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すれ違い電話

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 実乃梨は夫の帰宅を待っていた。夫に悟られまいと自分の内側でうごめくもう一人の自分を縛って張り付け、いつもの作業でいつもの支度を整えた。
 夜も更け、夫は今日は秘書と食事を伴う会議に出ると聞いている。
「いつも悪いね。先に寝ててください」
という心のない事務連絡という名のメールを受けて実乃梨は一人、ベッドの中でくるまって機をうかがっていた。

   * * *

 日付も変わった頃、帰宅した駿哉は静かに部屋に入ってきた。実乃梨はその音を聞いて、真っ暗な部屋の中で目を開けた。シャワーを浴びたあとの臭いにほんのり混じるアルコールのにおい。それが内と外を分けるために故意に付けたそれと思うと実乃梨の目は睡魔を打ち破り、逆にギラギラと見開かれ出した。

 駿哉はこちらの様子をうかがうことなど無く隣のベッドに入った。明日は早朝から出勤ということになっている。実乃梨は横に眠る夫の動きが完全に止まるのを息を殺して待ち続けた――。

「あなた……」
 夫が寝息を立て始めたのを見て実乃梨は一瞬の隙を突いて駿哉のベッドに潜り込んだ。
「どうしたんだい、いきなり」
反射的に実乃梨に背を向ける駿哉、それを見越した上で実乃梨は手を止めずに腕を夫の肩に回した。
「なぜ……、なぜ私を……」実乃梨はそのまま後ろから駿哉に抱きついた。そして回した腕で強く締め付けようとした「抱いてくれないのですか?」
「それは……」咄嗟に後ろを取られ無抵抗の駿哉、それでも首を少し後ろに回して落ち着いた声で答える「疲れてるんだ。明日に、してくれないか」
「わかりました。ただ……」実乃梨は回した腕を払ってベッドから下りて、脇に置いていた今日の昼に喫茶店で手にした資料を見せつけた。
「これを、見てくれませんか」
「これは……」
「本当は、こんな手段取りたくなかった……」実乃梨の手から写真がハラハラと舞い落ち、最後に撮られた街灯の下のそれが二人の間で目に入る。
「それでも私は……、私は信じていました。貴方が私を一人の女性として愛していることを……」

 お互いの言葉が止まり、重苦しい空気が二人を押さえ付けて時間が流れた。胸の内での駆け引き、言葉を探しあう――。
「ああ、そうだ」駿哉が沈黙を破り、背を向けてベッドに腰を掛けた「僕は、女性を愛せないんだ……」
暗い部屋でも実乃梨には夫の表情が分かる。外では大会社の重役を任され精力的に動き回る彼の姿であるが、今この時この場所で、小動物のように小刻みに震えるようにオドオドしている姿がここにある。実乃梨の中にずっとあった1パーセントの不安が逆転された瞬間がまさに今だった。
「なぜ……、私を?」
「君なら、それを受け入れてくれる。そう思っていた」一瞬の隙を突いて駿哉は妻から視線を外して後ろを向いた「君はこんな僕を軽蔑した目で見るのだろ?」

 本当のことを吐露した夫を前に、怒りという気は起こらなかった。実乃梨と同様に、むしろ今までずっと我慢してきた様子が言葉にしなくてもわかる、同情に似た感覚を覚えた。
「私は……、今まで本当のことを隠してきたあなたが信じられないのです」逃げようとする夫の手を捕まえ、ちからいっぱい握りしめた。
「好みの問題じゃ、ない。これまで、体裁のために私をそばに置き続けたことがくやしいのよ」
 実乃梨は自分でも信じられないくらいに感情をむき出した。今まで上手に封じられてきた感情の鎖が封じてきた側の放棄によって現れ、今日までに集めた資料が広い寝室に撒き散らされた。
「実乃梨さん、こちらからも言わせてもらおう」
 駿哉は取られた手を振り払った。今まで出されたこともない強い力に実乃梨は一瞬後ずさりした。
「君は純真だ。こんな僕でも今まで一緒にいてくれた。でも、僕には見えるんだよ」
「何が?」実乃梨はおどけて見せるもすべてを見透かされているのは明らかだった。こちらから言うこともできるのだが?口にする前に駿哉の口が開いた。
「君にだって、僕とは違う人が君の中にいる」
 実乃梨は言い返すことができなかった。努めて思い出さないようにしていた見えない影、それは光源に立つ夫から見た方向からいつも自分の後ろに有ることをここで告げられた。否定はしない。しかし、それは今何の繋がりもない。夫も夫でその存在をずっと知っていたのだった。
「いいよ……君の言いたいことは分かった。好きに考えるといい。ただ、今日は一人にしてくれないか……」
 冷静さを取り戻した駿哉はクローゼットから上着を出して羽織ると部屋を出た。実乃梨に止める力はなかった。というより、知らない内に抵抗する力を奪われているのだ。
 そして一人になった広い寝室の隅っこの壁にもたれて座り込むと、外から車のエンジン音が遠くへ離れて行くのが聞こえた――。

作品名:すれ違い電話 作家名:八馬八朔