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珈琲日和 その19

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 シゲさんも仕事が忙しいようで最近めっきり音沙汰がなかったのですが、一足先に夏を先取ったように真っ黒に日焼けた肌に派手なアロハシャツという出で立ちをして、いつもの席でいつも通りカフェオレとミックスサンドを頼まれました。心なしかやつれたような様子です。
「仕事が忙しそうで、何よりですね」
 コースターを敷き、上にアイスカフェオレを乗せながら僕が言うと、シゲさんは珍しく深い溜め息をつきながら、そうでもねぇよぉーと疲れた声を出しました。心なしか、今日はいつもに増して貧乏揺すりが激しいので少し苛々しているような気もします。
「茅さんと一緒の現場なんですよね。最近いらっしゃらないですけど、茅さんは元気ですか?」
「その茅さんがいねぇから、大変なんだって」吐き出すようにシゲさんは言った。
「えっ?! いないって、行方不明なんですか?」
「行方不明な訳ねぇだろう。って、マスター、ニュース見なかったのか?」
「ニュース? いつのですか?」
「ほんの3日くらい前の。ほら、立て篭り事件。博物館の」
「あぁ、立て篭り事件は知ってますけど。でも博物館って言うのは知らなかったですね。何処のとは報道されていなかったんじゃないですか」
「あーそういや、そうだなぁ。あれぁー博物館を経営してる奴らが、名前を出したらイメージダウンだってんで、わざと隠したのさ。お客が気味悪がって減るんじゃないかってな。勝手な話だ」
「確か、女性が人質に取られて、でも、警察が駆けつけたら難なく解決したとか何とか」
「ところが、事実は違う。殆ど博物館側が都合が悪いから隠蔽してある。実際はそうじゃねぇ。警察が集まってくる前に、人質に取られてたネェちゃんは犯人から解放されてる。代わりになった男がいたからな。残念ながらそいつは刺されちまったが、犯人はそれでビビって大人しく警察のお縄になったんだ。だから、警察のお手柄っておかしな事になってる」
「へぇ、そうだったんですか。その刺された方は、大丈夫なんですか?」
「・・・重体だよ」シゲさんの顔が一気に渋くなった。
「そうですか。それはお気の毒に。でも勇気ある方ですね。一般のお客様でしょうか。それにしても、シゲさんやけに詳しいですね。まるで関係者みたいだ」
「関係者だからな。刺されたその男は警備員。マスターもよく知ってる俺の仕事仲間だ。そいつが生死の境を彷徨っているっていうのに、博物館はのうのうと営業を続けてやがるから腹が立つのさ」

 事件は、茅さんとシゲさんが、ちょうど休憩の入れ替えで引き継ぎをしている最中に起ったそうです。不意に身につけている無線から、3階のフロアで不審者が包丁を振り回して叫んでいるとの通報が入りました。
 二人が駆けつけると、既に犯人らしきニット帽を深く被った男は若い女性を人質に取って、ティラノサウルスの骨の前で陣取り、周囲に絶え間なく罵声を撒き散らして、緊迫状態だったそうです。人質の女性は、大学生くらいの年頃で、包丁を顔に突きつけられ、パニック状態で鳴き喚いていました。
 一般のお客様を避難させた他の警備員と関係者が集まっては来ましたが一向に動けない状態の中、それまでじっと様子を窺っていた茅さんが突然、俺が行くと言い出したそうです。
 犯人は薬物乱用者なのか興奮状態になっており、叩き付けるように口にする言葉も支離滅裂。こちらからの呼びかけにも反応出来ない状況だったようで、交渉ができる筈がなく危険だから止めろと、シゲさんが強く止めたそうです。けれど、茅さんはそれを振り解いて犯人に近付いて行き、俺を刺せと言ったそうです。
 犯人はバカにされたと思い、人質を突き飛ばして茅さんに向かってきて、その腹を思いっきり刺した。そこに警察が流れ込み、取り押さえられた犯人は我に返ったように泣き出し、事件は解決した。
 ただ1人、闇に揉み消された哀れで勇敢な被害者を残したまま。
「奴は、ああ見えて、見栄っ張りな上に、人一倍正義感も強い厄介な性格だ。けんどな、警備員なんて言ったって、所詮一般人と同じ扱いだ。警察とは違う。無駄な正義感なんて持つもんじゃねぇ」
 茅さんはお腹を抑えながらゆっくりと倒れ込んだらしい。そして、何処か微笑んでいたのだとか。
「俺は必死に止めたんだ。そんな事をしなくても警察が直に来るから、任せとけってよ。だのに、奴は・・・俺なんかいいんだ、どうなったって。あの子の方が何倍も生きる価値があるだろうって、聞かなかった。それで、英雄気取りすらもさせてもらえず。ほんとに、バカな奴だよ!」
 シゲさんは勢い任せにカウンターを拳で叩くと、悔しそうに唇を噛んで俯きました。こんなシゲさんは初めて見ました。現場に居合わせていたからでしょうか。太郎さんの時にすら見せなかった苛立ちを露にしていました。博物館の対応にも、茅さんの行動にも両方に心底腹が立っているようでした。
「今、茅さんの容態は、どうなんですか?」
 怖々聞いた僕の言葉を、まるで恐れてでもいたかのように、シゲさんは拳を更に固めました。
「・・・思わしくねぇ。あと、保って2、3日だそうだ」
「そうですか・・・」
「見舞いに行くか? とは言っても、親族以外面会謝絶。ガラス越しだがなぁ」
「いえ。僕はここで。ご親族の方のお邪魔になっても何ですし」
「親族なんて来てねぇよ。駆け落ち同然で結婚した両親もとっくに死んじまってるって聞いてるぞ。浮気されて離婚してるから、女房も来ちゃあいねぇだろうし。確か、仲の悪い妹が1人いるとか言ってたなぁ。結婚して家庭持ちらしいけど、見舞いに来てる様子もないから、もしかしたら縁すら切られてるのかもしれねぇな。全く、血なんて名ばかり。家族なんて、いてもいなくても寂しい限りだ」
 そうだったか。僕が彼に対して抱いていた寂しさの意味が、ようやくわかったのでした。
 茅さんは、ただ、ただ孤独だったのです。誰かにいて欲しくても、プライドと意地が邪魔して素直にそう言えなかったのかもしれません。言葉の端々に忍び込ませる事くらいしか。それだけ、自分にも、もしかしたら自分の今までの人生にも全てに嫌気が刺して、或は自信が持てなかったのかもしれません。
 人は誰かと触れ合う中で、自分の居場所を見つけて、そこから自信を育んでいく事が出来るのですが、誰もいない状態ではひたすら寂しいと言う思いばかりに立ち塞がれ、終いには自分なんかと悲観的に陥りがちになってしまいます。
 思い起こしてみれば、茅さんは、よく自分の働く施設に遊びにくる家族連れや子どもの話をしていました。特に子どもは可愛いようで、何度も同じ話をしていたくらいです。前の奥さんとの間に子どもがいたら良かったのにと残念がっていました。そうすれば、もっとマシな人生になっていたかもしれないとも。
「奴は、この仕事を辞めたがってたよ。何処か南の島にでも移住して暮らすんだとか、夢みてぇな話ばかりしてた。今、思うと、奴はもう疲れてたのかもしれねぇな。人生に」

作品名:珈琲日和 その19 作家名:ぬゑ