すれ違い電話
吐く息が白くなるほどの冬の朝。一人になった実乃梨は下を向いてトボトボと通りを進んだ。時おり上を向いて白い息を散らすと日の光に照らされてキラキラと舞っては消える。これから果たす仲人という大役。帆那たちのなれそめを思い出して、なぜか自分と玲士とのキッカケがフラッシュバックした。
自分と玲士を繋げたキーワードといえば、
遅れて届いたメッセージ
だ。その事を考え始めると、自然と脳がこれまで自分が歩いて来た記憶の道を順繰りに戻る作業を始めていた。
一歩進むと自分が一日、いや一月、一年かもしれない時間が頭の中で戻って行く。その途中で、一歩記憶の足跡を飛び越したことに気づきふと後戻りしたところに忘れた記憶の空間を見つけた。
夫がそうだったように、そう言えば自分にもまだ返していないメッセージがある。
「ああ、そういやそんな事あったわねぇ……」
実乃梨の口から自然と笑みが零れると、本当の用件を忘れ、穴の開いた記憶の隙間を探す旅に出ようと通りに向けて足を動かした。
実乃梨は考えた。その隙間を埋めるものとは真逆に近いことばかりが思い浮かぶ。家事に仕事に育児に――、日常の業務に忙殺されて普段の事しか思い浮かばない中にやって来た、これから新しいスタートを始めようとする帆那たち。
結婚式の前日?いや、その事ではない。
他にも遅れてきた伝言を受けたような記憶が頭の片隅で残っている――。
そうだ!それよりも前だ。
実乃梨は隙間の何かがモヤモヤと見えてきたと思いながら下を向いて通りを道沿いにとぼとぼ歩くと、無意識に歩道の石ころを蹴飛ばした。蹴られたそれはコロコロ転がって車道の縁にたっているゴミ箱に当たるとガンという音を鳴らして車道にコースアウトし、通りを走り抜けるトラックに踏まれて一瞬で姿を消した。
「あ……」
実乃梨は音のした方に目を上げた。靴の先に見えるのは、へしゃげたゴミ箱。そして、その先にあるキレイに掃除はされているがこの街の風景とマッチしていない古びたそのたたずまい。
どの道を通ってここへ来たのか覚えていない。しかし、店の看板と欄間に彫られた三匹の猿を見て実乃梨は記憶の路地裏に紛れて隠れた何かを思い出し、看板の文字を読んでつぶやいた――
「三猿堂だ――」
何かの偶然だろうか、ここへ来るときはいつだってそう。探しても見つからない、この町を考えずに、または他の事を考えながら歩いているとそこにある。実乃梨は欄間からこちらの存在を認識している三匹の猿に誘われるように、迷わずに三猿堂の戸をゆっくりと引いた――。