アシタのソラ
「だって、そんなのダメだよ。亜紀ちゃんが少しでも他の人と話す機会を持って欲しかったんだ」
なんてお人好し。そんなことのために、この食事会を、友達関係を台無しにして。
「だから、それが迷惑なの。放っておけばいいじゃない、わたしのことなんか」
「迷惑ってなんだよ。俺は、亜紀ちゃんのためを思って・・・・・・」
「だからそれが迷惑だって分からないの?」
その気持ちは迷惑なんかじゃないよ、翔太。ただ、こんなわたしのためにすることじゃないんだよ。自分を大切にしてよ。わたしじゃなく、自分を。
「分からない。俺は自分のしたことが迷惑だったなんて思ってない」
だから、わたしに迷惑なんじゃなくて、あなたに迷惑をかけてるのよ。あなたの友達にも。それが堪らなく悔しいの。申し訳なくて、仕方ないの。
わたしはいてもたってもいられず、引き止める翔太を無理矢理振り払って自分の部屋に閉じこもった。他人に迷惑しかかけることのできないダメなやつ。やっぱりお前はいらないね。あの男も友達を無くしてさぞ悲しいだろうよ。分かってるよ。ならどうして今すぐいなくならないのさ? 早くいなくなった方が世のためだ。誰にも相手にされない人間。何もできない人間。何もできないくせに、迷惑だけは一人前にかける。言わないで。人とうまく会話すらできない。今日だって、お前がいない方が楽しかったのは目に見えているだろう。嫌。言わないでよ。いいや、いくらでも言ってやる。早くいなくなれ。お前みたいなクズは生きてるだけ無駄。生きてるだけで迷惑。嫌だ。もう言わないで。
「やだやだやだぁ!」
わたしは何かを振り払うように大声で叫んだ。頭の中に白い文字を作っていた蛾たちが、ぐるぐると飛び回り始めた。
「何でわたし生きてるの?わたしなんかが生まれてきたの?どうしてよ!」
その声に驚いたのか、翔太が急いで部屋に入ってきた。今度はノック無しだった。
「わたしなんかいない方が、今日だって楽しかったんでしょ?友達と喧嘩して悲しいでしょ?」
「そんなことないから!わたしなんかなんて言葉、使うなよ」
「わたしなんかだもん。それ以外にないもん」
お前なんか。お前なんか。ああ、白い蛾たちさえも、そう言っている。そう言いながらぐるぐる飛び回っている。
「もうやだ!わたしを見ないでよ!偽善ばっかりならべないでよ!」
白い蛾の鱗粉が内臓に降りかかる。気持ちが悪くて、また吐きそう。自分の叫び声が、遠くの方から聞こえる。わたしが叫んでいるのに、わたしは今ここにいない。
この家は、もともとわたしの父のものだった。しかし、父も母も共に浮気をし、離婚した。それぞれがそれぞれで新しい生活を望み、わたしは邪魔になったのだ。だから、この家をわたしに譲り、毎月の生活費を二人は口座に入れてくれている。わたしは両親にいらない子の烙印を押され、一人で何もせずにここで暮らしている。いや、暮らす破目になっている。それがわたしが十九歳の時だから、もう四年間、こんな生活をしていることになるのだ。こんな生活、そう思うことで自分を甘やかしている部分もあるが、なるべく見てみないふりをする。正面から見てしまうと、本当にわたしはバラバラに砕け散ってしまいそうだからだ。
そりゃ同世代の子と上手く話しが合わなくても仕方ない。生活に必要なものを買うとき以外で外に出ることなど滅多にないし、どこにも所属していないわたしは誰かと会話することもほとんどない。四年間、この部屋と、分裂した自分と、果物と野菜だけで生きている。
初めの一年間は、誰かが助けにやってきてくれるのではないかと淡い期待を抱いたが、そんなことは一度も無く、まるで真っ暗な穴の中をさまよう様に、今の今までやってきた。今更、心配だの、放っておけないだの言われたところで、何も理解できない。どうしてわたしなんかを心配するの? いらないわたしなんかを心配したところで、何も出てこないんだから。
次の日の夜、翔太はわたしの大好きなスイカとキュウリとセロリを買って帰って来た。そして、それらを切って野菜スティックのように飾り付けて、わたしの部屋へ持ってきた。わたしはそれを無言で食べた。食べ終わって一息つくと、やっぱりシェアはやめない? と話を切り出した。
「どうして?昨日みたいなことはもうしないよ。もう少し、亜紀ちゃんのこと考えればよかったって、反省したよ」
「それもそうだけど、優しくて、友達がいて、ちゃんと働いて、ちゃんと生きてる人を見てると、なんていうか、我慢できなくなりそうなの」
そう。イライラする。わたしには持ってないものを持ってるから。羨ましくて我慢できない。
「亜紀ちゃんだってちゃんと生きてるじゃん」
「ちゃんと生きてない。生きる必要ないもん、わたしなんか」
必要ない。わたしがいなくなって困る人間はいない。友達も彼氏も親もいない。むしろお金を振り込まなくて済むから、両親にとってはラッキーじゃないか。わたしが死んだらラッキーか。幸運か。そうかそうか。
「だから、どうしてそんな風に物事を考えちゃうの?」
そんなの、わたしが一番知りたい。
「分かんないけど、わたしなんかと一緒にいない方がいいの」
「俺には、亜紀ちゃんが寂しそうに見えたから、だから誰か一緒だったら少しは気が紛れるかもしれないと思ったんだ」
寂しそうって何? 同情のつもり?
「わたし、寂しくなんかないから」
「・・・・・・そう」
そう一言だけ言って、翔太は部屋から出て行った。パタンと扉の閉まる音が、やけに大きく響いた気がした。下に目を向けると、野菜スティックが入っていたお皿が床に転がっている。それを見ると、急に涙が溢れた。翔太はなにも悪くないのに、こんなに世話を焼いてくれているのに。昨日だって、きっと良かれと思ってしてくれたことなんだ。それをわたしが自分自身で台無しにしておいて、責任を擦り付けて、最後には羨ましいからあなたに我慢できないなんて、あんまりだ。本当にわたしはクズ人間だ。あまりに情けなさすぎて、涙が止まらない。
滲んだ目で白い天井を見上げると、それは半透明な雲のようだった。まばたきをする度にその雲は表情を変え、今にも落ちてきそうだ。ああ、空が見たいよ。翔太の歌声で、青空が見たいよ。わたしの前で歌ってよ。
「翔太!」
扉を開け、家の中で何度も彼の名前を呼んだ。だけれど返事は返ってこない。彼の部屋も、リビングも、お風呂もトイレも見て周ったけれど、彼の姿はどこにもなかった。
わたしはトイレの前に脱力したまま座り込んだ。まるで体中が空洞になるようだった。何も、わたしの中には何も入っていない。全て無の世界に吸収され、何も残っていない。空になった体と心で、呆然とその場に座ったまま、思考すらも停止してしまった。