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My Funny Valentine

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カノは、カノが貸したハンドタオルを握りしめながらカノのどうでもいい話をちゃんと聞いてくれていたヨシコさんを、エッちゃんが言うほど変わってないと思った。ただ、確かに言葉が出づらいみたいだった。カノがヨシコさんの言ったことがよく聞こえなくて、思わず、えっ?と聞き返すとヨシコさんはちょっと悲しそうな目をして、カノのタオルを両手でギュって包むようにしてからもう一度、ゆっくりと話し出した。
初めカノも初対面で緊張していたが、カノ以上にカタくなっていて一年先輩なのに敬語でボソボソ話すヨシコさんを見ていると、カノは初めて会った時のモチヅキを思い出した。ステージの上ではこれでもかというほど自分をさらけ出し声がかれるほど叫ぶモチヅキは最初、カノの目を見て話せなかった。正面に座っているカノの周りを蚊が飛んでいるのかと思うほど目が泳いでいた。ヨシコさんはそれほどではなかったが、カノの胸の辺りを見て少しずつ話し、カノがしゃべっている時、たまに盗み見るようにカノの顔を見るヨシコさんをカノは、女と話すのに慣れてないモチヅキみたいな感じだと思った。
やっと母親の小言が終わって自分の部屋に入り、今日は疲れたからもう寝ようと思い部屋着に着替えてからカノはヨシコさんがアドレスを書いてくれたノートを開いた。ページの端のほうに、藤木芳子、とアドレスが小さな字で書いてあった。エッちゃんの言った名字と違っていた。真面目な感じの、地味な名前だった。

ヨシコさんのアドレスを登録するカノの耳に、窓の外からかすかな雨の音が聞こえた。ちゃんと自転車で帰れたのかな、帰る途中でまたチェーンが外れるといけないからギアは変えないように、って言うの忘れたな、と思いながらカノがカーテンを開けると、向かいの公園の街灯が霧雨の中にぼんやりと光っていた。
カノが話しかけた時、ヨシコさんは泣いていた。カノも遅刻しそうな時に自転車のチェーンが外れて泣きたくなったことはあったが、本当に泣いたことはなかったので、多分ヨシコさんは別のことで泣いていたのだろうとカノは思った。
カノはヨシコさんに話しかけてから、ヨシコさんが泣いていることに気づいた。話しかけちゃまずかったかな、と思ったが遅かった。カノを見てビクッてしたヨシコさんの様子にカノは最初人違いかと思った。立ち上がって驚いていたヨシコさんは後ずさって後ろの自転車に足をぶつけた。楽器のケースらしき物が自転車の脇にあったが、カノはこの人が昨夜トランペットを吹いていた人じゃなかったらどうしようと思った。この人は昨日みたいに制服を着てないし、そういえばカノは顔をよく見たわけではなかった。ただ、雰囲気だけは覚えていた。雰囲気とあの曲はカノの頭の中にはっきりと残っていた。
フラれたのかもしれない、この人はきっと彼氏にフラれて、悲しい思いをしたんだとカノは思った。だから、昨夜のあの曲はあんなに悲しかったのかもしれないと思い、でもカノは一応、エッちゃんから聞いていた名前を言ってみた。
「えっと、フジ…、ヨシコ、さん、ですよね?」
カノの目の前で怯えるように口に手を当てているその人は、赤い目でカノの顔を見つめながら、「…はい、」と小さな声で言った。

カノはエッちゃん家のバイト代で買った新しい黄色いレスポールをスタンドから持ち上げた。買った当初は部屋に立てかけてあるのを見るだけでうれしかったが、前のストラトと比べてブリッジが高くてピッキングしにくく、弾く度に前のストラトの感覚が懐かしくなったが早くレスポールに慣れたいカノは前のギターカバーのチャックに手が伸びそうになるのを我慢していた。使い慣れた前のギターに触ってしまうと、せっかく買った新しいギターを投げ出してしまいそうでこわかった。
前のストラトはカノが14才の誕生日に買って貰ったものだった。今まで服や現金しか欲しがらなかった娘からギターが欲しいと言われた母親は、何で?と驚いていた。買ってもらった日、カノはその買ったばかりのギターにストラップをつけて首を通すと、部屋の姿見に自分の姿を映した。そこにはギターを持った制服の女の子が立っていて、誇らしげな顔でこちらを見ていた。カノは、今まで買ってもらったどんな服を着た自分よりも、鏡の中のその赤いギターを下げた自分の姿が気に入った。
教本を見ながら毎日練習した。学校から帰ると手も洗わずにギターを持った。深夜までアンプを通して練習して父親に、いいかげんにしてくれと言われた。やっと好きな曲のフレーズが弾けるようになった日、早く誰かに聞かせたいカノが母親の前で自慢げに弾いてみせると、夕食を作りながら台所でそれを聞かされた母親は興味無さそうな笑顔ですごいねと言った。

雨はまだ降っていた。12時以降は弾くなと父親に言われているカノが膝の上の黄色いレスポールを控えめに鳴らすと、シャリーンという音が外からの雨音の中にさびしく響いた。雨は次第に強くなってきたようだった。
今日母親は遅く帰ったカノを怒りながら、「将来のこと、なんにも考えてないんでしょ!」と言った。遅くなって連絡をしなかったことを怒られているのに、そのことは今関係ないんじゃないか、と思ったが言い返すとまた長くなりそうなのでカノは黙っていた。
近頃進路のことでよく小言を言う母親にカノはうんざりしていたが、なんにも考えてない、と言う母親に、音楽をやりたい、と言い返す自信はなかった。それを聞いた母親が100%バカにすることはわかっていたし、その次に、じゃあそれに対してなにか努力してるの?と言われてもカノは自分がなにも言えないこともわかっていて、もし言い返せば、いつも口ばっかりで、なんにもやり遂げた事がないじゃない、と言われた自分がくやし涙を流しながら自分の部屋へ逃げていくこともわかっていた。
カノは母親に進路のことを言われた後、よく歌詞を書いたノートを破り捨てた。破り捨てながらコケコッコーのCDも割ってやろうかと思ったが、ジャケットの3人のバカな写真を見て、それだけは止めといてやるよ、とつぶやいて視界に入らないところに彼らのCDを置いた。
文化祭が終わると進路相談があった。カノの成績は1年の時よりも落ちていた。一応進学ということで面談を受けたが、今のカノの偏差値を知る担任はだれも聞いたこともない大学と短大を提示してきた。
エッちゃんは卒業をしたら製菓の専門学校に行くと言っていた。ナオミが受験のことを何か言っていた時、よく聞いていなかったカノはナオミが大学に行くのか行かないのか忘れてしまったが、その時にみんながちゃんと将来のことを考えていることに驚いたことだけは覚えていた。
カノは、モチヅキがどうするのか、コケコッコーをずっと続けるのか聞いたことがなかった。どうしても彼らが予備校に通ったり模試を受けたりしているところを想像出来なくて、あのまま3人はバカな歌を歌いながらずっとコケコッコーを続けていくような気がしたが、それよりもカノはミツドモエのほうが危ないと思っていた。このままコピーばかりしていても、ミツドモエはこれ以上前へ進んでいかないとコケコッコーのライブを見る度に感じていた。
作品名:My Funny Valentine 作家名:MF