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はじまりの旅

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「彼はあらゆる情報を取り入れ、その情報を全て掌握し、動かすことで自分の思う方向へ進むことが出来るのだ。現に彼は全ての情報を操作して、国民の反対に遭うことなく戦争を開始しただろう。」
 トリコ王国に来てから、クグレックとニタはディレィッシュの手のひらの上で踊らされているような感覚がしていたが、その通りだったのだ。彼の術、すなわち彼の魔の力に嵌っていたのだ。
「彼の力を初めて使ったのは、18の時、先代が亡くなって王位を継いだ時だった。18の私が王位を継いだことを良く思わない人達が多くてね、私は彼の力を借りながらハーミッシュ達と共に、彼らを排除したんだ。」
「排除?」
「その手段や経緯はクグレックは知らなくていい。ただ、トリコ王国を足蹴にし、私利私欲に生きる者達を、排除した。その時に使ったのが、彼の情報操作。彼の力を借りて輩を無理なく自然に悪に仕立てあげて、トリコ王国の、いや、世の中の正義として排除した。ただそれだけ。私にとって、彼の力はその時だけで十分だった。」
「そうではなかったんだね。」
「あぁ。それを期に彼の能力は私の思考と合体してしまって、私の予期しないところでも、彼の意志を持って能力が発動してしまうようになった。彼の力を使うことは、私が彼に従属することだ。彼に私の自我を分け与えることになる。じわりじわりと彼は私を浸食しながら、この時を持ち込もうとしていたのだろう。」
「つまり、魔の力を使いすぎたがために、ディレィッシュはこの空間に閉じ込められたっていうこと?」
「そういうことだな。私が魔の彼を私の中に閉じ込めていたように、力が逆転したことで彼が私を閉じ込めたんだ。それは魔との魂の契約で定められていたことだから覆すことが出来ない。」
「魂の契約?」
「呪いかな。魔が入り込んできた時にかかっていた呪い。魔をコントロールできなくなるか、コントロールすることを放棄した場合、魔とのポジションが逆転する、という呪いだ。」
 ディレィッシュは見つめていた掌をぎゅうと握りしめ、にこりと微笑んだ。
「彼は、クグレックの存在が彼の力を増幅させた要因だと話していたが、…私はもうそれ以前に、壊れ始めていたのだろうな。だから、私に負担をかけまいとハーミッシュは単独で開戦停止の交渉に行ったし、イスカリオッシュは常に気をかけてくれていた。クライドも、忠義を尽くしてくれた。本当は、もうだいぶ前から皆に気付かれていたんだろうな。」
 ディレィッシュはゆっくりと体を起こし立ち上がった。優しく、それでいて淡々と語るディレィッシュからは不思議と悲嘆的な様子は見えなかった。
 クグレックと目が合うと、ディレィッシュはにっこりと微笑む。こんな暗闇の中に居ても、彼は余裕があるように見えた。
「だが、クグレック、お前はここに居るべきでない。元の場所に戻らなければならない。」
「ディレィッシュは?」
「私か?私は魔に殺されたようなものだ。元の場所の私は死んだんだ。出られない。」
「そんな。」
「そもそもクグレックが来るまで、この場所で意識がない状態だったんだ。外の状況は新年会以降曖昧だ。」
「でも、目が覚めた。戦争、始まっちゃったけど、止めなきゃ。私は、そのためにディレィッシュに会いに来たんだから。」
「戦争は、始まってしまったのか…。」
 悲しそうにディレィッシュは俯いた。
「『無駄に命がなくなってしまうのも嬉しいものじゃない』って言ってたじゃない。私一人戻ったって、戦争を止めることは出来ない。ディレィッシュがいないと、このままじゃトリコ王国は…。」
「もう、どうにもならない。」
 ぴしゃりとディレィッシュは言い放った。今までの穏やかな表情と打って変わって、真顔だった。
「全て彼の思惑通りに動いている。彼が望む破滅の方向へと。彼はトリコ王国だけでなく、大陸全てを混乱に巻き込むだろうことは私が一番よく知っている。それだけの力をトリコ王国は持っていて、隠し続けて来た。彼は世界を好まない。だから、壊す。彼の優秀な情報操作の力を以てして。」
 クグレックはそのような言葉をディレィッシュの口から聞いてしまったことに、ショックを受けた。クグレックはディレィッシュにさえ会うことが出来れば、物事は全て解決すると思っていたのだ。彼の海の様な大らかな心に包まれて安心したかった。だが、それは叶わないようだ。
 すなわちそれは、クグレックが破滅の引き金を引いた要因であることが確定するということだった。
 ディレィッシュがこんな状態になったのはクグレックが魔の力を増幅させてしまったせいなのだ。
 クグレックは破滅の世界で、終末を呼び込んだ者としての責任を負って生きなければならない。そんな世界に彼女だけ戻すなんて、ディレィッシュも惨いことをする。
 クグレックは顔を真っ青にして懇願した。
「私一人戻ったって、何も出来ないっ。ディレィッシュがいないと、このままじゃ、マシアスだってどうなるか。私は魔法の力で、物に触ることなく動かすことが出来る。だけど、きっと、国を動かすことは出来ない。だから、ディレィッシュがいないと…。」

 クグレックがトリコ王国に来てしまったせいで、戦争が起き、沢山の人の命が奪われる。
 彼女の使命はニタと共にアルトフールに辿り着くことだが、無関係の人を不幸にしてまで達成したい目標ではない。
 あまりの責任の重さに、彼女の双眸から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「クグレック…。」
 クグレックの涙に動揺を見せるディレィッシュ。彼は優しいので、泣いている女の子を見捨てることは出来ない、が、クグレックの望みはディレィッシュが叶えてあげることは出来ない故に、たじろぐことしかできなかった。
 やがて、彼の表情は何かを悟ったのか暗くなった。
 すると、辺りの暗闇はゆっくりとディレィッシュを包んでいく。
 それに気付いたクグレックは慌ててディレィッシュに声をかけた。
「ディレィッシュ、どうしたの、体が、なんかおかしいよ。」
 暗闇から引きずり出そうと、クグレックは必死になってディレィッシュの腕を引っ張るが、ディレィッシュはびくともしなかった。悲しそうな表情で、首を横に振る。
「…私など、結局はただの人だったのだ。それがどうして自身の魔に打ち勝てようなどと思ったのか。先代を殺して、国を良い方へ導こうとしたのか。あぁ、反吐が出る。これは驕り高ぶった私への当然の報いだったのだ。」
「違う。違うよ。ディレィッシュなら、何でもできるはず。魔女の私よりも魔法使いみたいなディレィッシュ!そんな悲しいこと言わないで。」
 クグレックは必死だった。彼女の本能が今ディレィッシュを見捨ててはならないことを察しているのだ。
 クグレックは無我夢中で身に付けていた黒瑪瑙ののネックレスを外して、ディレィッシュの腕に巻き付けた。祖母から貰った魔除けのお守り。これがあればディレィッシュから闇を退けることが出来かもしれない。
「諦めないで…。私は、まだ何とかなると思う。違う。何とかしなくちゃいけない。」
作品名:はじまりの旅 作家名:藍澤 昴