はじまりの旅
「自然治癒は難しいやつだよ。薬じゃないと治らないんだ。というか、早く薬を飲ませないと死んでしまう。生憎今はうちには用意がないんだ。」
「町に薬屋はないのか?」
「あるよ。今地図を描くから、ちょっと待ってて。」
主人は部屋を出て行った。
ディレィッシュは顔を真っ赤にしてぜぇぜぇと息を荒らげている。
宿屋の主人がさらりと口にした『早く薬を飲ませないと死んでしまう』という言葉に不穏な雰囲気が漂う。
一国の主として国を発展させ続け、しかし一夜にしてなかったことにされつつも新たな人生をスタートさせたばかりだというのに、彼の人生はここで終わってしまうのだろうか。
間もなくして主人が戻って来ると、ニタとハッシュとクグレックが薬屋へ向かうこととなった。
ところが、薬屋に行ってもアルドブ熱に効く薬は切れているということだった。
落胆する3人。
特に唯一彼の弟であるという自覚があるハッシュはどうしても諦めることが出来ない。ハッシュは薬屋の店主に問い質す。
「アルドブ熱にかかった者はどのくらいで死んでしまうんだ?少しでも和らげる方法はないのか?」
「長くて1週間だが、…治す方法は薬以外に何もないし、運が悪かったと思うしかないな、残念ながら…。」
「じゃぁ薬の原料はどこにあるんだ?原料さえあれば調合してくれるよな?」
「原料は…御山の方にあるんだ。でも、御山は今不吉な噂が立っているだろう?なんでも凶悪なドラゴンが出現したとか…。だからアルドブ熱の薬は実はしばらく入荷できていないんだ。」
3人はなすすべがないことを悟った。
ドラゴンはもうすでに退治された。だが、コンタイ国は交通が発達していないために、おそらく情報が伝わるのは遅いであろう。そして、これから御山に原料を取りに戻るとしても最低でも2週間はかかってしまうのだ。その間にディレィッシュは死んでしまう。
「…我々は御山から来たんだが、ドラゴンは退治されて、もとの神聖な御山に戻ったよ。」
ハッシュは低い声でそれだけ告げると、薬屋を後にした。いつになく落ち込むハッシュにニタも中てられたのか、小さく会釈をしてその後を着いて行った。クグレックも後を追う。
ハッシュの背中は静かに落ち込んでいた。楽天家なニタが押し黙ってしまうほどに、ハッシュが憔悴している。
「…二人はディレィッシュの様子を見ててやってくれ。俺は他の家にも薬がないか聞いて回る。」
ハッシュは振り返らずにニタとクグレックに言った。
ニタはいつもの天真爛漫さを発揮できずにいるが、おそるおそる返事をする。
「いや、そしたら、ニタも手伝うよ。一人で回るよりも二人で回った方が早いでしょ。」
「…ありがとう。」
ニタはクグレックを見上げ「ククは宿屋に戻ってディッシュの」と言いかけたが、クグレックは
「私も行く!」と意思を通した。
日は沈み、町は遠くに見える灯台の光と建物から漏れる光だけが頼りだった。街灯はなく、たまに松明が大きな商店や公的機関に点いてるだけだった。
ティグリミップは大きな町ではないので1時間ほどで聞き回ることが出来た。が、収穫はゼロだった。ティグリミップのどこにもアルドブ熱の薬が存在しないのだ。
「…ここから1日行ったところにも小さな村があるらしい。…今から行ったら間に合うかもしれないから、行って来る。」
暗闇の中、ハッシュが言った。
「その村には、薬があるの?」
ニタが問いかける。
「…コンタイ国はあるがままに生きる国だから、御山の集落だったりティグリミップ位の規模の町じゃないと、…外国人旅行客が来る町じゃないと…薬はないそうだ。」
その話しぶりから察するにハッシュの見つけた望みはほぼ絶望に近いようだった。
「ハッシュ、一旦宿屋に戻ろう。もしかすると宿屋のおっちゃんやムーが何か情報を持ってるかもしれない。その後からでも悪くないと思うよ。」
「…そうだな。」
3人は宿屋に戻った。主人が「おかえり!」と迎えてくれたが、3人の落胆した様子を見るとすぐに結果を察し眉根を下げた。
と、そこへ、客室から女性が現れた。20位の若い女性で日焼けをしていない白い肌を持つことから現地民ではないことが予想される。美しいブロンドのウェーブがかったロングヘアが美しい。女性は4人に「こんばんは」と声をかけるが、主人以外は誰も返事をしない様子を見て主人に向かって「どうしたんですか?」と耳打ちをする。主人は事情を3人に聞かれないように小声で話した。
「…薬がない…。あれ、でも外れの岬に…」
主人は口に指を当て「しっ」と女性の言葉を遮る。
「あの女のことは…」
「…まぁ、確かにね。犠牲者が増える可能性もあるものね。」
「悲しいけど、どうすることも出来ないんだ。」
「…悲しいわね。…主人、こんなときなんだけどお酒頂けるかしら?寝付けなくて」
「はいよ。どうぞ。」
女性は主人から酒瓶を受け取ると、3人に憐みの眼差しを向けて自室へ戻って行った。
3人は再びディレィッシュの元へ向かった。
ディレィッシュは相変わらず、顔を真っ赤にして辛そうにしている。ムーも3人の様子を見て察して項垂れた。
「ムー、お前はこのアルドブ熱に関して知っていることはないか?」
「僕は…残念ながら、何もわからないよ。」
「そうか。だよな…。」
そう呟いてハッシュは部屋の隅に置いてある自身の荷物の整理を始めた。最寄りの村へ向かう準備を始めたのだろう。
「あのさ、」
ニタが口を開いた。
「さっき、おっちゃんと女の人が話してたの聞こえたんだけどさ。」
ニタは目も良いが耳も良い。
「外れの岬に何かがあるっぽいね。」
準備をしていたハッシュの手が止まった。
「でも、どうやらその外れの岬に関してはタブーみたいなんだよね。」
ニタはてくてくとドアまで歩みを進め、ハッシュを見つめる。
「多分、おっちゃんに聞いても教えてくれないと思うから、あの女の人に話を聞いて来る。だから、ハッシュ、ちょっと待ってて。」
そう言って、ニタは部屋を出て行った。
ハッシュは準備の手を止めて、ディレィッシュの傍に寄りその様子を思いつめた表情で眺める。 クグレックは黙ってその様子を見ていることしかできなかった。ハッシュは常に動き続ける男だった。トリコ王国の危機にあっても、常に彼が出来ることを探しつづけ諦めなかった。その姿はとても頼りになった。ところが今のハッシュは今までに見たことがないほどの焦りようだ。クグレックは何か力になりたかったが成す術もない。
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ニタが戻って来たのはそれから2時間後だった。酒の匂いを纏い、べろんべろんに酔っ払っている。
「うおーい、トリコ弟。おにいちゃんを助ける方法を見つけたぜー。」
ニタはふらふらとした足取りでクグレックに近付き、ぎゅっと抱き着く。
「やだ、ニタ、お酒臭い。」
クグレックは鼻をつまんでニタの酒の匂いを手で払う。
「いやーあの女、こんな可憐なニタにお酒飲ませやがってさぁ、もう、なんなんだ、って思ったんだけど、でも、話聞きださなきゃだし、って思ってニタ頑張ったわけ。」
「う、うん。」