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My Funny Valentine

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あれから、微笑むのをやめた。自分に嘘をつくことを、可笑しくもないのに、楽しくもないのに笑うのをやめた。微笑むのをやめると、わたしの周りから人が消えた。消えたと思っていた人は向こうから遠目にわたしを見て笑っていた。それでもよかった。無理をしてみんなといるより、ひとりのほうがよかった。愛想笑いをしなくなったわたしは、以前より緊張しなくなった。
わたしは、本当に楽しいときにだけ笑うことにした。姿勢よく立っているために、堂々としているために、お父さんとの約束を守っていくために。

初めて外で吹いた夜、街は歌であふれていた。夜の駅前に立ち目を閉じていると暗闇の中、制服でひとりトランペットを構えるわたしの前を通り過ぎていくたくさんの人たちを感じる。緊張したけど、興奮もしていた。わたしの耳に届く人の声、車の音、店から流れる音楽たち、みんな自分の音で、歌を歌っている。それは、生きていて、動いているものたちの叫びだった。
そのいくつもの叫びが、夜の街の空気を震わせ、息を調えるわたしがそれを吸い込む。吸い込んだ空気はわたしの肺から細胞へ、体中を巡る血となり、わたしは街の音たちの一部となる。駅へ向かう足音とわたしの心臓が刻むリズムが一緒になって、わたしのドキドキと足音のコツコツが同じになれば、足で拍子をとって、夜の街の匂いを吸い込む。その匂いをお腹に溜めてから、一度わたしのものになったその空気をわたしはわたしのトランペットに送り込んだ。
その音は、わたしを取り巻くこの空気を震わせて、街を行くすべての人たちがこれから吸い込む空気を震わせて、彼らの身体の中からわたしの歌が響いた。
曲を吹き終えたわたしがトランペットから口を離すと、わたしを取り囲む人たちが拍手をした。急に恥ずかしくなって軽く頭を下げ、その人たちに向かって顔を上げた自分が笑顔だって、自分でもわかった。わたしは、楽しくて、うれしくて、笑っていた。

あれから、彼女をよく見かけた。ギターケースを重そうに背負って自転車で学校にくる彼女、バンドの仲間と一緒に駅へ向かう彼女、いつも大きなヘッドフォンを首にかけている彼女を見た日は、そのあとなぜかラッキーなことがあった。道で500円を拾った、購買のメロンパンが最後の一個だった、延滞だと思って返したCDの延滞金を取られなかった、家に帰ったら母も兄も遅くなるとメモがあった、新宿の南口で吹き始めたらすぐに警官がやってきたけどその警官がジャズ好きのいい人で見逃してくれた。
彼女を見た日の夜に吹くわたしの歌は、自分でもホレボレするくらいクールで、夜の街に溶けていくようだった。ほとんど通報もされなかったし、前に置いたトランペットのケースに一晩で何千円も貯まった。
彼女の姿を見れなかった日は、ヤなことばかりだった。現国の時間に当てられて読まされて笑われた、吹奏楽部で楽譜も読めない後輩の指導を任された、兄が勝手にわたしの部屋に入っていた、母にイヤミを言われた。そして、彼女を見れないまま夜を迎えたわたしのトランペットは、せつない音を出した。よっぱらいのおっさんにからまれて、トランペットのケースにゴミを入れられて、ダメで早めに切り上げる日が多かった。
だから、わたしは彼女を探した。毎日見ておきたかった。彼女を見れないまま終礼になってしまう日は、吹奏楽部の練習にも行かずに、することもないのに学校に残り、図書館の窓際の席に座って中庭の自転車置き場を見張り続けた。

毎日彼女を見張り続けると少しずつ、彼女のことがわかってきた。彼女の小さな情報のピースをひとつずつ集めていくと、ジグゾーパズルみたいにだんだんと、彼女の絵が出来てくる。彼女がどんな人か、ちょっとずつわかってくる。
自転車で登校していることはわかった。彼女は彼女のギターと同じ赤い自転車に乗っていた。自分で組み立てたようなその自転車は、学校の自転車置き場の中でもすぐ見つけられた。自転車で来ているということは、家が近くなのかもしれないと思って、一度彼女がひとりで下校する所を見つけた時、あとをつけたけど、自転車の彼女はぐんぐんペダルを踏んで、トランペットのケースが邪魔で追いつけないわたしの視界の中からあっという間に消えていった。
軽音楽部だってことはわかった。彼女がバンド仲間と地下食堂に降りていくのを何度か見かけた。軽音の人以外あそこに行くひとはいない。それにあのドラムの子は見覚えがあった。前に吹奏楽部で打楽器をやっていた林さんだった。去年の新入で入って、一年経たないで辞めていった子だ。この間部活に行く途中に、彼女と林さんが歩いているのを見かけた。話したことはなかったけど、林さんも彼女に勇気をもらったのだろうか、部ではおとなしかった林さんの声が、遠くから見ていたわたしの耳にも届いた。
もうひとりのバンド仲間と一緒にいる所もよく見かけた。わたしが食堂で見た時、髪の長いその子が彼女の頭を撫でていた。その手を彼女はうるさそうに振り払う、振り払われたその子はまた、彼女の頭を撫でる。嫌がっている彼女がちょっとうれしそうにも見えて、それを見ていたわたしは、うれしくなかった。
先週彼女は髪を切った。肩まであった髪をばっさり切ったショートは、彼女の少年っぽい顔によく似合った。それが、まるで自分のことのように新鮮で、見ているわたしの気分までさっぱりした。横を向いていても彼女の顔がよく見えるようになってうれしいわたしは、彼女の耳の形がいいのを発見した。
昨日の昼に購買でわたしの隣に彼女がいた時はアセッてしまった。動けなくなったわたしの横で彼女はヤキソバとヤキソバパンを買った。間違って買ったのかよっぽどヤキソバが好きなのかわからないけど、彼女が去ったあと、わたしはいつも買うメロンパンと、普段は絶対買わないヤキソバパンを買った。隣にいた彼女の顔は見れなかったけど、ヤキソバパンもあんまり好きにはなれなかったけど、購買のおばちゃんにお金を渡す彼女のシャツの袖のボタンが取れかかっているのを見つけた。
気がつくとわたしは、一日中彼女の欠片を探していた。なにも見つからなかった日には、ひと目だけでも見ておきたくて、夕日が差し込む図書館で、読みもしない本を開いて、課題をするふりをしながら、もう帰ってしまったかもしれない彼女が自転車置き場に現れるのを待ち続けていた。
作品名:My Funny Valentine 作家名:MF