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川の流れの、その音に寄せ

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 そうだ。私も大学に入ったばかりの頃は、頻繁にメールした。だけどそれは彼女を含む数人の友達に送る一斉メールだ。『週末会える人いない?』という趣旨のものだ。氷音から返ってきたことは一度もなかった。
 そうだ。同窓会をしたときに、委員長だった子が言っていた。神林さんに電話をしたけれど繋がらなかったと。「彼女の大学ってこの時期、海外留学始まってなかったっけ」という誰かの言葉によって、気にすることなく会合は始まってしまったけれど。
 それがただ氷音に、嫌われていただけだったのだとしたら――。
「……ちがう」
 消え入りそうな声で、千波は小さく呟いた。
「千波?」
「そうじゃない……」
 卒業式の後、別れの時に氷音が言った言葉。
『千波ちゃん。いつも私に優しくしてくれてありがとう。千波ちゃんがいてくれたから、私、「神林氷音」のこと、好きでいられた』
 あれは拒絶じゃない。拒絶なんかじゃない。どうしてこの言葉を、私は今まで忘れていたのだろうか。卒業式だった。皆泣いていた。私も、周りの友人たちも。たくさんの感動に上塗りされて、今の今まで忘れていた。どうしてだろう。
『千波ちゃんは、覚えていて。ここに神林氷音が、いたこと』
 皆と同じように泣いて笑ってそして放った、神林氷音の最後の言葉を――。
「千波!」
 肩を揺さぶられて、千波はハッと我に返った。聖が心配げに顔を覗き込んでいる。煙草の灰が落ちかけている。車はまだ彼女の家の前だった。
「どうしたの? 具合、悪い?」
「……や、ごめん……大丈夫」
 そうは言いつつも、千波の額には脂汗が浮かんでいた。あの言葉を最後に誰の前にも姿を現さなくなった氷音。もしかして、もう彼女は存在しないのかもしれない。そう考えると背筋がぞくっとする。怖い。だけど。
「……今日はやめておこうか?」
 聖の言葉に、千波はゆっくりと顔をあげた。しばらく視線を泳がせていたが、やがてしっかりと彼を見上げ、
「氷音川」
と、告げた。



「氷音川って、あれでしょ。神林さんの拾われたとかいう」
 慣れた手つきでハンドルを切りながら聖が沈黙を破った。しばらく何事かを考え込んでいた千波は小さく頷き、窓の外に視線をやる。街灯もほとんどない田んぼの横をずっと走っていくので、さすがに真っ暗で何も見えない。すれ違う車も今のところ一台もない。
 それにもかかわらず聖は一度地図を確認したきり、迷う様子もなくすいすいと目的地に向かっていた。
「……名空、行ったことあるの?」
「リカが生まれたの、その辺りだったんだってさ。こっちに引っ越してくる前はよく川で遊んでたから、そこに連れてけって。毎年夏の間は何度か行くよ。水が綺麗で魚も釣れるよ」
 千波は面食らった。これでは付き合っているのだと騒がれても仕方がない。ただ、彼は彼女がいるのに他の女(たとえ女だと思っていない幼馴染であっても)をドライブに誘うような人間ではないので、千波の中でこの噂は棄却されているのだが。
「リカさんてさ、偽名、てかニックネームなんだっけ?」
「うんまあ……ほんとに本名、正式な書類以外で名乗ろうとしないから、よっぽど嫌いなんだろうね」
「へーえ。そんなに変な名前なの」
「とりかご」
「へ」
「砂倉鳥籠、だよ。呼ぶと怒るけど」
 そりゃまた……と千波は苦笑いした。非現実さと「書くのに面倒」さはまるでペンネームのようで――女優の卵なら芸名の方がしっくりくるか――隠したくなる気持ちもわからないでもない。
「籠の鳥、なんてまっぴらよ。ってさ」
「そっちか……」
 苦笑いを返して、千波は再び視線を落とす。
 リカは非情に目立つ女性だ。会話したこともないけれど、それでも周囲の人間を引きつけて離さないタイプの人間だということは千波にもわかる。もしかしたら聖の片思いだから肯定も否定もしないのかもしれない、と考えて、くすっと笑った。
 氷音とリカの性格は正反対だ。目立たない氷音。忘れられてしまう氷音。いや、むしろ彼女はそれを望んでいたのかもしれない。
 氷音とリカは直接会ったことがない。しかし一度、氷音と一緒に写真屋の外に飾っていたリカの写真を見たことがある。派手でお洒落な服をまとい華やかな笑顔を振りまく彼女を見上げ、野暮ったい制服姿の千波と氷音は顔を見合わせた。
『名空の彼女だってさ、この子。ほんとに同年代? って感じだよねえ』
『ね。でも、千波ちゃんもこういう服、似合うと思うよ』
『ええー、私? 似合わないよお。無理無理、ありえない』
 思えばこの時の氷音は、少し様子が変だったような気がする。笑顔がどことなく悲しげだったような――。氷音も心の底ではリカのような人間に憧れていたのだろうか。自分にはそうはなれないからと、ただ諦めていたのだろうか。
 私はあまりにも、友人のことをわかっていなかった……。
「着いたよ」
 聖の声に顔を上げる。
 車が停止するのを待ってドアを開けると、確かに川の音がした。目の前には背の高い草が茂っていたが、聖は慣れたふうに掻き分けて歩いていく。
 そこを抜けると大きな川が横たわっていた。力強くて激しく、ごうごうと叫んでいる。
「こんな大きな川だったんだ」
 氷音のイメージをしていたから、もっと慎ましやかな小川かと思っていた。そう告げると聖は肩をすくめさせて笑った。
「小学生のとき、社会の授業で県内の川覚えなかった?」
「知らない。やってない」
「絶対やってるって」
 会話が途切れると、水の流れる音が心地よく耳に入ってくる。
 ここで……氷音川で拾われた、神林氷音。そんな昔話みたいなことが本当にあるのだろうか。
 氷音は今、どこにいるのだろう。進学した大学の場所を考えると、きっとここに住んではいない。今ごろ私たちのことなど忘れて、新しいまっさらな大学生活を楽しく送っているのだろうか。
「……私さ、氷音のこと、何も知らないんだ」
「……」
「何を考えていたのかとか何を思っていたのかとか、噂が本当なのかどうかさえ、私、何も知らないんだ」
「……千波」
「私たち……友達、だった、よね……」
「神林さん……どうかしたの?」
 千波が黙り込んだ。こういった時、聖も無理には聞こうとしない。二人は何も言わずに、しばらく夜空を見上げていた。
「……連絡つかないんだ。氷音」
 重々しく発せられた千波の声に、聖は目を細める。
「そうなんだ……」
「全然メール返してこなくなった人は他にもいるし、携帯水没させてデータ飛んでたーとか大分後になって言ってくる人もいるんだけどさ。なんだか……どうしてだか、嫌な予感がして」
 溜息をついて足元の小石を拾い上げる。川に向かって投げると、ポチャンと可愛らしい音が響いた。
「……千波のカン、当たったためしがないじゃない。大丈夫だよ」