すれ違い電話
約束をした週の土曜日、町に繰り出した玲士はいつもの待ち合わせ場所に向かった。いつも時間通りに着くのは玲士、時間よりも前に来るのが宗輔だ。本人の性格を表すように、彼らはチームを組んで以来この順番は変わらない。さらに言えばラインマンである宗輔が先にいると頭一つ出ているので人混みの中でも難なく見つけられる。
「久しぶりじゃん、トビー」
その大きな背中を見て玲士は後ろからタックルをかまして見せた。すると体の大きな宗輔は一瞬うろたえるふりをしたが全く動じない。
「さすがは今も現役」
玲士はそう言って久々に会った戦友の手を叩き、公私にわたりほとんど見せる機会のなかった笑顔を宗輔に見せた。
「まだか、あいつは?」
「ああ、6時っていったから一応35分前に来たのだが」
「ってことは5分前か、今日は遅かったんだな」
お互いに笑いあって手を叩く。話のテンポは離れていてもすぐにつかめることが玲士は嬉しい。
「おーい、トビー、ゼロさん!」
人混みの中で遠くから手を振って近づいてくる人が見える。キッカーの理志だ。彼の6時は6時半、定刻より10分も早くの到着だ。
「待った?今日は早めに来たけど」
「6時20分、確かに早めだ」
「今日はどうしたんだ……ん?」
集合場所に到着した理志と今度結婚することになるゼミ友の響子を見て宗輔に続いて玲士は差しのべた手を取ろうとしたところ、遅れてやって来たお相手を見たところで手が完全にフリーズした。
「ゼロさん、元気?」
「あ、ああ……」
来たのは婚約者の響子だけではない。さらにもう二人いるのだ。
「こっちが3人だからよ、3対3で集まらないと不釣り合いじゃんか、なあ婚約者」
「そうそう、だからあたしも懐かしい友達連れてきたよ」
響子の後ろにいるのはゼミ友の里見、そしてその後ろ、恥ずかしそうな表情でこちらを見てコクッと会釈するのは工藤実乃梨だ――。
玲士は響子と握手をしているのに、目は完全に泳いでいた。
* * *
一行が入った店はスポーツカフェ、学生の頃からよく出入りした店だ。今日のモニターはNFLのゲーム、共通の話題があれば会も盛り上がるだろうと理志もそれを知っての選択だった。
テーブルに向かい合って座る三男三女。端っこに座るのはこの度結婚する理志と響子。玲士の正面には実乃梨が座った。玲士は横を向くと宗輔と理志は腕を組んで無言で頷いているのを見てこの会を催した別の意図が即座に分かった。お互いに意識しているのはここにいる誰もが知ってのことで、想定どおりに仕組まれた玲士は何の抵抗もせずそれをそのまま受け止めて正面を向くと、実乃梨はこちらを向いてクスッと微笑んだ。
「久しぶりだね、ゼロさん」
「ああ……」
本当はこのシチュエーションを待っていたのに思った通りの対応が全然できない、玲士は一瞬目が合ったあとすぐに視線を下に向けた。外から見ても分かるくらい鼓動が速くなっている。それは相手も同じで、毎日のように顔を合わせていたあの時とは違う。互いに過剰なくらい気を遣っているのが分かる。
目の前にいるかつての親友は学生らしさが少し抜け、しっかりとした大人の女性になっている。その姿と自分の現状とを較べると負い目になって玲士の態度に現れた。
「帰国、してたんだ」
「帰って2ヶ月に、なります」
緊張でどこか素っ気無い。自分でも本意でない嫌な対応をしている自分がもどかしい。
「現在(いま)は?」
「今?プータロー。ニートの一歩手前」
「そういう言い方、良くないよ」
「まあ、事実なんで……」
玲士は実乃梨と目を合わせられず相手のしぐさをうかがって、こちらを見かけると逃げるように目を逸らす。そして、玲士が実乃梨の顔を見ようとすると今度は彼女が目を逸らす――。そんなすれ違いが数度続きつつギクシャクした話が続く。
テーブルが一瞬静まった時、モニターをみる客たちが一斉に騒ぐ声が聞こえ、玲士たちもそれに釣られて同じ方向に首を向けた。モニターに映し出されているのは50ヤードを越えるフィールドゴールのシーンだ。大歓声の中キッカーに蹴られた爆弾(ボール)は超満員の会場の人間に見守られてポールの間を通りぬけると店内には歓声が沸き起こりその場の雰囲気が急に砕けたようになった。
「おぉーっ」
思わず声が漏れた玲士。その横顔を実乃梨はじっと見ていた。
「そう、こないだね、さっちんとリーグ戦観に行ったのよ」
「そうなの?」さっきまでテレビの画面を見ていた玲士は向き直り、実乃梨の顔の方を向いた「俺も、行ったよ」
もともと大きな実乃梨の目が大きく開かれている、話題を見つけたことが嬉しいようだ。
「でも、会わなかったね?」
「そりゃあそうでしょ。何万人も来てたわけだし」
玲士はクスッと笑った。実乃梨はその笑顔を自分が引き出したかと思うと笑顔で玲士に答えて見せた。
「どこで、観てたの?」
「僕は、いつも40ヤードのところから観戦するんだ。それも、フィールド左側の」
「そうなんだ」
「ああ。その位置からならボールをセットする位置が正面から見えるだろう?だから、決めてるんだ」
玲士はテレビの画面、キックオフ地点の少し前の辺りを指差してその位置を説明した。
キッカーの多くは右蹴りなので逆側の40ヤードのところならホルダーは背中からしか見えない。玲士はホルダーを任されてからは観戦するときはいつもこの位置と決めていた。
「なんだか、嬉しいな」
「何が?」
「だって、吹っ切れてないけど吹っ切れてるもん、ゼロさん」
「それ、どういう意味よ?」
「だって、さっきまで仏頂面だったのにアメフトの話になると色々話してくれるから」
「ああ」玲士は一度実乃梨の顔を見て視線をすぐにモニターに戻す「あの時は忘れたかった、なんもかんも。でも、忘れられないんだよな」
再び向き直り、グラスに半分ほど残った酒を一気に飲み干した。
「遠いアメフトとは関係ない地球の裏側にいても、やっぱり母校の戦況って気になるもんなんだな。帰国してすぐに練習見に行ったっけ」
玲士は嬉しくなって今まで忘れかけていた笑顔が自然にこぼれた。
「ゼロさん、私ね……」実乃梨の言葉で玲士は反射したように彼女の目を見た。
学生の頃もそうだった。実乃梨に呼ばれると彼女の目を見てしまう。奥二重の目尻が少し上がった大きな瞳。それから何を話しても、何を話さなくても、それだけで満たされた時期があの時にはあった。
玲士は今の自分とあの時とを比べた。本当ならいろいろ話したいことがある。しかし、この境遇では負い目を感じるばかりで彼女を喜ばせるようなことは何も思い当たらない。
「なんだろう?」
玲士は目を離さずそう答えた。すると彼女は少し考えた顔をしたあと、どこか物憂げな表情がチラッと見えて小さく呟いた――。
「ええ。なんでも――、ないよ」
実乃梨が何かを言いたそうなことだけは分かった。ただ、玲士はその表情を見て自分だけではなく、実乃梨にとっても良くないことのような気が直感的にしたので聞くことが出来ず、ただ黙って彼女の様子を見守っていた。玲士は実乃梨に見えた陰のような感覚は結局正体はわかることなく、そのまま時間だけが流れた――。