すれ違い電話
五 40yds.
玲士はあれからもう一度職と経験値を求めて日本を発った。それから5年の歳月が流れ帰国後貯めた僅かな資金で一念発起して小さな飲食店と、それに併設で海外生活の経験とインターネット環境を生かして海外雑貨の小売店を始めた。場所は母校の大学の裏の裏筋のひっそりとしたところ、主が廃業して使われなくなった古い店舗を借り取った。僅かな起業資金ではこれが精一杯である。
しかしかつての仲間や先輩、そして大学のすぐ裏にあるという地の利を活かし、それでも何とか食べて行けるだけの儲けは確保できている。店の名前は「40yds.」自分の背番号と、学生の頃記録したフィールドゴールの最長設置点とをかけたものだ。
* * *
秋のリーグ戦も中盤に入った天気のよい秋の日の休日、後輩の指導に来た理志と宗輔が練習後に玲士の店を訪ねて来た。昔話に花を咲かせると思いきや理志は玲士の横でせかせかと働いているバイトの女の子に注目して目を離さない。
「ゼロさんもいい看板娘雇って、商売も繁盛だな」
「はは、でもこの子が客を呼んでくれるのは当たってるよ」
「やめて下さいよぉ、調子に乗っちゃうじゃないですかぁ」
玲士と並んでカウンターに立つ蓮井帆那(はすい はんな)は玲士の肩を叩き、もう片方の手で口を押さえて笑った。
「なんだ、夫婦漫才みたいに息ぴったりじゃん」
「おいおい、やめとくれよぉ」
照れ笑いをする玲士はここで一旦話を切ろうと喋り出す。
「帆那ちゃんとは俺と一回りも違うんだ。夫婦というより親子みたいなもんで」
そんな説明を聞かない二人、いじりがいがあると思えばどんどん話を止めない。
「そういう帆那ちゃんは、どうなの?こいついいオトコだぜ、俺たちが勧めるよ」
「だからやめろっての!」
顔を真っ赤にして怒る玲士、半分冗談で聞いているのに帆那は
「私は年上の人、好きですよ。何でも許してくれそうだし……」
「帆那ちゃんまで……」
と答え、横で肩を下げる玲士を除いて店の中に笑い声がこだました。
店内には玲士が現役の頃被っていたヘルメットや青と白の40番のユニホーム。カウンターの奥には当時リーグ新記録となる50ヤードのフィールドゴールを決めたキックの瞬間のパネルが飾られてある。ホルダーはもちろん40番、玲士が学生の頃いちばん輝いていた時のそれだ。プレイ中、ほんの2~3人しか触れることのないボールを写真の玲士はしっかりセットし、キッカーの理志の足が弓のようにしなったところで撮られている。
一人での経営が軌道に乗ったところでアルバイトの募集をしたところ、たまたま客として来た帆那はこの店を気に入りその日にアルバイトすることを決めた。気立てのいい一回生は仕事にも慣れ、店の経営を助けていることは間違いない。
「何でこんな隠れ家的な店どうやって見つけたの?」
「お姉ちゃんの彼氏さまがいるんですよ、選手で。見学に行った帰りに見つけたんですよ、ここ」帆那はそう言って玲士と理志のパネルを指差した「50番でセンターやってるんですよ」
「おお、廉太郎君か?彼は俺と背番号一緒だし、中々筋がいいからよく覚えてるよ」
宗輔が応えると帆那はニッコリと微笑んだ。同郷の知り合いがかつての名選手に名前を覚えて貰っていることが嬉しい。
「現役は輝いていて見てて気持ちいい」
宗輔は大きな体を揺らして笑った。
「あの時は俺達も輝いてたんだ」
今度は理志が壁のパネル写真に目を向けて呟いた。あの時の一生懸命があるから今の自分がある。それは口にしなくてもここにいる者は深く了解していた。
「そうだな、チームですれば何でもできるような気がした」
カウンターに座る宗輔はグラスをおいて天井を眺めた。
玲士の背中が丸くなった。理志も宗輔も学生時代の功労が現在勤めている会社で活かされ、社内でも申し分無いポジションにいる。玲士はそれを知っているから今の自分と比較して負い目を感じずにはいられないからだ。
「輝いている時期ってのは若い時だけじゃあ、ないですよ、マスター」
真横にいたたった一人の従業員は沈みかけた店主の気持ちを真っ先に気付き、丸くなった玲士の背中を帆那が叩いた。
「今は一つのお店をしっかり持ってるじゃないですか」
「ハイッ!」
すると玲士の背中はピョンと真っ直ぐになった。
「やっぱり夫婦漫才になってるじゃん!」
客の二人はカウンターの二人を見て店に再び大きな笑い声がこだました。