すれ違い電話
西央のシーズンはリーグ2位という成績で終わった。4年連続の2位、今期はキッキングチームの調子がよく優勝を確実視されていただけにショックは大きかった。たった1回のミス、それがシーズンの明暗を分けた。
玲士たち4年生はチームを引退し、年も明けた。一方の東鳳大学は翌年初頭の大会において社会人までも打ち破りその勢いは大きく開くばかりだ。
あの日から玲士はふさぎこむようになり、学校にも顔を出さなくなった。理志や宗輔などチームの仲間も励ましてはくれるが、どうしてもその気になれず時間だけが過ぎ、そのまま卒業の日を迎えることになった。
3月も末ごろ、玲士はお世話になったフィールドに始めて戻った。あの悪夢の日から再びここに戻ってくるまでそれだけの時間を要した。吹っ切れたわけではない、でも前に進まなければならないこは痛いほど分かっていた。
フィールドにあいさつをしたあと、玲士はすぐ横の下宿に戻った。玲士は今日でここを離れるのだ。思えば4年間、良い状態の時も、そうでない時も一日たりともフットボールが頭から離れることはなかった。しかし、思い残すところは一杯ある。最後の1プレー、4年を総括するにはあまりに酷いものだ。他のすべてのプレーを足してもあの1プレーのほうが印象に強く、そして、重い。
かつての相棒である理志や宗輔たちは一足早くこの地を去った。大学を卒業すると方々へ散ってゆくのは分かっていたが、いざその日が来るとやっぱり寂しい。
「今日で終わりだなあ、ここも」
玲士は最後の段ボールに封をすると、一息付いて窓の外を眺めた。その向こうから大きな声と、時折宙を舞う楕円形のボールが見える。キッキングプレーの練習である。ここからフィールドは見えないがキックの練習の時は建物より高くボールが空を飛ぶからだ。
「さて、と」
玲士は実家に帰ることにした。フットボールに明け暮れて、ろくな就職活動をしなかったこともあり卒業をすることはできたがこの先の進路はない。OBの伝を頼っていくこともできたのだろうが、去年の試合が引っ掛かってなかなか自分から言い出せないでいた。
玲士は窓を閉めようとすると、足元にあった電話機を蹴飛ばしたことで、この部屋に電話機があることに気づく。
「あ、いけねえ、……あれ?」
部屋の端っこに飛ばされた電話機は受話器がはずれ、だらしないかっこうでひっくり返っている。
「さっき積んだと思ったんだけどなあ」
やれやれと思いながら玲士は駄々っ子のように寝ている電話機を元に戻すと、一点だけがコチコチと点滅している。留守番電話の録音があることを示すランプだ。
玲士は咄嗟にボタンを押した。思えば携帯電話を持つようになり、この電話はほとんど使う機会はなかったし、大学で知り合った友人にはここの番号をほとんど教えていない。なので滅多に鳴ることなんてないのに最後の最後でメッセージが届いているのに思わず玲士は、
「お疲れさん、お前も出番少なかったけど最後に仕事してくれるんだな」
と労いながら自分の4年とダブらせながら点滅するボタンを押した。
「おお、玲士か?ワシじゃ」
「じいちゃん……?」
玲士は驚いて両手で電話機の脇を抱えた。再生されたのは一昨年に亡くなった祖父の声だからだ。
「どうじゃ、部活頑張っとるか?」
留守番電話の伝言はテープで録音される、そう言えば留守番電話の録音は消した覚えがない、というよりそれほど留守電にメッセージが入る機会が無かった。いつかは不確かだがテープを巻き戻したことがある。過去の伝言がたまたま再生されただけだろう。そう考えれば祖父の懐かしい語り口は徐々に玲士の気持を落ち着かせていた。フットボールに捧げた学生時代、いろんな出来事がありすぎて伝言の内容や詳細なんて覚えていない、記憶の枠を超えてしまったそれなのだろう。玲士には初めて聞く伝言だった。
高校を出るまで同居だった祖父。大学入学のため故郷を離れるとき一番心配、かつ応援してくれたのが祖父だった。内孫でしかも男子は玲士だけ、それだけに姉がやきもちを妬くくらいいつもかわいがられ、多少のわがままは何でも聞いてくれた。そしてひとり万歳三唱で実家を送り出されたのが4年前、いまでは本当に懐かしい記憶だ。
「これからも大変なこともあるんじゃけんど、
わしゃいつも玲士を応援しとるでな」
それから、怪我でシーズンを棒に振った2年生の秋に祖父は亡くなった。最期の時は知らせを聞いて急いで実家に帰り最期の最期で会えたことを思い出させ、自然とポロポロと涙がこぼれてきた。
「お前は人がいいから何でも遠慮しがちじゃけど、
本当に思ってることは譲っちゃあ、いかんぞ」
いつ吹き込まれたメッセージなのかはどうでも良かった。今の玲士の心の一番深いところまで十分に到達している。受話器をもつ手から汗が噴き出している。
「ありがとうな、ありがとうな」
お礼を言うのはこちらの方なのに、最後にお礼を言われてメッセージは切れた。昭和の古い人なので、携帯電話はもちろん留守番電話の使い方もよく分からなかった祖父。最期のお礼でもう一度祖父の最期がフラッシュバックした。あの時も玲士はお礼を言われた、
「何いってるんだよ、お礼なんかいらないよ」
それが最期に交わした言葉だった。本当に思っているのは「僕もありがとう」だった。それが言えなかった。あのまま逝って欲しくないのが本音で自分本位な言葉が出た。あの時、祖父の気持ちを考えればそう言うべきだった。
生まれてから今までが脳内で一気に高速再生された。まとめきれない記憶の束に打ちのめされて、玲士はその場で時間を忘れて泣き崩れた――。
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