナオミのビンタは痛かっただけで緊張はほぐれなかったけど、めずらしく心配してくれたナオミの気持ちがうれしかった。
3人がステージに出て行く。マイクスタンドの前に立ってもカノの頬はまだヒリヒリしていた。客は結構入っていたがほとんどがカノたちの後の先輩バンドの客だった。文化祭に出る一年生バンドはカノたちだけだった。
モニターからナオミがベースを鳴らす音が聞こえた。カノもエフェクターにジャックを差し込み、PAの兄ちゃんが教えてくれた通りにセッティングをした。
エッちゃんが鳴らすバスドラのキック音がカノのからっぽの胃袋にひびく。ナオミが自分の一番好きな曲のリフを軽く弾いた。ナオミは最後にやるその曲が楽しみなんだろうとカノは思った。エッちゃんのスネアのロールがいつもよりかっこよく聞こえた。エッちゃんのドラムは先輩バンドのドラムよりも上手いことが、その日改めてわかった。この時ほど2人を頼もしく感じたことはなかった。
ギターを鳴らしてPAのほうを見ると、兄ちゃんが笑顔で頷く。この日のためにずっと練習してきた。今までの成果を見せる時だった。カノは後ろを向いて声を出し、最初の曲のキーを確かめる。カノは一番好きな曲を最初に持ってきた。歌とギターで始まる曲だった。ギターを始めた頃、この曲を弾けるようになるのが最初の目標だった。ナオミとエッちゃんは音を出すのを止め、カノが弾き出すのを待っていた。
カノが2人を見て息を吸い込むと、夏の地下食堂の匂いがした。カノはその匂いを鼻の一番奥まで吸い込むと、それを吐き出すように歌い出し、思い切りギターを鳴らした。

5 ヨシコさん

出なくなっていたわたしの吃音は、新しい家族がこの家に来てから又、出始めてきていた。あの人たちとしゃべると、緊張した。
新しい母親は明るい人だった。その息子も同じだった。わたしが一番苦手な、つまらないことを楽しそうに大声でしゃべり、それに笑わないひとをつまらないやつだと決めつける、クラスにひとりはいるタイプだった。
その2人のおかげで突然、家の中が明るくなった。その明るさは、家の隅々まで照らして、わたしが光を当てて欲しくない部分にまで無理矢理光を当てた。
新しい母親はやさしい人だった。彼女はわたしが言葉につまり出すと、「焦らなくていいのよ。」「落ち着いて。」と言い心配そうな顔をした。普通の話をしているのに、別にかわいそうな話をしているわけではないのに、気の毒そうな顔でわたしを見た。それが彼女のやさしさだった。彼女はわたしの話し方を聞いているだけで、話している内容は聞いてはいなかった。
新しい兄は親切な人だった。彼はわたしが話し終わるのを待たない。わたしが言葉につまると、つまった言葉の先にある、わたしの言いたいことを勝手に考えて、わたしより先に言った。それが彼のやさしさだった。わたしが言おうとしていること、それをわたしより先に言ってあげること、それが彼の考える親切だった。
作品名:My Funny Valentine 作家名:MF