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はじまりの旅

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 そして翌朝。外れの岬に住んでいるという紅い髪をした魔女に会いに行こうと意気込む一同。
 だが、予想外の出来事が起きた。
 宿屋の主人の娘アニー(3歳)がニタのことを気に入ってしまったのだ。
 ふかふかの白いくまのぬいぐるみみたいなものが可愛い声を出して喋るのだ。それはアニーにとって運命の出会いだったと言えよう。少しでもニタがアニーから離れようとすると、アニーはまるで恐竜のようにぎゃんぎゃん泣く。宿屋の主人は申し訳なさそうにしてニタに「アニーの気が済むまで一緒に居てあげてください」と申し出てしまったものだから仕方がない。ニタは宿屋に残ることとなった。それに、もしディレィッシュに万が一のことがあったら、ニタの足であればいち早く伝えることが出来るだろう。
 
 クグレックとハッシュとムーの3人は崖下に海を見下ろしながら北へと進む。その道中、何度も『知らない人に着いて行ってはいけません』の看板を見つけた。ティグリミップに到着する前に見かけたあの看板と同じだ。『特に紅い髪をした人には注意』と小さく注記が入っている。やはり紅い髪の魔女に拉致されることが絶えないのだろう。
 それから2時間も歩けば、白壁にヤシの葉の屋根の一軒家に辿り着いた。あれこそが白魔女の隠れ家であろう。何もない開けた場所だが、どことなくひっそりと佇んでいるようだった。 
 「これが、白魔女の住処…。」
 ハッシュはムーとクグレックに目くばせをしてから、木製の扉をとんとんとノックして、ゆっくりと開いた。
「すみません、誰かいませんか?」
 隠れ家の中は灯りがついていなくて薄暗かった。誰かが動いている音も聞こえず、静寂に包まれたままだ。
 もう一度「すみません、だれかいますか?」と声をかけても誰も出て来なかったので、3人は更に中に入ることにした。全ての扉は閉ざされているが奥の部屋の扉は少しだけ開いており淡い光が漏れている。3人は奥に向かって進んだ。
 近付くにつれて、奥の部屋からは唸り声が聞こえた。
 「うーん」とか「あー」と苦しそうな声だ。
 ハッシュはおそるおそる奥の部屋の扉を開けた。部屋は薬草を煎じた匂いとアルコールの匂いが充満していて、思わず鼻を抑えた。後ろを着いて来たムーとクグレックも部屋の妙な匂いにびっくりして顔をしかめた。ただ、クグレックは薬の調合を得意とする祖母を思い出し、この部屋の薬草の煎じた香りを少し懐かしく感じていた。
 さて、この部屋には薬を調合するための道具や材料などが所狭しと並んでいるが、床にはおそらく酒が入っていただろう一升瓶や食べ物の残骸が無造作に投げ捨てられ、散らばっていた。そして、奥の2人掛けソファには紅い髪をした女がだらしない恰好でうつ伏せに寝そべっている。
 女は3人が部屋に入って来たことを察知し、唸り声を上げながら
「うー、気持ち悪い。誰?クラ君?それともレイ君?お水ちょーだい?」
と声を上げた。
 ハッシュはクグレックに目配せをする。クグレックは頷き、紅い髪の女に近付いて持っていた水筒を手渡した。紅い髪はライオンのようにほうぼうにうねっている。
 女は水を受け取ると、けだるそうに顔を上げて水をぐびぐびと飲み始めた。うつぶせという無理な態勢で飲むため、口の端から半分くらい水がだらだらと零れ落ちているが、お構いなしだ。
 水を飲み干すと、紅い髪の女は満足そうに酒臭い息を吐き出して、再び眠りについた。が、しばらくすると、紅い髪の女は喉のあたりをぐ、ぐ、と鳴らし、背中がびくんびくんと動いた。クグレックは瞬時に女が吐きそうであることを察知し、とっさにそばにあったアイスペールで彼女の吐瀉物を受け止めた。
 女は乱暴に口元を腕で拭い、ふとクグレックの存在に気付く。
 覚醒しきれないむくんだ顔はぼんやりとクグレックを見つめるが、すぐにうつぶせになった。力尽きたようだ。
 たった一瞬の出来事だったが、クグレックは蛇に睨まれた蛙のように身体が強張った。
 ぐったりとした紅い髪の女はうつぶせのまま
「…何しに来たの。――黒魔女」
 と、クグレックに向かって話しかけて来た。
 クグレックは呆気にとられて何も言えずにいたが、はっとして目的を思いだした。
「あ、あの、アルドブ熱を治す薬が欲しくて…」
 女はしばしの沈黙の後
「……御山に原料はあるし、作り方も書斎の本棚にあるから勝手に作りなさいよ。」
と、けだるそうに応えた。
「…今から御山に言ってたら、私の仲間は死んじゃうんです。」
「アンタの仲間なんて、アタシは興味ないわよ…。」
「…でも…」
「ここにはアルドブ熱を治す薬はないわ。…この先の坂道を降りて海岸に下ったところにある洞窟にアードルという花があるから採って来てくれれば調合するわよ…。」
 むにゃむにゃと女は何かを言っているが、やがてその呟きは落ち着いた寝息に変わっていった。

 クグレックは嬉しそうな表情でハッシュたちを見た。
 そして、音を立てずに抜き足差し足でハッシュたちの元に戻る。
 クグレックは女を起こさない様に小さな声で
「この先の坂の下にある洞窟にアルドブ熱を治す薬の原料があるみたい。」
 と伝えた。薬を手に入れたわけではないが、情報を手に入れたことでクグレックは満たされた気持ちになっていた。
「そうか、やったな。ありがとう。」
 ハッシュはようやく表情を綻ばせ、クグレックの頭を撫でた。昨日からハッシュはずっと追い詰められた様子でいたので、こうやって落ち着いた様子を見れてクグレックも安心した。
 お土産を置いて3人は隠れ家を後にしようと外に出た時、紅い髪の女がフラフラした状態で扉を開けてやってきた。
「ちょっと、待ちなさい。」
 と、女は相変わらず紅い髪をぼうぼうに乱して、小さな小瓶をハッシュに手渡した。
 ハッシュは受け取った小瓶を訝しげに見つめる。
「元第一皇子、飲みなさい。」
「え?」
 ハッシュは心底驚いて女を見つめる。どうしてこの女が第一皇子であったことを知っているのか。
「何?飲めって言ってるの。解熱剤、作らないわよ。あ、目つぶって。アタシが良いよと言うまでは目、開けるんじゃないわよ。」
 何故女がハッシュのことを覚えているのかとても気になるところだったが、余計な質問をして機嫌を損ねてしまったら意味がない。ハッシュは言われるがまま目を閉じて小瓶の中の液体を飲んだ。
「ほら、黒魔女、こっちに来なさい。」
 女はクグレックをハッシュの目の前に移動させると「目を開けなさい」と言った。ハッシュは目を開けた。目の前にはクグレックがいるだけだった。
 ハッシュとクグレックはきょとんとした表情で女をみた。女は壁にもたれかかりながら片口を上げて意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「アタシがタダで薬を作るわけないでしょう。被検体になってもらわなきゃ。薬がどのくらいの時間効くのか教えて頂戴。」
作品名:はじまりの旅 作家名:藍澤 昴