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My Funny Valentine

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あーギター重いー、ヨシコさんさっき体育疲れたよー、ギターあるけど今日自転車でくればよかったよー、いいなー自転車?、ちょっと乗らしてよー、あたし漕ぐから代わってよー後ろ乗っていいからさヨシコさん、と言うカノに自分の自転車を代わり、荷台に座るわたしは、目の前でやさしく風に揺れるカノの柔らかい髪が好きだ。
ねーねーヨシコさんヨシコさんてさーあだ名とかなかったの昔、なんとなく言いにくくないヨシコさんって?と聞くカノに、…べ、別に、と答えるわたしは、後ろからわたしが?まるカノの薄くて細い肩と、わたしの手の中にあるカノの身体の温かさが好きだ。
そーだよねーヨシコさんってツンツンちゃんだからねー、あだ名とかって感じじゃないのかもねー、エッちゃんも怖いって言ってたよ、ヨシコさん怖いって。もっとやさしい感じにならなくちゃダメだよ、そしたらモテるんじゃないヨシコさんかっこいいから、と言うカノの言葉を鼻で笑ったわたしは、こっちを見るカノの大きい目と、よくしゃべるカノの息の匂いが好きだ。
ひとは第一印象だからねー、ツンちゃんとか呼ばれちゃうよーそのうち、ねーツンちゃん、と後ろのわたしを振り返りながらカノは自転車を漕ぐ。まえ、前向いて、とわたしがカノの頬を前に押すと、それに抵抗するカノは、ツンちゃーん、ツンちゃーん、と人のいる道で大声で叫び出す。
先を歩く生徒たちがわたしたちを振り返るほどの大きな声が恥ずかしくて、やめろっ、とカノの口を手で塞ぐわたしは、それでも声を出し続けるカノの子供みたいなところが好きだ。
2月の夕方の陽の光がわたしたちを照らしていた。
カノの口を塞いだ時、わたしは手のひらで、彼女の唇を感じた。その手のひらをわたしはカノに気づかれないようにそっと、自分の唇に押し当てた。あの時の学校の帰り道には、わたしたちの影が伸びていた。わたしと、カノと、2人の乗る自転車の影がひとつになって、夕日で淡い色になった帰り道に、長くどこまでも伸びていた。

そのあとカノと行った駅前のマクドナルドで遅くまでしゃべった。カノはわたしに、大学行くんでしょ、と聞いた。わたしは行くと嘘をついた。言わないまま、黙って行こうと決めていた。最後まで、別れることを秘密にしておきたかった。だから、行く前に、彼女の欠片が欲しいわたしは、カノがトイレに行った隙にカノの鞄を勝手に開け、ポーチから彼女のリップを盗んだ。

12 カノ

カノはギターカバーのチャックを開け、取り出した赤いストラトのストラップを肩にかける。カノは初めてひとりでスタジオを借りた。エフェクターにつないだシールドのジャックをストラトに差し込むと、スピーカーがブーンと静かな音をたてる。この瞬間が好きだった。ひさしぶりの肩に擦れる懐かしいストラップの感触とストラトの重さにカノは一年の文化祭のステージと、ナオミの言葉を思い出す。
一昨日の昼休み、ナオミがカノに、モチヅキとはどうなってんの?と聞いてきた。最初ナオミがどうしてそういうことを聞くのかわからなくて、別に、なんでもないけど、と答えたカノにナオミは、あっそー、なんだそっかー、と言ってから、実はモチヅキとヤったと言った。なんだ気にしちゃったよ、と笑うナオミにカノはなにも言えなかった。
カノは正直モチヅキは自分のことを好きなんだと思っていた。どうしてそう思っていたのかはわからないが、なんとなくそう思っていたし、モチヅキはそういうことと無縁な感じがしていた。だから始めナオミが言うことがピンとこなかったし、やっとわかっても、あのモチヅキがナオミとヤっているところを想像出来なかった。
カノは教本で覚えたペンタトニックスケールを下から順に弾き、下にくるとまた上に戻る。それを何回も繰り返しながら、身体でリズムを刻んでいく。ひとりでいると広く感じるいつものスタジオで、スケールの中を行ったり来たりするカノは、先週の父親の怒った顔を思い出す。
食事中に進路のことを母親にうるさく言われ、黙って聞いているのにも限界がきたカノは、別に大学行かせて貰わなくてもいいんですけど、と言い捨てて箸を置いた。「お金もったいなくない?うちだって大変なのに無理して貰わなくてもいいんだけど、自転車屋なんだからさ。」
自分の部屋に帰ろうとしたカノは、今まで黙っていた父親に引っ叩かれた。
「本気で言っているのか?学費のことが心配なら、積み立てていたのがあるから安心しろ、もし出て行きたかったらすぐに出て行っていいぞ。」
カノは母親にはよく叩かれていたが、父親にはひさしぶりに叩かれた。出て行っていい、と言われても出て行けない自分が情けなかった。次の日学校に行く前にコンビニで無料のアルバイト雑誌を何冊も貰ったカノは、ペラペラめくっただけで帰りにゴミ箱に捨てた。
カノは、このギターが好きだと思った。懐かしい、触り慣れたこのストラトのほうが、あのレスポールよりも軽く指が運ぶカノは、スケールの中でフレーズを作り始める。高いポジションでチョーキングをすると指にざらつく古い弦の感触にカノは、昨日のヨシコさんの声を思い出した。
昨日の夜、吉祥寺の駅前でヨシコさんのトランペットを聞いた後、カノはヨシコさんの家に行った。大きな家だった。リビングからテレビの音がしたが、ヨシコさんは何も言わず2階上がっていった。
広いその部屋はヨシコさんの匂いがした。レコードとCDがたくさんあった。カノの知らないものばかりだった。ヨシコさんの、好きなの持ってっていいよ、と言う言葉によろこび、床に座り目についたものをプレーヤーでかけながらカノは、自分の横にぴったりくっつくヨシコさんの身体の熱さを感じていた。スピーカーからはピアノのソロが聞こえていて、床の上に置かれたカノの手に自分の手を重ねてくるヨシコさんは、いつもと違う雰囲気だった。カノの手の上で、ヨシコさんの手のひらは汗をかいていた。
どうしたの、とカノが言おうとしてヨシコさんのほうを見たとき、ヨシコさんの顔がカノの頬に近づいていた。えっ、と驚いて身を引こうとするカノの上にヨシコさんの体重がかかる。押し倒されて仰向けになったカノが笑おうとして見上げたヨシコさんは、真剣な顔をしていて、熱い息がカノの顔にかかった。やめて、と小さな声を出したカノの口を手で塞いだヨシコさんは、「し、し、しずか、静かに、しろ。」と言った。
かすれた声だった。擦り切れたような、悲しい声だった。
あのあと、カノから突然離れたヨシコさんは息を飲み、自分の口を押さえて、指の隙間から黄色いものを吐いた。苦しそうに涙を流しながらゴミ箱を掴んだヨシコさんを置いて、カノは部屋を出た。こわくなって、ヨシコさんの家を逃げ出した。

頭の中がいっぱいだった。考えがまとまらなくて、心の中になにか、わからないものがあった。
それは、なにかの形をしていた。今カノの中にあるものは、ヨシコさんのトランペットを聞いた後に残った、なにか、とも、コケコッコーのライブを見た時に感じた、なにか、とも違う形をしていた。
それは、他人のものではない、カノの中にあるたくさんの気持ちで出来ていた。でも今のカノにはその、自分の中にあるなにかを言葉にすることが出来なかった。
作品名:My Funny Valentine 作家名:MF