My Funny Valentine
他の2人には言ってなかったが、カノはコケコッコーのようにライブハウスに出てみたかった。以前モチヅキは、デモテープ持ってけば出れるぜ、今度持ってってやるよ、と簡単に言った。それだけかよ、とその時は答えたが、本当はそのモチヅキの言葉にカノは鼓動を早くしていた。実はその時、練習の時に録ったデモテープを持っていて、ちょうど鞄の中に入っていたのだが、今どこにあるのかわかんないから今度探しとく、とカノは嘘をついた。
カノは怖かった。ライブハウスの人にデモテープをけなされていろいろ指摘されて結局ダメだと言われるのも怖かったし、そのことをモチヅキに知られることも嫌だった。
カノは、カノたち3人が軽音楽部の中では上手いほうだと思われていることはわかっていたが、ミツドモエはコピー専門だと思われているのも知っていた。それに対して他の2人は別になにも感じていないようだったが、カノは先輩後輩に対して、オリジナルなんて作ろうと思えばいつでも作れるけどあえてコピーをしている風に装っていて、みんなもそういう風に思っていると自分では思っていたが、本当は自分が他人のコピーしか出来ないんじゃないか、と誰にも言わず悩んでいた。
モチヅキはたまに、オリジナルやんないの?とカノに聞いた。モチヅキはミツドモエの練習に来て一緒に合わせたこともあり、カノたちがそれほどヘタではないことは知っていたが、ナオミがコケコッコーのライブの度にお世辞にしろ褒めてあげているのに、カノはモチヅキからミツドモエの演奏を褒める言葉を聞いたことがなかった。
モチヅキはミツドモエのことをどう思っているんだろうと思いながらカノは新しいギターで、コケコッコーがいつもライブの一番初めにやる、アナーキー?イン?ザ?コケコッコーという彼らのテーマソングを弾いてみた。シンプルなリフは覚えやすくて耳についたが、実際弾いてみると意外と難しくて、慣れないとモチヅキのように早口で歌いながら弾くのは大変だった。
モチヅキはへんな曲ばかり作り、自分で自分の曲を、なんていい曲なんだ、とよく言っていて、それを聞く度にイラッとするカノは、どこが?と本気で聞いていたが、モチヅキはあれでも、ある程度は自分のやりたいことを形に出来ているのだろうとカノは思っていた。そして、モチヅキと一緒にするのは失礼かもしれないが、あんなすごい曲を吹けるヨシコさんも自分の思い通りの音を出せるのだろう。
カノはヨシコさんのあの曲を口笛で吹いてみた。ギターでも弾いてみたが、メロディーをそのまま弾くだけしか出来ないカノには、あの曲の雰囲気は出せなかった。そこには絶対的な、なにか、が足りなかった。
あの時カノは北口で吹いていたヨシコさんの前を通りかかっただけだった。一曲全部聞いたわけでもなかった、歌詞があったわけでもなかった。それなのに、カノが一年考えても言葉に出来ないようなものが、トランペットの音に乗ってカノの心の奥のほうに直接届いた。
それは、なにかの形をしていた。でもカノにはそれが、なんの形かわからなくて、そのわからない何かが今日の朝、目を覚ました時にもまだ、カノの心の中に残っていた。
カノはコケコッコーの曲をいいとは思わなかったが、エッちゃんが無意識にしても鼻歌で歌っていたということは、彼らの曲がエッちゃんの心の中に残っていて、ヨシコさんの曲がカノの中に残ったように、エッちゃんの心のどこかに、コケコッコーの曲が引っかかったのだろうと思った。
カノにはわからなかった。どうしてだろう。どうしてそういうことが出来るのだろう。そして、どうしてわたしにはそれが出来ないんだろう。
強くなってきた雨が窓に当たる音を聞きながらカノは、いつもひとりで練習していた中学の頃を思い出した。あの頃と比べれば、今仲間と一緒にバンドをやっている自分が、少しは前へ進んでいると思っていたが、新しいレスポールにはなかなか慣れない。初めて練習に持っていった時、エッちゃんは、かっこいいー、と言ってくれたが、弾き始めると、ヘタんなってんじゃん、とナオミに言われ、エッちゃんも頷いた。
どこからか走ってくるバイクの水をはじく音が、2階の部屋にいるカノの耳に聞こえた。次第に大きくなってきたその音はカノの部屋の下を通り過ぎ、そしてだんだんと遠ざかり小さくなって、部屋は再び雨の音に満たされる。
カノの部屋の窓に当たる雨の粒は、思い思いに折れ曲がった筋を作り、それぞれの早さで下の窓枠まで降りていく。早いものは他の筋と交わることなく、すぐに下までたどり着き、折れ曲がり途中で留まるものは、上から流れてきた他の筋に飲み込まれ、ひとつになり道を変え、太い筋になったまま窓枠までたどり着き、先に行き着いていた筋たちと一緒に、ただの雨水として、どこか、カノの知らないところへ流れて、消えていく。
このまま、弾き続けるしかないのかな、とカノは思った。一刻も早く、誰が見てもかっこいいと思う、この黄色のレスポールに負けないくらいになりたくてアセッても、楽器屋のお兄さんが言ったように、毎日さわってあげて、慣れるしかないんだよ、と自分に言い聞かせても、気がつくと弾きにくいと感じている右手は止まっていて、やっぱり黒のほうがよかったかもとか、やっぱりテレキャスの黄色にすればよかったのかもとか思ってしまい、ついつい懐かしいストラトのギターカバーに伸びてしまう手を慌てて引っ込める。ダメだ、ダメだと思い、触り心地のいいレスポールのボディを撫で、こんなにかっこいいのにな、と思いながらカノは、ネジを調節してみたり、新しいピックに持ち替えてみたりする。
本降りになった冬の雨は、黄色いレスポールが自分には似合わない、と思いたくない窓の中のカノの上に、いくつもの道を作り流れていく。その窓に背を向けるカノは、ステッカーを貼ったらかっこいいかな、と思いながらその新しいギターで自分の得意なフレーズばかりを遅くまで弾き続けていた。
次の日の5時間目、カノはヨシコさんから、昨夜はありがとう、タオルを返したいのですけど、というメールを受け取った。その日の夕方早くからスタジオを予約していたカノたちは学校が終わったらすぐに吉祥寺に向かおうと思っていた。別にいいのに、と思いながらカノが、汚いタオルだからいいよ、いらなかったら捨てちゃってよ、と返すと、渡したいものがあるんですけど、という、どこかで見たことがあるような返事が返ってきた。急いでもギリなんだけどな、と、もどかしく思いながら一年先輩に、じゃあ今すぐクラスまで持ってきて、とはさすがに言えないカノは、放課後校門のところで待ち合わせをした。
終礼が終わり、カノたちのクラスにベースを持って現れたナオミは酒臭かった。コケコッコーの3人をクラブに連れて行って遅くまで飲んでいたというナオミはテンションが高く、エッちゃんの胸を揉んではオッサンみたいな笑い声を上げた。カノがそのナオミを連れエッちゃんと3人で待ち合わせ場所に行くと、下校する沢山の生徒たちの中、校門に並び背の高いヨシコさんが鞄と紙袋を下げ立っているのが見えた。
作品名:My Funny Valentine 作家名:MF