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はじまりの旅

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 ぼさぼさの紅い髪の下で怪しく光る緑色の瞳。エメラルドのように綺麗で美しい瞳だ、とクグレックが思っていると、ふと既視感を覚えた。クグレックはこの女に会ったことがあるのだが、どこだったのか思い出せない。この女が浮かべる意地の悪そうな笑みも見たことがある。それなのにクグレックは彼女に出会った時のことを思い出せないのだ。もやもやとした気持ちがクグレックの胸の内を包む。
 そして、女はハッシュに何を飲ませたのだろうか。「薬がどのくらいの時間効くのか教えて頂戴」と言っていたことから薬の効能時間を知りたいようなので、時間の経過と共に薄まる薬であることは間違いないのだが。
「クク…?」
 目の前のハッシュは少々ぼんやりとした様子でクグレックを見つめている。ハッシュは徐にクグレックに手を伸ばし、頬に触れた。大きくてごつごつとした手が優しくクグレックの頬を撫でる。
 クグレックはびっくりしてハッシュを見る。ハッシュはなんだか切なそうな表情でクグレックを見つめている。その眼差しにクグレックは妙な気持ちになり、動くことが出来なかった。
「ハッシュ、どしたの?ね、ねぇ、なんか変だよ?」
 ふわりと香るアルコールの香り。ハッシュの手は女に掴まれて宙を掴む。
「元第一皇子、黒魔女は大切な処女なんだから、手出しは禁物よ。魔女の処女の希少性は凄いんだから。そこの龍の幼体、このむっつりが黒魔女に変なことをしないかしっかり見てなさいよ。」
 白魔女に凄まれてムーは一生懸命コクコクと頷く。
「あー気持ち悪いし頭痛い。じゃ、アードル、待ってるわよ。」
 そう言って白魔女は家の中に戻って行った。
 クグレックとムーは再びハッシュを見る。変わったところは見受けられない。
「…ハッシュ、大丈夫?変なところはない?」
 と、クグレックが言うと、ハッシュは腕を動かしたり首を回したりして自身の確認をする。が、特に気になる不調はなかったので首を傾げるだけだった。
「なんだったんだろうな?薔薇の香りがして甘い飲み物だったけど、栄養ドリンクとか、そういう類のものだったのかな。」
「…白魔女の色んな噂を聞きましたが、栄養ドリンクをくれるなんてそんな生易しいことで済むんですかねぇ。」
 ニタの話では紅い髪の女は油断ならない人物のはずだ。クグレックはハッシュに異常がないか、じっと見つめる。ディレィッシュが危険な今、ハッシュまで失うことになってしまったら大変だ。
 クグレックはハッシュを見つめるが、顔が紅潮している以外には異常は見受けられなかった。
 ところが、ハッシュからは爆弾発言が投下された。
「あぁ、クク、ごめん。俺、今めちゃくちゃククのこと好きだ。」
「え?」
 驚いて素っ頓狂な声を上げるクグレックとムー。ニタやディレィッシュは割と感情を開けっ広げにする性格なので「好き」だとか「愛してる」という言葉をよく使うのだが、ハッシュはそのような言葉は一切言わない。冗談でも使ったことがないので、二人は驚いた。「ハ、ハッシュ、あの、えっと、」
 しどろもどろになって、クグレックは上手く喋れない上に頭から湯気が出てもおかしくないくらいに顔が真っ赤になっている。
代わりにムーがハッシュに「ハッシュ、どういう意味?」と尋ねた。
「分からない。でも、急にクグレックのことが愛しくて堪らなくなったんだ。どうしよう、キスしたい。」
「ちょっとちょっとそれはまずいです。落ち着いて、落ち着いて下さい。ククも怖がってますから。」
「どうしてまずいんだ?こんなに可愛いのに。」
 そう言って、ハッシュはクグレックの頭を撫でる。
 脳みそが沸騰しそうなくらいに、クグレックは羞恥に苦しむ。初めて異性から愛の告白をされたのだ。これまで異性を好きになったことがなかったクグレックは初めての感情にパニックになるばかりであった。ハッシュの手はクグレックの頭を撫でながら、同時に脳みそもかき混ぜているのではないかという錯覚に陥る。
 ハッシュの手は次第に頭から耳へとうつる。さわさわと耳を撫でられ、クグレックはくすぐったくて堪らなかった。が、混乱状態に陥ったクグレックはそれを拒否することが出来ず、ぎゅっと目を閉じて、くすぐったさをこらえる。
「ふふ、可愛い。」
 とその時、ムーが飛び上がり足でハッシュの腕を掴み動きを止めた。
「ふふ、じゃないです!ククが困ってるじゃないですか!やめてあげてください!」
 ムーに止められ、ハッシュははっとして、クグレックから手を離す。そして、額に手を当てて大きなため息をつき、小さな声で「悪い」と呟く。
 ムーはふーふーと息を荒らげて、ハッシュを威嚇するが、ふと思いだした。いつものハッシュなら、冗談でもこんなことはしないことに。そして、紅い髪の女から言われた言葉を。

――このむっつりが黒魔女に変なことをしないかしっかり見てなさいよ。

「ハッシュ、あなたは一体何を飲まされたんですか?あなたにククの姿はどう見えているのですか?」
 ムーがおそるおそる尋ねる。ハッシュは
「…普通の女の子のはずなんだが、今は大切な人なんだ。…どうしてだ?」
と答えた。
 ムーはひとしきり考えた後
「ククを好きになる薬でも飲まされたのですか?」
と尋ねると、ハッシュは苦しそうな表情になり「多分」と答えた。ムーは冗談のつもりで言ったので、まさか当たっているとは思わなかった。そしてどうやら薬は効き始めのため本人にも自覚はあるらしい。
「ククを見ると体が熱くなって、変になる。今も、もうヤバい。ムー、本当に間違いを犯さないように、しっかり俺を見張っててくれ。…あぁ、クク、好きだ…!」
 自覚はあるが、彼の理性は最早ギリギリのラインなのだろう。
 クグレックも偽物ではあるが初めて愛の告白を受けて、ぼんやりとした様子になっている。ムーは小さくため息を吐き「とにかく、原料を探して、アルドブ熱の薬を作ってもらいましょう。ディレィッシュは今なお苦しんでるはずです。」と声をかけた。すると、クグレックは未だ顔を紅潮させながら「うん、そうだね、探さなきゃ」と言い、ハッシュはハッシュで「そうだった。早く兄貴の熱を治して、ククとの交際を報告しなければ」とどこか普段の彼からずれたことを言うのだった。
 アードルという花を採りに行くだけなのに、ムーはなんとも前途が不安に感じられた。
 そして、同時にあの紅い髪の女は間違いなく白魔女であるということも、今のムーにはよく分かった。

作品名:はじまりの旅 作家名:藍澤 昴