すれ違い電話
「いらっしゃいませ」
玲士を迎えたのは口ひげを蓄えた白髪で初老の男性で、若い頃はさぞかしダンディーだったのだろうと思わせる感じの男だ。背筋も身なりもしゃんとしていて、全体から上品なオーラが出ているように感じる。
「何か、お探しですか?」
ジャンルのまとまらない陳列を見回していた玲士は店主に声を掛けられると、本来の目的を思い出し視線を止めた。
「そうだ……、水、ありますか?」
「こちらに」
店主は慣れた手つきで並んだ棚の中からすぐさまペットボトルに入った水を用意した。初めて来た者ならおそらく探し回るだろう、それだけ雑多に物が並んでいて欲しいものがどこにあるのかわからない。しかしこの店主はどこに何があるのかすべて把握しているようで、その動きを見ながら店内をもう一度見回すと、雑多ではあるが陳列している商品の一つ一つはきれいに並んでおり、ホコリひとつ付いていない。
向かいのコンビニにもある銘柄の水がカウンターに置かれた。玲士はお金を払おうとしたところ店主に顔を見つめられた。
「何か?」
と言おうと口を開けようとしたところで、そのタイミングを知っていたかのように店主の方が先に口を開いた。
「何か言いたいことがおありのようで――」
「なんなんだ、この人?」
玲士はジッと見られると何も言い返せず心の中で思った。
表情はしっかりしていて目に嘘も冗談のかけらもなく、玲士を捕らえて離さない。口は真一文字でしっかり閉ざされていて、さっきの言葉さえ口からでなく脳に直接話しかけたかのようだ。玲士の心の中を読まれたかのような気持ちになり、店主の顔をみたまま時間が止まった。
「それでしたら、この電話をお使いください」
「電話ぁ?」全然つながらない話に思わず声が漏れ、時間が動き出すような感じがした。
「はい、左様です」
店主はこちらの反応なぞ全く気にしない様子で話を続け、カウンターの横にある赤い色をしたダイアル式の電話に手を添えてそれを玲士に勧めた。
「はい、この電話は『すれちがい電話』と呼ばれているものです――」
「すれちがい電話、ですか?」
古ぼけた赤電話、ダイアルを回してかけるものであることは玲士も知っている。昔はこれがどこの通りにも見られたものだが、しかし玲士は実際に使ったことは一度もない。
「はい」店主は表情を少し緩ませた「この電話は今ではなくても、相手の気が向いた時に必ず伝えることが、できます」
「今で、なくても?」
玲士は言ってることの意味が全く分からずに視線を電話から店主に移した。
「はい」
「私も機械のことですからよく分からないのですが、案内に従ってください。相手の電話番号とかは知らなくても伝わるようです、必ず」
「必ず……?」
「はい」
玲士は繰り返された単語を再確認した。「必ず」というのがやけに耳に留まる。
「どうされますか?」
玲士は自分の目というより心の中に空いた隙間を覗かれたような気になった。実際問題あり得ない話であるのに店主ができもしないことを言ってるとは思えないほどの真顔が玲士の判断を迷わせる。それが本当であっても、そうでなくても話に乗ってやることに損はないと安い勘定をした玲士は小さく頷いて店主がてにしている赤い受話器を受け取った。
「まあ、伝わったところで何が変わる訳でなし……」
玲士は電話のダイアル下に書いてある番号を回してみた。すると数回のコールのあと、古めいた接続音がした。
こちらは、伝言お預かりサービスです
伝えたいと思う人に一度だけメッセージを
お届けすることができます
ご利用の方は『1』を、そうでない方は……
玲士はアナウンスの途中で迷わず1をダイアルした。
発信音のあとに1分以内にメッセージをどうぞ
受話器からオルゴールの音楽が小さく流れ出した。連絡先も相手も何も質問がない。カウンターの向こうであちらを向いている店主がに向かって
「口ではそう言うけど、これじゃあ伝わりようがないじゃん」
と思いながらも、玲士は半信半疑ではあるがこの時心の無いアナウンスに呼び出されたかのように頭に浮かんだ人物についてのメッセージを考えていた。
ピーッ
始まりを告げる合図が鳴った。玲士は緊張するいとまもなく受話器を耳に当ててとにかく思い付く言葉を考えた。
「本当は面と向かって言いたかったけど、
でも、伝えておきたかったので伝えたいと、思います」
玲士は大きく息を飲み込んだ。
「今日は会えて嬉しかった。そして、
ずっと気になっていた。でも、今の身分では
僕に資格なんて、ない。だから……。
自分の思う一番幸せな選択をして欲しい、
それが僕の望みです」
「それと、知ってもらいたかったんだ。
クーちゃんいがいたから俺、救われた。
怪我して腐った時もあったけど、
クーちゃんがいたから俺……、俺、
最後までフィールドに立てた。
ありがとう、いまさらだけど……
ありがとう、僕には大事な存在です」
ピーッ
受話器の方から一方的に終了を告げる音が鳴った。玲士は受話器を耳に当てたままカウンターの方を向くと、その音が聞こえたかのように店主がこちらを振り返りった。
「よろしいですかな?」
「はい……」
後悔はない。そもそも本当に伝わるかわからない上、伝わったところでそれを確認する術などないのだから。
玲士の左手に握られたままの受話器から小さなアナウンスが漏れてきた。
メッセージをお預かり致しました。