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すれ違い電話

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八 本当に思ってることは譲るな



 試合は終わり、玲士は実乃梨を連れて店に戻った。
 店は一応開けているものの、休日のこの時間はあまり客は入ってこない。玲士は店の方から中に入ると店番を任せていた帆那が客のいない店でせっせとカウンターの中を掃除していた。
「いらっしゃいませ……、あ、マスター」
 帆那は店主の顔を見てニコッとしたのち、後ろにいる知らない女性を見て動きが止まった。
「いらっしゃい……ませ」
「あ、帆那ちゃん?」
こくりと頷いた帆那を見て実乃梨も頷いた。帆那はその直後にカウンターから奥に入り姿を隠した。

「ごめんね、とにかく座ってよ」
玲士はカウンターの席を実乃梨に勧めると、誰もいなくなったカウンターに入った。脇から今しがた入れたコーヒーの匂いがじんわり漏れてくるように発生し、二人だけになった狭い店を包んだ。
「なかなかお洒落なお店じゃない」
実乃梨は店内をぐるっと見回して、店の奥にあるフィールドゴールを狙うパネルのところで目が止まった。
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
 話題が途切れてお互いの声が止まると静かなピアノのBGMと沸かした湯が沸騰する音が聞こえる――。

「マスター」
 奥の戸が開き、帆那が戻ってきた。
「あたし……、買い物、行って来ますね」
「ああ、気を――つけてね」
 店のがま口を胸の前に持って、ちょっと上目遣いで玲士と実乃梨を見ながらそう言うと、足早に前の入り口から出ていくと音楽は次の曲に変わると、二人は互いに次の話題を探っていた。

   * * *

「今の彼女?」
「違うよ、バイトの子ですよ」
「帆那ちゃんって言うんだ」そう言って玲士は目を逸らした「現役の大学生(後輩)なんだ。まあ、あの子が客を呼ぶから僕的には助かってるよ」
「そう……」
 逸らした目で実乃梨の顔をチラ見すると続きは言えなかった。帆那との関係はそれだけではなかった。しかし、付き合っている訳ではない。
 懇願された玲士は断ることが出来なかった。帆那自身が望んだことだ。叶わないものを乞う者どうしが互いの傷を慰めあうように、二人は一度だけつながった事がある。それが正しいことだとは思っていない、それはふたりだけの間でこれから誰にも知られない秘密として残っていくものだ。
「毎日、楽しいかい?」
 玲士からは思わずそんな言葉が出た。彼女から無意識に見えてしまう雰囲気を察すればそう思わないのを直感したからだ。化粧はあまりしておらず、どこか影があり、カップに伸ばした左手を見ると指輪をしていない。
「ごめん……」
 答えなくても感じた失言。玲士は出した言葉をすぐに引っ込めた。
「ううん、いいんだよ」
視線を逸らしてクスッと笑う実乃梨。玲士はその仕草を見て10年前の記憶がほんのりこぼれるように見えた。
「もうちょっとだけ早くに来ていたら、良かったのかもね」
「……それは?」
「ううん、こっちの話、気にしないで」
 彼女を知っていないと分からない程のワンテンポ遅れた反応に実乃梨の陰の部分が大きくなったように見えた。

「結婚……、してんだよね?」
「――ええ」
 実乃梨の反応はやっぱり一瞬遅れている。うつむいてカップに口を付ける彼女を斜め上から見ながら、あの時から今までの、毎日のように顔を合わさなくなってからの彼女を自分の知る情報から想像してみた。
 元々が良家のお嬢様育ち、何の不自由もなく就職し、そして玉の輿に乗って悠々自適な社長婦人であるはずだ。
 ――なのに、冷静になって今の彼女の容姿を見るとその肩書きと経歴は少し違う、むしろ学生のあの頃と大きく変わらない、飾りっ気のないシンプルなかっこうをしている。でもその格好は本人を前に言えないが決してマッチしておらず、やつれた子犬のようだ。

   「これで、いいのか?」

 頭の中の自分が自分に問いかけてきた。目の前の実乃梨は明らかに幸せとは逆のオーラが見える。
「でも……」内側の玲士が外側の自分に呼び掛けた

   「お前に何ができる?」

答えが出ないまま時間だけが流れた。ポットの蒸気とコーヒーの薫りがエアコンの風に乗って二人の間を通り抜けた。

「そろそろ、時間がないので――」
間合いを切ったのは実乃梨の方からだった。玲士の知る実乃梨なら、概して受けの方だった。彼女から切り出した事に玲士は自分の記憶と彼女の今を擦り合わせてその意図を悟られないように探ってみたが、結局何もわからなかった。
「え?あ、ああ……」
自分の中からこぼれた白旗。実乃梨にはどう映っただろうか。目を合わせられずシンクに目を逸らせた。
「また……、来てもいい?」
玲士はうつむいた頭を挙げた。
「しばらく実家に、いるんだ」
「そう――なんだ」
 実乃梨がここまで自分の今を切り出す意味がおぼろ気に見えた。玲士は目線をあげて実乃梨のグラスに水を注ぎ足した。続けて実乃梨は何か言おうとしていたが、それを言わせる自分が許せず彼女に強がって見せた。
「なんにも言わなくて、いいですよ」
彼女は明らかに何かを決意している目をしていた。しかしそれはあまりにも急であるし、それが正しいならば自分から決着をつけるべきだ。しかし、玲士にも準備と一抹の躊躇がある。
「また、来てください。僕は、いつでもここに、いますから」
「ええ――」
実乃梨は去り際にニコッと笑った。お互いに何も言わなくてもそれが意味することがわかった。だから玲士は実乃梨を止めることはなかった。

 初めて会ったその時からすでに10年を超えた。即決を好まないのは変わっていないが、お互いに年を重ねて慎重になっていた――。

作品名:すれ違い電話 作家名:八馬八朔