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はじまりの旅

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 クグレックは明らかな嫌悪感を表情に出した。黒魔女という呼称は、なんだか気に喰わないのだ。
「狭間の世界で、2回ほど、会ってはいたがな。」
「狭間の世界…?」
「1度目はエネルギー研究所の爆発の瞬間。2回目は今日、昼間に。2回目は接続が不十分だったためにイメージは送られなかったが。」
 クグレックは昼間のことを思い出すが、ディレィッシュには会っていない。生のディレィッシュも新年会以来1週間ぶりに見たくらいだ。映像上では何度も見かけたが。ただ、実験の時など、ディレィッシュとは2回以上会っていたはずなので、目の前のトリコ王が言っていることは理解が出来なかった。
「俺が昔発明した高エネルギー発射装置を実践導入して、気持ちが高ぶってしまって、思わず“貴女”に接触してしまった。」
 クグレックは目の前の男が言う2回目について見当がついた。
 エネルギー高炉に向かうデンキジドウシャの中で、うっかり眠ってしまった時、夢の中で聞こえたディレィッシュの声。2回目とはその時のことを指しているのか。
「なんとなく分かってきたかな?この世界では“夢”とも呼ばれているはずだ。狭間の世界は。」
 ということは、クグレックが見たエネルギー研究所のあの夢も、このトリコ王が見せたことになるのだろうか。部屋に着いていたあの安眠装置はクグレックの夢を支配するためのものとも考えられる。目の前のトリコ王であればやりかねない。
「貴女の眠りが深ければ深いほど、狭間の世界での干渉が楽になる。だが、貴女の狭間の世界には既に別の何かが入り込んでいて、少々干渉しづらかった。遠くの果ての国の少女の姿をしていたが、あれは一体なんなんだ?」
 と、トリコ王に聞かれても、クグレックが答えられるはずもなかった。“狭間の世界”すら今初めて聞いた言葉だ。
「何かしてくるわけでもなかったから、1回目の接触時に早々に追い出したが。」
 1回目がクグレックが見たあの夢を指すのであれば、あれに現れた妙な現実感を持ったディレィッシュは、この目の前のトリコ王なのだろう。
「ただ、やはりその時に感じたのは貴女の力の心地良さだった。本当に素晴らしい。」
 うっとりと陶酔しながら語るトリコ王。
「あなたは…一体だれなのですか…?」
 クグレックは顔を引きつらせながら尋ねた。なにかがおかしく、気持ち悪い。トリコ王がクグレックのことを“貴女”、王自身の呼称を“俺”することに、クグレックは違和感を覚えるのだ。トリコ王ディレィッシュはクグレックのことを名前で呼ぶか、お前と呼ぶ。目の前の男は、ディレィッシュであり、ディレィッシュではないようにクグレックは感じていた。
 トリコ王はその問いに嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「やはり、分かるか。」
 まるで、母親に褒められたかのように嬉しそうな表情のトリコ王。
「黒魔女。俺は器であるディレィッシュに潜んでいた“魔”だよ。」
 大きく手を広げながら、トリコ王は改めて自己紹介を始めた。

 彼の説明によれば“魔”とは、人々の負の意識から生まれた存在である。基本的には魔の集合体は魔物と呼ばれ、意思を持たず、ただ生きる者を襲う。だが、稀に意思を持った魔も存在する。魔は魔物とは異なり実体を持たないため、器が必要である。そのために魔は、自身に合う器を探し、支配し、身体を得る。既に実体を持ち、名前もある悪魔とは異なる存在らしい。
 しかしながら、目の前の魔は、器であるディレィッシュを支配するのに苦戦していたらしい。彼はこう語る。
「奴はそもそも闇を多く抱えた人間だった。しかし、奴のトリコ王家としての誇りが、その闇をひた隠しにした。だから、俺は奴を支配することなく、潜むことしかできなかった。だが、ある事件をきっかけに奴は俺の力を欲した。だから、俺は奴に条件付きで力を貸すことにした。」
 一つ、魔の力を利用した場合は、その都度自我の一部を明け渡すこと
 一つ、一度魔の力を利用した場合は明け渡した自我の範囲で自動的に使われるようになる
 一つ、魔が器を支配した場合は、二度と魔の支配下を抜け出すことは出来ない
「という、こちらにとって有利な条件で力を貸したのだが、奴はしぶとかった。力をくすぶらせたまま、俺は奴の中で過ごした。あまりにも彼の中で過ごし過ぎたため、俺は消滅しかかっていた。しかし、好機が訪れた。それが、貴女、黒魔女の出現だ。」
 『黒魔女』という言葉にクグレックの背筋は粟立った。
「貴女がリタルダンド共和国の首都アッチェレで力を解放してくれたおかげで、俺は貴女の力を感じ取り、そして、魔の力を強くさせることが出来た。それは、長年続いて来た私と器の自我の均衡を破るには丁度良かった。私は器の自我をゆっくりとずぶずぶ取り込みながら、ようやく融合を果たし、支配することが出来た。彼の闇を全て知る私にとって、彼の意志を引き込むことは容易かった。何度か彼自身も抵抗をしていたようだけど、全くの無駄に終わったね。彼の知識欲、好奇心は自由を求めていた。道徳心や常識といった縛りを超えた自由を求めていたんだ。…実は彼は心の奥底で新型大量破壊兵器の開発製造を求めていた。彼はその分野に関しては俺の力は必要がなかった。彼に与える俺の力は、彼に知識を与えた。いかにして、兵器を創り出すのか、国を、国民を戦争に向かわせるのか、多くの助言を与えた。俺の力を手にするごとに、俺の意志と彼の自我が融合していく。それは不思議な感覚なのだよ。明らかに俺の意志だけど、彼は自分自身の意志だと信じ切っている。変化に気付けないんだ。」
 愛しそうに自身を抱きしめるトリコ王。奪い取ったディレィッシュのことを懐かしむかの様だった。
「さらに黒魔女との接触もあったから、彼の中の“魔”すなわち私の力はどんどん増大していき、俺は完璧に奴を支配した。もう皆が愛してやまなかったトリコ王ディレィッシュはこの世にはいない。」
 と言って、トリコ王はクグレックの手を取った。そして、膝をつき、その手の甲に静かにキスをした。
 クグレックはトリコ王の唇が手の甲に触れた瞬間、力が抜けるのを感じた。「ひ」と小さな声を出すと、トリコ王はうっとりとした様子でクグレックのことを上目遣いで見つめていた。
「俺がこうして再び外に出ることが出来たのは偏に貴女のおかげなのだ。」
 言い換えれば、トリコ王国に災厄をもたらしたのは黒魔女クグレック。
 クグレックさえいなければ、トリコ王国が戦争の道を歩むことはなかったし、ディレィッシュだって狂うこともなかった。マシアスだって幽閉されることもなかったし、エネルギー研究所の爆発や戦争の犠牲者も生まれることはなかった。
 全ての原因の元はクグレック自身にあった――。
「嘘でしょ…。」
 思わずこぼれ出るクグレックの言葉。
 悪いのはクグレックが制作に協力してしまった大量破壊兵器だとばかり思っていたが、現実は異なっていることにようやく気が付いたクグレック。
 動悸が激しくなる。耳鳴りもする。眩暈もする。体が震えて来る。胃の中から胃液がせり上がって来るのを感じて、クグレックは部屋の端に駆け込んで吐き出した。
「まだまだ成熟しきっていないようだね。」
作品名:はじまりの旅 作家名:藍澤 昴