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My Funny Valentine

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おっ、CDじゃん、と言って、カノより先にそのラッピングを破いて開けたナオミは、そのジャケットを見るなり、「誰これ、シラネー。」と言ってすぐにカノに返した。モダンな感じのジャケットに書いてある5人のミュージシャンをカノは誰も知らなかったが、それを見たエッちゃんが「このビル?エヴァンスっていうピアノの人、超有名だよ。他の人はよく知らないけど、このドラムのフィリー?なんとかっていう人も聞いたことある。なんかさ、このタイトルのインタープレイっていう言葉ってジャズだけじゃなくて他のジャンルでもよく言わない?楽器どうしで会話するっていうか、みんなで演奏していく時に、それぞれが他の人の音を聞いて、それで、聞いた人がそれに反応していってさ、アドリブとかで。それでみんなの音を高めていく、みたいな。いいなー、良かったら貸してね。」と言った。カノはエッちゃんの話がわかったようでよくわからなかったが、ナオミはもっとわかってないみたいだった。

部屋に帰りプレーヤーのトレイにヨシコさんのCDを置きプレイボタンを押しながら、エッちゃんのなんとかプレイの話からすると小難しい感じがして、趣味じゃない服とかもらうよりはいいけど、こういうプレゼントって一応感想言わなくちゃいけないから面倒だな、曲の感想って、カッコイー、とかだけだと頭悪そうだしな、前に音楽の時間にクラシック聞いて感想書けっていう時なんの言葉も浮かばなかったもんなー、ジャズかー、つまんなかったらどうしよー、ロックとかならまだよかったのにぃ、と考えていたカノは、スピーカーから鳴り出したそのイントロに、チョーカッコイイーーと叫んだ。

カノはその、いきなりのスリリングなピアノの後のトランペットとギターの絡みにワクワクした。それはまるで、何かかっこいいことが始まる予感と共に、トランペットとギターの2人が歩みを揃えて、チカチカする街灯が照らす夜の道を、黒い帽子を被った敵に自分たちの影を踏まれないように、ハイハットのリズムで慎重に走りだすようで、その2人の行動をベースのラインから予測した、黒い帽子のボスであるピアノは先回りし待ち構えていて、実はスパイであった子分のドラムと一緒に、これからトランペットとギターが繰り広げようとするストーリーを、さらにハラハラする展開にしようとスピードをつけて追い込んでゆく、そんな白黒のギャング映画の登場人物のような5人のミュージシャンたちは、全員が主役で、それぞれが密接に関係する、音だけで出来たストーリーの中で自由に動きまわり、跳ねまわる相手を見て自分も飛び出してゆく。相手と一緒に演奏することが、楽しくてしょうがないという、いくつもの気持ちがCDプレーヤーを越えて、聞いているカノの中にも伝わってきた。
スピーカーの前で居ても立っても居られなくなったカノは、この気持ちを早く誰かに伝えたくて、携帯でヨシコさんの番号を捜した。もどかしい呼び出し音を聞きながらカノは自分が、車で過去に戻る映画の中で男の子が弾くジョニー?B?グッドに感動してどこかへ電話をかける、あの黒人の人になった気がした。

11 ヨシコさん


わたしはあいつらが嫌いだ。わたしがなにかを失くす頃、まるで祝うかのように花を咲かせるあいつらは、自分の中で秘かに育ててきたものたちを一斉に、惜しげもなく散らしてしまう。
家の近所の川縁に、毎朝乗る電車から見える公園に、学校の塀沿いにいるあいつらが花を咲かせる頃になると、やっと仲良くなったと思っていた友達たちはみんな、当たり前のような顔をして、わたしから離れていった。
別れるために親しくなったんじゃなかった。別れてしまうためにわたしはその子に話を合わせ、微笑んでいたわけじゃなかった。
だからもう、無駄なことは止めようと思っていたのに、今年も川沿いの桜並木には静かに、散るための蕾が育つ。
「今年は早く咲きそうね。」早くカノに会いたくて道を急ぐわたしに、近所のおばさんが言った。それなのに、それに気づきたくないわたしはまだ、彼女の欠片を集め続けようとしていた。

お父さんのいる場所にも、あいつらはいるのだろうか?あいつらが自らを散らせる前にお父さんのいるシカゴに逃げていけば、わたしはもう、あいつらの欠片たちが人々に踏まれ、泥にまみれ、水のない川を屑のように流されていくのをもう、見なくても済むのだろうか。
あの夜、カノと初めて話すことが出来たわたしの携帯に、お父さんからのメールが届いた。その中身を知りたくないわたしは今日まで、そのメールを開けられなかった。
願書を出していた大学の入試には行かなかった。お父さんからのメールには、お前がそうしたいなら、なるべく早く来て、こっちに慣れたほうがいい、と書いてあった。
お父さんは怒っているだろうか?やさしく向かえてくれるだろうか?どうしてこっちに来る気になったのか、くわしく聞きたがるだろうか?それにわたしはちゃんと答えられるだろうか?ちゃんと答えなくてはいけないのだろうか?全部、お父さんに言わなくてはいけないのだろうか?
わたしが、兄に犯されたことや、口で処理させられていることを。
親父の部屋で何をしていたのか、メールで送ってやろうかと言いながら兄は、スウェットを下ろして、自分の大きくなった性器を見せた。「それでもいいのか?」
「お袋がいつもお前に言うだろ、ヨシコさんはお兄ちゃんの言う通りにしてればいいんだよ。」
お父さんにだけは、知られたくなかった。
兄がわたしを初めて犯したとき、わたしは抵抗した。でも兄の力にはかなわなかった。わたしの口を手のひらで押さえつけ、「静かにしろ、静かにしろ」と兄は終わるまで何度も言った。
初めてだったわたしはたくさん出血した。止まらなくなるんじゃないかと思うくらいの血はわたしの白いシーツを真っ赤に染めた。わたしは恐ろしかったが、兄はわたし以上に動揺していた。
そのことがあってから兄は、わたしの口を性器として使うようになった。口の中に射精する兄に吐き出すなと口を押さえられ、咳き込んで鼻からその濁った兄の体液が流れ出た。その顔を見て兄は笑った。
わたしは、水のない神田川を屑のように流れていくその欠片たちを、きれいだと思ったことがない。

カノは、あの曲吹いてよ、と何度も言ったけど、わたしは吹かなかった。曲名も教えなかった。
ほら、この前吹いてたじゃん、自転車壊れた日の前の日さ、あれ聞いてさ、いいなって思ったんだよね、ねえ、あれなんて曲?あれのCDないの?
あの曲は、カノに届いていた。
あれ以来吹いてなくない?なんで?何の曲って、ヨシコさん覚えてないの?ウソでしょ、いい曲なのに、と言いカノは口笛を吹き出した。
知らないふりをするわたしは、ホラホラ、と言いながら口を尖らして、お母さんが好きだったあの曲を吹くカノの薄い色の唇が好きだ。
「…そんなんじゃ、わかんないよ。」と笑うわたしは、どうせ音痴だよって言うカノの男の子みたいな声が好きだ。
作品名:My Funny Valentine 作家名:MF