ほんとうの日記
高校生の頃、部活で帰りが遅くなった夜には、飲み込まれそうなくらい空一面に広がる星に向かって、友達たちと何か大声で叫んで帰った。東京の空には星は見えないけど、そのかわり、その黒い空の下には、星の数ほどの家の明かりがある。
ずっと眺めていたわたしに、ベンチでワンカップを飲んでいたおじさんが話しかけてきた。わたしが見ていたほうを指差して、「ほら、ねえちゃん、あすこに三階建ての茶色い家が見えるだろぅ、あれね、おじさんの家。うちの息子夫婦が無理して建ててさぁ。」お酒臭い息で、おじさんはうれしそうに言った。おじさんが差すその方向には、新築らしいきれいな外壁の家が建っていて、やわらかい明かりがついていた。あの明かりの下では、おじさんの家族が団らんしているのかもしれない。おじさんはいつも、仕事の帰りにこのホームから自分の家を眺めてから帰っていると言った。「孫がおじいちゃんのこと待ってるからさ、早く帰んないとねぇ。」おじさんは空になったカップをホームの床に置いて、よろけながら立ち上がると、「遅く帰ると嫁さんが恐いしさ、あんたも早くお家に帰んなよ。旦那に叱られるよぉ。」と言い、よろよろと階段を降りていった。わたしは、おじさんが残したカップをホームのゴミ箱に放り込んで、もう一度、そのおじさんの家を見た。おじさんも、その家の明かりも、しあわせそうだった。
朝晩必ず利用するこの駅も、近くの商店街の人たちも、疲れすぎて夕食を作る気にもならない時に立ち寄る近所のコンビニも、みんなわたしの毎日の一部になっている。この街は好きだけど、ホームからの景色もきれいだけど、わたしの部屋の明かりはいまだに、この街の明かりたちの仲間入りが出来ないでいる。
真っ暗な部屋に帰るのも、ひとりでご飯を食べるのも、別に寂しいとも思わなくなった。この部屋のドアのチャイムを最後に聞いたのはいつの事だろう。以前はよく友達を部屋に泊めて、みんなで料理をしたり、朝までしゃべったりしていたけれど、最近はそんなこともしなくなった。仲が良かった友達たちは結婚したり、田舎に帰ったり、なんとなく疎遠になったりしてわたしの毎日から遠ざかっていった。みんなからの電話がだんだん減っていって、そのうちに、いつまでも同じ場所にいるのはわたしだけになった。わたしはこの部屋に、もう何年暮らしているのか、彼と離れてから、もう何年経つのか、数えることもしなくなったけど、日記だけは毎日つけ続けている。
わたしは一日の終わりに、今日あったいい事、今日言われたうれしかった事を日記に書くことにしていた。日記に書くことで、その日のいい事をもう一度確認できる。いい事がなかった日には、先週のいい事をもう一度読み返す。何度も噛み締めるように頭の中でその出来事を繰り返し再現する。それがわたしの寝る前の楽しみだった。そんな一日のいい事を毎日貯めていけば、その貯金がいつかは大きなしあわせと交換できる、そう信じていた。
この部屋の小さなベランダには、枯らしてしまった植木がいくつもある。愛情をかけて世話しているつもりなのに、いつも枯れてしまうのはどうしてだろう。水のやり過ぎでもないし、外に出しっぱなしにもしていないのに、なぜか長持ちしたことがない。自分には向いていないと思って、もう買うまいと思いながら、花屋さんでかわいい鉢植えを見ると、つい買ってきてしまう。そのことを、昔花屋でバイトしていたという会社の同僚に話してみた。「別にいいんじゃん、その時楽しめれば。枯れたらまた買えばいいんだし。」わたしと同い年で、今月転職していった彼女は、でも、と言うわたしにこう付け加えた。「それにさ、同じ花ばっかだとあきちゃうじゃん。」枯れた鉢植えを置いておくと運気が下がると聞いたことがあるけれど、このかわいそうな植木たちを、わたしはどうしても捨てられない。
部屋の隅に毎月溜まっていく雑誌も、捨てたほうがいいと友達に言われたことがある。もったいないのは、おもしろかったコラムとか、連載の小説とか、小さなコーナーとかだけなのに、それだけのために全部が捨てられない。その時読んでおもしろかったから、いつかまた読み返そうと思って、もう一度楽しみたくて取って置いたのに、その雑誌が役に立ったのは友達たちとの鍋大会の鍋敷きとしてだった。毎月買っている雑誌の一月号、今年の運勢が載っている号だけは、今年のわたしのこれからの予定が書いてある気がして、時々読み返す。たまに、今月は、って気になって引っ張り出してチェックする。今年の前半に運命の人が現れるって書いてあったから、すごく気になる。もう6月なのに、いまだに現れない。こういう占いって同じ星座の人全体でみてるから個人単位で占うほどは当たらないのかもしれないし、ひとによってはズレが出てきたりするんじゃないかしら、って思って、となりの星座の運勢もチェックしたりもした。
運命の恋愛について朝まで熱く語っていた友人も、30歳に近づくと、運命の相手に巡り会う前に、手頃な相手を選んだ。結婚で田舎へ帰る彼女を見送りにいった時、わたしたちのほうがボロボロ泣いていて、本人は以外にそうでもなかった。東京に演劇の勉強に出てきて、最近田舎でお見合いをした相手と結婚する彼女は、前の日泣いたみたいな腫れぼったい目をしてたけど、その朝は何かふっ切れたようなさっぱりした顔で、じゃあねー、って言って旅立っていった。
彼女は昼にOLしながら、そのまま夜に劇団の稽古に行っていて、公演が近くなるとほとんど寝る時間もない位がんばっていたから、わたしたちはみんなでチケットを買ったり、時間があれば見に行ってあげたりしていた。見た目も精神年齢も幼いわたしたちの中でも彼女は一番若く見えて、初めて会った時は子供みたいだった彼女も、「好きじゃない事ガマンしてやるくらいなら死んだほうがマシだよ。」と言っていた彼女も、もう若くなかった。
名前も聞いたことがない小さな劇団で、いつまでたっても端役しかもらえない彼女にわたしたちは、がんばれ、としか言ってあげられなかった。食費も削って演劇に打ち込んでいることは知っていたけれど、そんなに無理しないほうがいいよ、とは言えなかった。
わたしは、夢を諦めることの出来た彼女の潔さがうらやましかった。これからの長い人生にとって、必要なものと邪魔になるものを決める勇気が彼女にはあった。
わたしにはまだ、花が咲くかもしれない鉢植えを捨てる勇気がない。
部屋から見える団地にはたくさんの窓、そのひとつにまだ明かりがついている。仕事で遅く帰って、お風呂に入って、遅い夕食をして、洗濯をして、全部済ませて、やっと寝る前に日記をつけ終わり、誰にもおやすみなさいを言わずに部屋の明かりを消すと、もしかして、世界にはわたし一人しかいないんじゃないかと不安になるときがある。気づかない間に、何かの警報が出ていて、みんなとっくに何処かへ逃げてしまっているのに、わたしだけが気づいていない、そんなことを思ってしまう。そんな時、カーテンを少しだけ開けて外を覗いてみると、向かいの団地に、明かりのついている窓があった。もう夜中なのに、まだ起きている人がいる、そう思うと、少し安心する。わたしはまだ、世界に置いてけぼりにされていない。