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My Funny Valentine

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エッちゃんの話を聞きながらカノは机の上に置いてある自分の携帯を制服の上着のポケットに入れた。モチヅキからのメールが入っているその携帯は冷たくて、エッちゃんの話も頭に入らなくて、なんて返事しようかと考えながらカノは、そのポケットの中の携帯を手のひらで暖めた。

7 ヨシコさん

わたしはわたしに自信がなかった。
他人の目が怖かった。わたしのことを、何て思われるか、そればかり考えて生きてきた。他人の目を感じると、緊張して、うまくしゃべれないかもしれない、そのことを考え出すと、それだけで頭がいっぱいになった。頭がそのことでいっぱいになると、もう喉から、言葉が出なかった。言葉が出ないから、言葉が出ない分精一杯愛想笑いをした。一日中愛想笑いをしながら、わたしの頭の中をいっぱいにするその不安から逃げることばかりを一日中考えていた。

わたしにはトランペットしかなかった。
トランペットでしか自信を持てなかったけど、トランペットには自信があった。音楽教室に通い始めた頃から今まで、同い年で自分より上手い人に会ったことがなかった。中学でも高校でも、吹奏楽部の大会でもわたしの自信を失わせるほどのトランペットは聞いたことがなかった。普段の自分は嫌いなのに、トランペットを吹いている自分は好きだった。

トランペットがないとわたしは裸だった。
裸は嫌だった。みんなが服を着ているのに、わたしだけが裸で歩いていた。風が直接吹き、雨がじかに当たり、裸足のわたしの足を誰かが踏んでいく。裸であることはわたしがしゃべらなければわからないけれど、わたしがしゃべり出せばすぐにわかってしまう。だから、裸であることがバレてしまう前に、わたしはいつも、微笑みながらその人の前を逃げ出した。

わたしは服が欲しかった。
わたしはわたしだけの服が欲しかった。他の誰も持ってない、誰の服にも似ていない、どこに着ていっても恥ずかしくない、わたしのためだけに用意された服が。でもそんな服は、どこにも売っていなかった。わたしのために、わたしにぴったりの服を作って、わたしが来るのをお店を開いて待っている人はどこにもいなかった。だから作るしかない。外をいくら探しまわっても見つけられないその服は、自分で作らなくてはならない。わたしが自分で、自分のために、自分の着る服を作るしかない。

どうしたら服が作れるのだろう。
みんなが持っているような服は、わたしには似合わない。わたしに似合う服を作るのにはどうしたらいいのか。大柄なわたしには、他の子みたいな女の子な服は似合わない。だからといって、男の子の服が合うわけでもない。中途半端で、そもそも自分がどんな服が着たいのか自分でもよくわからない。そんな自分でもわからないものを探そうとしたって、見つけようがなかった。見つけられないまま時間だけが過ぎて、高校に入ると既にみんな、それぞれ自分の服を身につけていた。そんな中でわたしは、どうしたらいいのかわからなくて、友達にわたしが裸だってことに気づかれないうちに、早く服を探さなくてはいけないって思って、焦っていた。
でもある日、どこに自分の服があるのか、わかった。
文化祭で歌う彼女を見たあと、わたしは無性にトランペットが吹きたくなった。わたしの唇がマウスピースの感触を求めた。あんなに強く、吹きたいと思ったのは、音楽教室に通い始めたあの頃以来だった。あの金色の管にわたしの息を吹き込んで、わたしの身体と一緒に響かせるその音を、どこでもいい、どこか遠くへ届けたい、誰でもいいから、誰かの心の奥のほうに、わたしの音を伝えたい。お父さんがあのポケットトランペットを買ってきてくれた夜、得意になって吹き続けたあの夜の子供が、わたしの中によみがえった。

吉祥寺の北口ロータリーの時計が夜の8時を過ぎた頃、思い切り大きな音でトランペットを吹き始めたわたしを、駅へ向かうサラリーマンが迷惑そうに睨み、待ち合わせの若い女がうるさいという顔でこちらを見て、すぐにまたメールを打ち始める。今夜は他のストリートミュージシャンたちはいなかった。いたとしても関係ない。わたしは、わたしの音に自信がある。彼らがどんなに大声で叫んでも、いくらギターをかき鳴らしても、わたしの歌に勝てるわけがない。
わたしはわたしの歌が好きだ。自分の歌を歌う自分が好きだ。自分に自信を持つということは、わたしを好きになることだった。
ティッシュ配りの若い男が、配るのをやめてこっちを見ている。うちの学校の制服のやつらが通り過ぎる。その中のひとりがわたしを指差して仲間に何か言った。何を言われても平気だ。お前らの服なんかよりも素敵な服を、わたしは手に入れた。
今夜はマイルスを吹いた。タイトルは忘れた。お父さんのレコードの中でも一番なくらいボロボロなジャケットの1曲目は、暖かかった昼間の空気が冷たい夜の光の中にまだ残っていて、夏でも秋でもない、季節がなくなったような、ミステリアスな匂いのする今夜の空気にぴったりだった。テーマを吹いて、あとは考えずにアドリブで繋いでいくと、わたしの頭の中でハイハットとスネアのリズムがついてくる。記憶のリズムを感じたまま、わたしはわたしのアレンジで合わせていく。
一人のオジサンが立ち止まり、制服でトランペットを吹くわたしをめずらしそうに見ている。大昔の映画のテーマになったこの曲が懐かしいのか、指を鳴らしてリズムをとっている。オジサン、リズムの取り方が違うよ、それにこの曲は、あんたの知ってるその曲じゃない、わたしの曲だ。わざとリズムをためて、わたしはオジサンのわずらわしい指の音を止めさせた。
少し人集りが出来てきた。みんながわたしとわたしのトランペットを見ている。以前なら逃げ出していた。裸だったわたしには、他人の視線が刺さるように痛かった。でも、服は見つかった。ほんとは持っていたのに、外に着ていく勇気がなくて、持ってないって自分に嘘をついて、自分で自分を誤摩化して、その服に気づかない振りをしていた。
服を作る生地は持っていた。縫い合わせる糸もあった。お父さんからもらったあのレコードたちはわたしに、どうしたら自分の服が作れるのか、どうやって自分の歌を歌うのか、お手本を見せてくれていた。言葉に出来ない言葉を言葉にするには、どんな言葉で言葉にしたらいいのか、彼らは、彼らの歌で、教えてくれていた。わたしには、こんなに素敵なトランペットがあるのに、それを外に着ていくことを怖れていた。その勇気をくれたのは、彼女だった。
彼女の服はボロボロだった。つぎはぎだらけだった。それなのに彼女はその手作りの服を堂々と着ていた。
あんな服を着ている人を見たことなかった。それは、他のみんなが着ている既製の服とは全然違って、縫い方もめちゃくちゃで、隙間から肌が見えていて、今にも壊れてしまいそうなのに、それは、彼女にしか似合わない、彼女の服だった。その服も、その服を着る彼女も、かっこいいと思った。自分で作った服を着るのが、うれしくてたまらないように歩く彼女を見て、わたしにも出来るかもしれないと思った。
作品名:My Funny Valentine 作家名:MF