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My Funny Valentine

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レストランで3人で会った。きれいな人だった。緊張して笑えないわたしを気遣ってくれた。でも、お父さんとお似合いだとは思わなかった。彼女は写真の中のお母さんとまったく違うタイプだった。
その日の帰り道、再婚したいと思っている、とお父さんは言った。お前はどう思う、嫌なら嫌と言っていいから、正直に言っていいんだからと言われて、出張が多くて疲れきって家に帰ってくる、夜遅く帰ってきてひとりリビングでテレビを見ているお父さんにわたしは、本当は嫌なのに、嫌とは言えなかった。
わたしは寂しくても平気だと思ってたけど、お父さんには平気じゃなかったのかもしれない。はじめてお父さんとの距離を感じた。
わたしが家を掃除している間、時間を忘れてレコードを聞いている間に、お父さんは新しい恋人と会っていた。2人だけの家族は、違う時間を過ごしていた。
この家にはお父さんとふたりだけでいいと思っていたのは、ずっとこのままでいいと思っていたのは、わたしだけみたいだった。

新しい母親には子供がいた。わたしより2歳年上の男の子だった。突然、家族が2人増えた。
新しく出来た家庭は順調に見えた。周りの家からはまるで、以前からずっと家族だったみたいに見えたかもしれない。あとは、わたしが母をお母さんと呼べば、兄をお兄さんを呼べば、お父さんの作った新しい家族は完成だった。
でもわたしは、その新しい母を、お母さんと呼ばなかった。
その時わたしは、お父さんが好きになったその女の人を家族として受け入れられるほどには大人になっていたが、そのお父さんの恋人を、お母さん、と呼べるほど大人でもなかった。
いつかは、お母さん、と呼ばれると思っているあの人のことをわたしは名前で呼び続けた。新しい母をいつまでも名前で、さんづけで呼ぶわたしにお父さんは何も言わなかった。お父さんはわたしが何も考えずに、彼女をお母さんと呼ぶと思っていたのだろうか。わたしが再婚に反対はしなかったのは、お父さんの為だ。お父さんがさびしいと思うから、お父さんの恋人がこの家に入るのを認めた。でも、そのお父さんの彼女をお母さんだとは呼びたくなかった。お父さんの為に、彼女を、お母さんと呼んでもいい、いいけど、もし、そう呼んでしまったら、今はわたしの机の上にある、本当の家族の写真の中のお母さんが悲しい顔をしそうで、呼べなかった。

4 カノ

軽音楽部の部室は地下食堂と呼ばれる場所にあった。学食のある建物の地下へ向かう階段を降りていくと、生徒の間で地下食堂と呼ばれている日の差さないがらんとしたスペースの端に、ベニヤで囲われただけの軽音楽部の部室があった。
高校に入って最初の夏休み、カノたち3人は練習に明け暮れた。夏休みにその地下食堂の部室に練習にくる部員はカノたちだけだった。
せっかく夏休みなんだから海とかどっか行ったら、と母親に言われても、カノはどこにも行きたくなかった。毎日勉強をしないで好きな事だけをしていられる夏休みがうれしかった。クラスの他の子たちが何をして夏休みを過ごしているかなんて、考えもしなかった。そんなことよりも、バンドのレパートリーを増やすことのほうが大切だった。他の軽音のバンドはスタジオを借りていたが、金がないカノたちは夏休みの間、冷房のない地下食堂で練習をした。他の2人はたまにはスタジオで練習したいと文句を言ったが、カノは暑くてうす暗いその地下食堂が好きだった。
夏休みの初日、いつも寝坊するカノは、学校がないと思うと目覚まし時計よりも早く目が覚めた。暑いと思いながら目を開けると昨夜開けっ放しで寝た窓からはすでに、夏の光が差し込んでいた。もう寝ていたくなかった。普段なら目が覚めてもずっと横になっていたいのに、学校にバンドの練習だけに行くと思うと、早く登校したくてうずうずした。
起き上がると自分の汗の匂いと、カーテンを揺らす風は向かいの公園の緑の匂い、いつもはただうるさいと思う階下の店舗から聞こえる自転車のベルも、その朝はさわやかに聞こえた。

待ち合わせの時間より早く着いたカノは、人のいない夏休みの学校を歩き回った。普段は制服の生徒たちでいっぱいの中庭は見渡すかぎり誰もいなくて、夏の太陽に焼かれて熱くなった校舎も、誰も歩かないコンクリートも、いつもと違う匂いがした。昼が近づいて頭の上に来た日差しが強くなると、姿の見えない蝉たちが激しく鳴いた。目に見えるものすべてが明るくて、はっきりと見えた。
運動部の引いたラインが残る校庭には誰もいなくて、焼けた土の匂いがした。昨日終業式で全校生徒が整列していたのが嘘みたいだった。
校庭の隅の水道を思い切りひねると、熱くなった水が音を立てて吹き出し、すぐに冷たくなるとカノは、汗が流れる自分の顔を洗い、そのまま水を飲んだ。蛇口を閉め、身体を起こしたカノが校庭の塀に並ぶ木々を見上げると、蝉の音が一瞬止んだ。
その時カノは、時間が止まったような気がした。

いつも軽音の先輩たちがたむろしていてタバコ臭い地下食堂は普段からあまり近寄る人もいないが、夏休みにそこを訪れる人はカノたち3人だけだった。
日の差さない地下食堂は意外にヒンヤリしていたが、一時間も練習をすると汗が噴き出した。ナオミはダルいと言ってタバコを吸い、汗だくになったエッちゃんは次の日から体操着でドラムを叩いた。
誰も来なかった。暑くて裸足になって、シャツのボタンを全部はずしたまま練習していても、誰にも見られるはずがなかった。その地下食堂は夏休みの間だけ、カノたちだけの場所だった。
練習の合間、外のベンチで消火バケツに水を張って足をつけていると、遠くのテニスコートでボールを打つ音や、プールの水しぶきの音がかすかに聞こえた。頭のてっぺんの髪の毛をジリジリと焦がすような夏の日差しが気持ちよくて、何もしていないのに楽しかった。部室の古いコンポで音楽を思いっきりかけても、誰にも文句は言われなかった。
3人にとって初めの目標は文化祭だった。文化祭でのステージに向けて必死で練習した。カノはその文化祭をただの出し物で終わらせたくなかった。何かの始まりにしたかった。6月にバンドを組んで三ヶ月、9月の文化祭には先輩たちのバンドに負けないくらいになれるとカノは思っていた。
夏休みの間は毎週練習して、毎日のように顔を合わせた3人は、休みが終わりに近づいた頃、合宿だと言ってナオミの家に泊まった。ビールを飲んで酔っぱらって夜中近くの公園にギターを持っていって大声で歌った。外で弾くギターは部屋で弾くのと全然違い音が響かなくて、風に流れるカノの歌は、いつもよりヘタクソに聞こえた。
夜の公園は誰もいなく、止まない3人の声の間に、虫の音が響いていた。
その日は3人とも酔って床に雑魚寝をして、次の日カノは初めて二日酔いになった。
作品名:My Funny Valentine 作家名:MF