珈琲日和 その19
1ヶ月が過ぎようとしていました。シゲさんはあれから姿を見せませんでした。茅さんの事が気掛かりでしたが、何処の病院かもわかりませんでしたし、僕はひたすらこの店で待ちながら、祈る事しか出来ませんでした。ジメジメと鬱陶しい梅雨の雨が、増々どんよりと憂鬱な気分にさせます。
雨は相変わらず彼方此方に水溜りを作っていましたが、さすがに今回は覗き込む勇気がありませんでした。別にいつか観た映画の内容を信じている訳では決してないのですが、ただ、ちょっと切れ端だけでも、黒っぽいシルエットのようなものでもチラと見えたらと思うと、情けない事に怖かったのもありました。
それに、又覗き込んでいるうちに何かを不意に落としてしまう事があったら、それを器用に受け止めてくれる手がない現実を嫌でも思い出してしまいそうで、それは何だかとても悲しい事に思えました。
いつか話した死後の世界に、茅さんは、寂しさを抱え込んだまま、旅だって行ってしまったのかと、どうしてそんな事になる前にもう少し気の利いた言葉の一つもかけてあげられなかったのだろうとも、自責とも後悔ともわからない中途半端な感情が湧いてきて不意に嘆きたくなったり。こんな時の心持ちは複雑です。
それにしても、いくら思い出そうとしても、その映画の中での水溜りの設定が今一不明虜でした。
死後の世界だと言う事は覚えているのですが、死後に行く世界なのか、その人がいなくなってしまった死後の世界なのか、そこがよく覚えていないのです。けれど、引きずり込まれるという設定から考えると、やっぱり死後に行く世界のような気もしますが、基本的な景色は変わらないので、その人がいなくなった未来の世界なのかもともどっちとも取れるのです。もし、未来の世界だとしたら、引きずり込まれた後、どうなるのでしょう? 自分が存在しない世界を見せられて、自分がいなくても通常通り過ぎていく時を感じられて、今まで必死にやってきた事の虚しさを思い知らされるのでしょうか。それとも、今まで全てだと信じていた事が、今まで絶望的だと思い悩んでいた事が、良くも悪くも覆されるような気分になったりするのでしょうか。だとしたら、それはそれでとても興味深い内容です。けれど、肝心のタイトルがわからないので探しようもありません。そんな風に混沌とした気持ちを遣り過ごしながら、とうとう1ヶ月が過ぎました。
シゲさんが再び来店したのは梅雨も明けかけた7月上旬でした。
僕は例の如く、数珠つなぎのように思い起こされる感情に弄ばれながら、何となくレモンパイを作っていました。なので、シゲさんが入ってきた事すら気付かなかったのです。情けない事に、ここ最近はぼんやりしてばかりで、常連のお客様からの注意が絶えないような状態になっていました。
「いーぃ匂いだなぁー」
シゲさんは、いつもの調子でのんびりとそう言いながら、香ばしいパイの焼ける匂いに釣られるようにして、いつもの席に座りました。まだ元気とは言えない笑顔を浮かべています。
「いらっしゃいませ。レモンパイです。もうすぐ焼き上がります」
茅さんの事が心配だったので、真っ先に聞きたかったのですが、不粋な感じもしたので黙っていました。すると、シゲさんがふと顔を上げて言葉を繋ぎました。
「ならよ、テイクアウトで2つ包んで欲しいんだけど、いいかな?」
その答えだけで充分でした。僕は満面の笑みで勿論ですと答えると、シゲさんのカフェオレを作り始めました。後で聞いた話、実は茅さんは心肺停止になったそうなのですが、嫌々来院した妹さんの怒りのパンチによって戻ってきたとか何とか。
妹さんはご臨終になった茅さんに馬乗りになり、顔を思いっきりこれでもかと殴りつけながら、葬式代と墓くらい自分で用意してから死ねと罵ったそうです。すると、余程ムカついたのでしょう。茅さんがいきなり目を見開いて、誰が死ぬかー!と言ったとそうです。最早何処までが本当か、何処までが作り話かはわかりませんが、とりあえず茅さんは死後の世界に行く事よりも、こちらの世界で粘る事になったようです。
シゲさんはベッドに起き上がれるようになった茅さんに、訥々と説教をしているそうです。
「生きる価値なんてのはよ、一体何処のどいつが決めんだ? あ? 歴史に名を残す偉業を成し遂げりゃ価値が出るのか? それ以外は価値がねぇのか? 違うだろ。価値なんて関係ねぇ。母ちゃんの腹から転がり出た時点で、命には価値が産まれてんだ。勝手に、てめぇの価値をてめぇで決めんな。価値だ何だと喚いてる暇があんなら、もっと走れ。もっと足掻け。とりあえず突き進め。いじけてんじゃねぇ。よく覚えとけ。女なんざ、我武者らにやってりゃ自然と寄ってくるもんだ。そんなくだらねー事でクヨクヨしてんじゃねぇよ」と。
・・・おや? どうやら、茅さんは最近、好意を寄せていた女性に振られたばかりのようでした。やれやれ。まぁ、なにはともあれ、一件落着ですから。
暑い夕方、9月も中頃だというのに、いつまで経っても残暑が抜けず、日中の暑さを洗い流すかのように夕立が降りました。文字通り、巨大なバケツをひっくり返したようなあっという間の豪雨でした。僕はその様子を店の中から眺めていましたが、降り終わった後の清々しい空気を吸いに、ちょっと外に出てみたのです。
店の前には大きな水溜りが出来ていました。夕立を齎した雲は、次の夕立を求めている土地を目指して忙しなく動いていき、その隙間隙間からは、夕日と呼ぶには些か眩し過ぎる日差しが差し込んできていました。
暖色がかった日差しを反射して水溜りは美しく輝き、その中に映る世界も美しく温かい光に溢れているようでした。それを目を細めて見ているうちに、もしかしたら、死後の世界とは、何かがあって一回死ぬような体験、今回のように大きな事故にあって生死を彷徨ったりして、再び目覚めた後の世界だったりするのかななんて思いました。水溜りから目を離して見上げた空には、いつの間にか虹がかかっていました。
今までの自分は一回死んで、新しく生まれ変わるから。だから、水溜りの中の世界はこんなにも美しかったり、影が濃く見えたりするんじゃないかと。路地の少し先に、同じように空を見上げている男性二人がいました。
でも、現実世界だってそうそう捨てたもんじゃない。見方によってはどんな明度にも、どんな色合いにも変えられる。談笑しながら虹を見上げる男性は、片方の方が車椅子に座っていました。どんな話をしているのでしょうか。太陽のような笑いがここまで見て取れます。二人は虹を背にゆっくりとこちらに歩いてきました。
人は生まれ変われるのだと、何度でもやり直せるのだと、僕は手を振りながら、そんな事を思いました。