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My Funny Valentine

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長い時間遠くの自転車置き場を見つめていると目の焦点が合わなくなってきて、目は開いてるのに何も見ていない、そんな時のわたしの視線は、わたしの内側を見つめ始める。その中には、このまま見てるままなだけで、満足だって思う自分と、ただ見てるだけじゃ、つまんなくて、話とかしてみたいって思う自分の、2人の自分が見える。その2人の自分を見るわたしは、どっちが本当の自分なのかわからなくなるって思うけど、どっちも本当の自分だって強がりたいけど、どっちかの自分が嘘をついていることは、自分でもわかっている。彼女のことを考えていると、楽しくて、遠くからでも、彼女の笑い声が聞けた時は、わたしもうれしくて、どうしてうれしいのか、わからないけど、それを考えちゃいけない気がして、考えないようにしようって思ってまた考えて、今日もヤキソバパン買ったのかな、とか、もうあのボタンはつけたかな、とか、こんなに、誰かのことを一日中考えているなんて、初めてだって思う自分にはもう、嘘はつけない。
彼女を知ってから、学校に行くのが少しだけ楽しみになったけど、彼女を見れないままあきらめて帰る日は、彼女を知る前のひとりの帰り道よりも、もっとひとりぼっちだった。帰っちゃったかもしれないひとをちょっと見たいだけのために、図書館からずっと見張ってるなんて、なにやってるんだろうわたしって思うけど、知らないで過ごしていれば、こんな思いは、しなかったはずだけど、彼女を知らなかった頃のわたしにはもう、戻りたくない。
バカみたいって思って小石を蹴飛ばしてみても、ころがっていったその小石が、彼女から落ちた大事なものだったように思えてきて、下水の穴にそれを落としてしまった自分が、取り返しのつかないことをしてしまったみたいに、がっかりしてしまう。
わたしが集めた彼女の欠片たちは、誰でも集められるつまらないものばかりで、こんななんにも書いてないピースをいくらつないでも、なにも浮かび上がってこない。このパズルをわたしの中に完成させるには、大事なピースがいくつも足りなかった。
わたしのほうを見る彼女の目の部分、わたしの名前を呼ぶ彼女の口の部分、わたしの歌を聞く彼女の耳の部分、それから、一番大事な部分、完成したパズルが、なんのパズルだか書いてある彼女の名前の部分。
彼女はなんて名前なんだろう。わたしは彼女を知ったから、探していたものが見つかった。名前も知らない彼女から、わたしは街で知らない人たちに見られながら自分の歌を歌う勇気をもらった。だけど、名前も知らない彼女に話しかける勇気は、また別の勇気が必要で、その勇気をわたしは、どこで見つければいいんだろう。
彼女を知ってから、なくても困らなかったものが、ないと困るようになった。ずっとひとりで平気だったはずなのに、そうじゃなくなってきたみたいだった。このまま、なんのパズルだかわからないままピースを集め続けても、なんの絵も出てこないうちにあきらめてしまいそうだった。
だからその、パズルの一番大事な部分をわたしは、自分で作ってみることにした。自分で彼女に名前をつけて、そこから他のピースをはめていけば、早く完成出来るかもしれない。今みたいに、なんのパズルだかわからないまま集め続けて、途中で投げ出してしまわないように、わたしは彼女に、カノというあだ名をつけた。

8 カノ

去年までは3人で次にやる曲を決めて、それぞれ家で練習して出来そうになってきたら部室に集まって合わせていたが、カノが耳コピ出来ないと嘆くナオミのためにタブ符付きのスコアをコピーしている所を軽音の先輩に「コピーバンドがコピーしてる。」とバカにされて以来、カノが嫌がり3人は部室で練習をしなくなった。外のスタジオを借りて音を合わせるしかなくなると、すぐに3人の貯金は底をついた。スタジオはそれほど高くはなかったが、カノ以外の2人は他のことにもお金を使いたいらしく、カノはそれを我慢させてまでバンドのほうにまわせとは言いにくかった。スタジオ代がなくなり、小遣いを親にねだるのも限界になると、あとはアルバイトをするしかなかった。

2人はエッちゃん家のパン屋で働き始めたが、3人の中で一番社交的なナオミが客のおばさんとケンカをして3日で辞めて、コンビニでバイトを始めた。カノは続けたがレジの他にもやることがいっぱいあり結構忙しく、働くのも初めてなので慣れるまでかなり疲れた。バイトはカノの他にも2人いた。エッちゃん家もあまり大きくない街のパン屋なので余計な人件費はなるべく削りたいのをなんとなくわかったカノは、新しいギターが買えるだけのお金が貯まったら辞めようと思っていた。
エッちゃんは店の看板娘らしく、学校から帰るとカノと一緒にエプロン姿でレジに立って、自分はバイト代も出ないのに常連のおばさんたちと営業スマイルで会話しながらソツなくこなしていた。カノはそんなエッちゃんを大人だと思った。カノは自宅の自転車屋でも、全然手伝わない上に客に挨拶もしたこともなかった。エッちゃんに負けじとカノも出来るかぎりの笑顔で接客したが、エッちゃんから、もっと笑ってと言われた。カノは自分で思っているほど笑っていないみたいだった。
4ヶ月してギターが買えるだけのバイト代が貯まった頃、カノもエッちゃん家を辞めた。最後の日の閉店後カノがエプロンを返すとエッちゃんが、辞めないで、と言った。その日カノは客に、買ったパンに小石が入っていたと文句を言われ、小石なんか入るわけないのにと思って言い返そうとしたらエッちゃんのお母さんが出てきて一緒にその客に謝った。そのあとエッちゃんのお母さんにしきりにゴメンネと言われたがまだ怒りが収まっていなかったカノは、一緒に働けて楽しかった、と言うエッちゃんに、わたしも、と言えなかった。帰ってベッドに入ってもその客の顔が頭から離れなく、なかなか眠れなかったが朝になると忘れていて、それよりも思い返してみればカノもエッちゃん家で働けてよかったのかもしれないと思った。昨日みたいな嫌なこともあったけど、楽しいことが沢山あった。
いつもマスクをつけてパンを焼き続けるエッちゃんのお父さんは初め恐そうだったが、マスクを取るとエッちゃんそっくりの顔にヒゲが生えていて笑ってしまった。
店内の有線がずっと演歌だったのに忙しくて誰も気づかず昼過ぎになるまでそのままだった時、気づいたエッちゃんが飛んでいって裏のお母さんに文句を言う声が普段おとなしいエッちゃんと比べものにならないくらい早口だった。
カノがトイレに行こうと思いお手洗いの電気をつけようとしたら間違って厨房の電気を消してしまった時、中にいたエッちゃんのお父さんに怒られると思って謝ると意外に笑っていて、いいよー、と言ってくれた。
カノは学校まで自転車を走らせながら、やっぱり楽しかったのかもしれないと思っても、エッちゃんに、わたしも楽しかったよ、と言う機会はもうなかった。あと数分で学校に着けばエッちゃんと顔を合わせてしまう。改めてわたしも楽しかったとは、カノは恥ずかしくて言えなかった。昨日のうちにメールをしておけば良かったのに、あの嫌な客のことで頭がいっぱいだった昨夜のカノには、そんな余裕はなかった。
作品名:My Funny Valentine 作家名:MF