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はじまりの旅

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「ということなので、ハッシュは薬の影響で、ククのことを好きになってるだけなんです。薬が切れたら、ハッシュはククのことをただの旅の仲間としか見なくなるだけなので、本気にしちゃいけませんよ。」
 と、ムーに言われたクグレックは、確かにそうだ、と思った。そうなのだ。全て薬のせいで、ハッシュが言うことは中身の伴わない虚言でしかない。全部嘘だ、と分かっているのだが、ハッシュからまっすぐな情熱的な言葉を投げかけられる度に心臓がドキドキ跳ね上がって、顔が熱くなって頭が沸騰しそうになるのだ。
 クグレック自身もハッシュと同じ薬を投薬されたのだろうか、と疑いたくなるほどに、ハッシュに心をかき乱されてしまう。
 クグレックの思考はふわふわ浮かれたものになってくるが、ティグリミップの宿屋で苦しんでいるディレィッシュのことを思い出すと、浮かれていてはいけないという気持ちが強くなった。アードルという花を採りに行こう、と気持ちを切り替える。
 長い坂道を下っていくとごつごつとした岩場が広がる海辺に出て来た。次々と押し寄せる波が岩に打ち砕かれる。ティグリミップで見た海と比べるとなんだか荒々しい印象だ。
「この先にアードルがあるのか?足場も不安定だし、滑りやすいから気をつけろよ。」
と言ってハッシュは歩きやすそうな岩を選びながら進んで行く。ムーは翼を使って浮遊しながら後を着いて行くので何も問題はなかったが、鈍臭いクグレックは滑りやすくごつごつした岩の上を歩くことは少し難しかったらしく、案の定バランスを崩して滑ってしまった。
 が、すぐにクグレックの腕をハッシュが掴む。
「危ないって言っただろ。」
 ハッシュはそう言って、腕を掴んだ反動でクグレックを自身の腕の中に納めた。
 ハッシュの厚い胸板に包まれながら、クグレックはふと御山でもハッシュに助けられたことを思いだした。謎の水龍が起こした津波に呑まれた時もハッシュの腕に包まれ、皆と離れずに済んでいた。そして、水を沢山飲み過ぎたクグレックは意識を失い、ハッシュからの人工呼吸で目を覚ましたのだった。
(そうだ、私、あの時…!)
 クグレックは人工呼吸をされたことを思いだして、顔を赤らめた。あの後立て続けに色々あって忘れかけていたのだが、クグレックの初めてはハッシュに奪われていたのだ。
「ご、ごめん、私、大丈夫だから…。」
 そう言って、クグレックはゆっくりとハッシュから離れる。羞恥のあまり、クグレックはハッシュと目を合わせることが出来なかった。
「さあさあ、お二人ともイチャイチャしてないで先に進みますよ。多分、ここは潮の満ち引きがあるみたいなので、長居は出来ません。」
 と、ムーが言うと、ハッシュは「あぁ、そうだな。ククも転んだら大変だ」と言って、危なっかしいクグレックのことを気にしながら先に進む。クグレックもムーの言葉にハッとして気持ちを切り替え、気をつけながらハッシュの後を着いて行った。
「ところで、アードルってどんな花なんですか?」
 洞窟を目の前にしてムーが言った。
「…分からないな。でも、洞窟ってのは暗くて光が届かないところだ。まして潮が満ちてくるような場所に花が咲くとは思えないから、多分洞窟にある花はアードルだと考えていいんじゃないか?」
「そうですね。じゃぁ、行ってみますか。」
 3人は洞窟へと突入した。洞窟の中はひんやりと涼しく、ときおり天井から水がぽたぽたと落ちてくる。足元は丸石がごろごろとしており、さらに海藻がへばりついているので相変わらず滑りやすい状態だ。天井は割と高く、ごつごつしている。しばらく進むと、外からの光も届かなくなったため、クグレックは魔法で灯りを灯した。
 ひんやりとした真っ暗な洞窟は橙色の灯りにほんのりと照らし出された。照らし出される洞窟の先は御山を彷彿とさせる登り坂となっていた。
「こんなところにあるんですかね。」
「幸いにも一本道だ。…結構な急勾配だけどな。」
 進むこと1時間。行き止まりまで辿り着いて、3人は天井から小さく差し込まれる一筋の光を発見した。目を凝らしてみれば光はなんと青い花を照らし出している。おそらくあれがアードルなのであろう。ただ、そのアードルは3人の手の届かない遥か高い場所に存在していた。文字通り高嶺の花だ。
 とはいえ、こちらには幼体と言えど翼を持ったドラゴンのムーが存在する。ムーはパタパタと羽ばたき、いとも容易くアードルを入手した。
「かわいらしい花…。」
 根っこから引き抜かれたアードルを見てクグレックは思わず呟いた。
 この可憐な花がディレィッシュを死の淵から生還させてくれる。
 希望が費えることがなくて本当に良かった、とクグレックは安心した。
 そうしてアードルを入手した3人は、再び元来た道を戻っていく。下り坂なので行きよりは幾分楽だった。ところが、入り口付近まで戻って来ると潮が満ち始めていた。歩行不能とまではいかないが、膝くらいの高さまで潮位が上がっていた。
「…満ち潮の時だったら、洞窟から出られなかったかもな。」
 と、ハッシュが壁を見ながら呟いた。彼の頭よりも少し上とその下では壁の色が異なっていた。満潮時ではこの洞窟は海に隠されてしまうようだ。天井が高かったのも納得が出来る。が、上り坂が出来上がっていた理由は良く分からない。何者かが掘ったという理由しか考えられないが、この世界において自然科学的な理由で解決出来ないことは多いものだ。
「クク、これだとお前のローブと靴が濡れちゃうな。」
 ハッシュが言った。彼は水面を見つめながら、不意に思い立ったようにクグレックを抱き抱えた。お姫様抱っこと呼ばれるスタイルだ。
「え!私、重いから、降ろして。濡れても大丈夫だから。」
 クグレックは突然のことに動揺し、ハッシュから離れようと足をじたばたさせる。
「ここで転ばれても困るからな。大人しく運ばれてやってくれ。」
 そう言ってハッシュはクグレックの瞼にそっとキスをした。
 クグレックは顔をボンと紅潮させ、大人しくなった。逞しい胸板とハッシュの高めの体温に包まれてしまっては、何も言えない。
 そばでやり取りを見ていたムーはやれやれと呆れた表情をしていた。ハッシュはそれに気づいたらしく、片口を上げてにやりと笑い「だって、嬉しいじゃないか。」とだけ言った。ムーにはハッシュが何に対して嬉しいのか分かりそうで分からなかったが、もしもアードルが見つかって喜んでいるのならば、いろいろ言うのはよしておこうと思った。



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 3人は白魔女の隠れ家まで戻って来た。
 隠れ家は相変わらず人気がなく、静まり返っている。おそるおそる扉を開くとそこには一人の少年がいた。金髪碧眼で整った顔をしている。大人になりつつあるが、まだあどけなさが残る。歳は14、5才だろうか。クグレックと同じくらいの背の高さの美少年は、無表情で3人を見つめていた。深い青色の瞳の輝きはあまりにも無機質で人形のようだった。まるで生気が感じられない。
「アードルを持って来たのか?」
 変声期を終えたばかりのまだ安定しない声で美少年が尋ねた。
「…あ、あぁ。」
作品名:はじまりの旅 作家名:藍澤 昴