アシタのソラ
「今度の日曜だけど、前にルームシェアしてた友達にこの家のこと話したら、是非彼女と一緒に遊びにきたいって言うんだ。亜紀ちゃんが嫌なら断るよ。でももしよければ、みんなでここで夕飯でもどうかと思って。もちろん俺が夕飯作るから、そこは安心して」
彼はなんと料理も上手い。いやしかし、今の問題はそこではない。
「話したって、わたしのことも話したの?なんでここに住む破目になったのかも話したの?」
わたしは焦った。自分のことを他人に悟られるのは嫌いだ。
「いや、そこは嘘付いといた。友達の紹介ってことにしてあるから安心して」
「なら、いいけど」
「じゃあ、呼んでもいい?」
「うん、いいよ。わたしが部屋から出ていくかは分かんないけど」
わたしが少し意地悪にそう言うと、彼は優しく微笑み、気分が向いたらでいいよ、と声をかけて部屋から出て行った。
他人が家に入るなんて何年ぶりだろう。翔太のように一度でも会話を交わした人間ならともかく、本物の他人だ。大丈夫だろうか。でも、翔太の友達だっていうんだから、きっといい人に違いない。うん。そうだ。きっとそうだ。
わたしはそう自分に言い聞かせ、彼が用意してくれた野菜スープを温めて飲んだ。
それから数日が経ち、日曜になった。わたしは緊張のあまり少し吐いてしまい、彼に心配をかけたが、ひとしきり吐いてしまえばその緊張もだいぶ収まった。
家のチャイムが鳴り、彼は友達とその彼女を迎え入れた。わたしはニコニコしながらリビングの椅子に人形のように座って待つことにした。彼の友達は、わたしが想像していたよりもかなり派手な身なりだった。黒のタンクトップにジーンズ。首や腕にはシルバーのアクセサリーをジャラジャラと着けている。対照的にその彼女はというと、水色のワンピースを着たとても清楚なお嬢さんだった。わたしはびっくりして挨拶をするのを忘れていると、翔太がすかさず紹介してくれた。
「俺の友達の亜紀ちゃん」
わたしは急いでおじぎをして、よろしく、と一言だけ彼らに告げた。
「俺は田辺裕二。これでも一応、服のデザイナーやってる。そんでこっちが小野詩織、俺が通ってた美大の後輩」
詩織というしおらしい名前がここまで似合う女性を未だかつて見たことが無いと思いながら、わたしは少し怖気づいた。デザイナーに美大生。ああ、遠い遠い国の人間様だ。
紹介が終わると、二人は一緒におじぎをした。そして、何やら不思議な食事会が始まった。
翔太がサラダと鳥肉のトマトソース荷込みなる料理とフルーツの盛り合わせをならべ、いつの間にか用意してあった赤ワインを開け、みんなでそれらをつつきながら話をした。
翔太と田辺君は同い年で、詩織ちゃんは彼らの三つ下らしい。ということはわたしの二つ下だ。それなのに、とてもしっかりして見える。
「てか翔太、お前いつの間にこんな可愛い彼女作ったんだよ?」
「いや、彼女って訳じゃないんだけど・・・・・・シェア仲間?っていうのかな」
「本当か?怪しいなぁ。なあ、詩織」
「うん、怪しい。だって一緒に住んでるわけでしょ?」
この詩織という女、意外とはっきりしている。男は見た目どおりだが。
「だから違うってば!」
翔太の微妙な笑い具合が余計に怪しいので、わたしはこの話題には無表情で無言を決め込んだ。すると空気を察したのか、客人二人はこの話題に触れなくなり、映画や音楽などの世間話をし始めた。
「亜紀ちゃんはどんな音楽を聴くの?」
どんな音楽を聴くの? 田辺君の質問をもう一度頭の中で復唱してみたが、自分がどんな音楽を聴くのか、どんなに考えても出てこなかった。なぜなら音楽は好んで聴かないからだ。わたしが答えられずに顔をしかめて考え込んでいると、
「じゃあ、今何のテレビ番組見てる?わたしは月九にはまってるよ」
今度は詩織ちゃんの質問が飛んできた。しかしわたしにはテレビを面白いと思えるだけの余裕と感性がないので、これも黙りこくってしまった。しばらくの沈黙の後、わたしへの質問は完全に空気に同化して消え、また笑い声と共に彼らは会話を再開した。
あまりにもわたしが話題に着いていけないものだから、次第に会話は客人二人と翔太とで盛り上がりを見せ始めた。
「ねぇ、亜紀ちゃんも一緒に交ぜて会話しようよ。これじゃあ今までの俺達と同じじゃん」
黙りこくるわたしに気を遣ったのか、翔太が少し怒り口調で彼らに言った。
「それはそうなんだけど・・・・・・だって」
「・・・・・・ねぇ」
客人二人は気まずそうに顔を見合った。
「亜紀ちゃんに何聞いても全然喋んないし」
田辺君がチラチラと詩織ちゃんを見ながら鶏肉のトマトソース煮を口に運ぶ。
「正直言って、つまんないんだもん」
詩織ちゃんがわたしを上目遣いで見ながらそう言った。
やはりこの女ははっきりしている。隣にいる男が言いにくいことをさらっと言ってのけた。そうだよ、わたしはつまんない女だよ。
「つまんないって、せっかく新しい家で新しい友達とこうやって話しをするんだから、もっとみんなで楽しくやろうよ。亜紀ちゃんが可哀想だよ。亜紀ちゃんもちょっと緊張してるんだよ。ねぇ?」
翔太は自然体そのものの顔と声でそう言って、わたしの顔を覗き込んだ。
「いいよ。そんな気を遣わなくても」
わたしは目線を下にやりながら唾を吐くように言った。
「俺は気を遣ってるわけじゃ」
「ほら、亜紀ちゃんも別にいいって言ってるんだから、このままわたし達で楽しくやればいいじゃない。無理に会話に引っ張り込むことないのよ」
翔太の声を割って詩織ちゃんがツンケンした口調でそう言った。どうしてこの女が翔太にツンケンした態度を取るんだ。
「よくないよ」
突然、翔太の声が大きくなった。でも、もう止めてほしい。
「だからわたしはいいって言ってるじゃない、みんなの話を聞いてるだけでいいから」
「ほら、いいって言ってるじゃん、もうよそうぜ」
面倒くさそうに田辺君はまだ鶏肉をつつきながら言い放った。
「よくないって。そんなのよくない」
翔太の発言で、さらに場の空気が悪くなる。淀んでいくのが分かる。
どうしてわたしのためにそんなこと言うのよ。三人で仲良くしててくれればいいんだから。どうせわたしは会話にならないんだから。馴染めないんだから。
苛立った空気がピリリと辺りを漂った。
せっかくの友達なのに、こんなわたしのために関係をこじらせてどうするのよ。
「もういいから・・・わたしはみんなの面白くもない会話になんか加わりたくないから」
ああ、言ってしまった。その途端、一気に客人二人の顔つきが変わった。
「分かったよ。いいよ、もう帰ろうぜ、詩織」
「そうね、そうするわ」
二人はつまらなそうに席を立ち、こちらを一瞬睨み、そしてそのまま無言で家を出た。
翔太は少し怒った顔つきで扉を眺めてため息を付き、次に優しい顔をしてわたしに、ごめんね、と謝った。
どうしてあなたが謝るの。悪いのはわたしでしょ。友達と喧嘩してまで、どうしてわたしに気をかけるのよ。そんなの理解できない。
「なんであんなこと言ったの。わたしは別にあのままでもよかったのに」