はじまりの旅
**********
それから一週間が経った。
ニタとクグレックは案の定部屋に幽閉された。名目としては、来賓を危険な目に遭わせられないためである。騒動が落ち着いたら、解放するという約束であるが、この先どうなるかは分からない。
1日に1回、部屋の片づけをするために侍女が入って来る以外は部屋の外に出ることが出来なかった。魔法によるセキュリティ解除も出来ない。 これまでの実験により、クグレックの鍵開けの魔法が解析されて、セキュリティに魔法が効かないように施されたのだ。
また、外の状況はどんどん悪化していた。
公式に研究所の爆発はランダムサンプリのテロリストの仕業によるものと発表され、国民はランダムサンプリに対する憎悪を日増しに強くしていった。
トリコ王国は先月、ランダムサンプリと関係を悪化させ、開戦一歩手前という状況になっていたが、第1皇子であるハーミッシュことマシアスの外交手腕により、なんとか関係改善へ向かうことが出来ていたのが記憶にも新しいところだった。
しかし、ランダムサンプリ国は一か月もたたないうちに手のひらを反してきたのだ。トリコ王国の民は怒りに打ち震えた。公にはテロリストがどうやってセキュリティを突破したのかということや、実行犯たちが今どこにいるのかも明らかにされていなかった。
しかし、じきにテロの首謀者は第1皇子ハーミッシュであることが発表され、トリコ国王が断腸の思いで実の弟であるハーミッシュ=トリコを処刑するのだろう。それがトリコ王の描いたシナリオだ。
なんとも気味の悪い状況だ。
すべてがディレィッシュの思う通りに進んでいて、手の中にある。クグレックもニタもマシアスもイスカリオッシュもクライドも、トリコ国民も、皆彼の手のひらの上で踊っている。彼はあの優しい微笑みを浮かべて、掌で踊る大切な人たちを見つめているのだろうか。
クグレックはソファに腰掛けながら、ミルクティーを飲みため息を吐いた。
その傍ではニタがぼんやりとしながら4D2コムから映し出されるニュースを見つめていた。
今、二人が外の情報を得るにはこの4D2コムを頼るしかない。毎日来る侍女は常に別の人だ。片づけのたったの1時間で心の距離を詰めるのはさすがのニタでも難しい。
とはいえ、4D2コムから映し出される情報は、連日研究所での死傷者だったり、テロリストに対する考察だったり、ランダムサンプリという国家に関するマイナスイメージな情報も多く流されていた。この映像を見続けていれば、あっという間に反ランダムサンプリ主義に刷り込まれそうだ。
情報がいとも簡単に操作されている。そんな印象をクグレックは感じていた。
と、その時、映像にちらつきが見られたかと思うと、瞬時に別の映像が映し出された。
毎朝、昼、晩に放映される、トリコ王国の最新情報を伝える番組に切り替わった。
いつもならば、こんな昼下がりの変な時間に映ることはないスタジオ。
いつも最新情報を伝えてくれる金髪の美しい女性が手に持った原稿を読み上げる。
『緊急ニュースです。たったいまトリコ王国政府から入った情報によりますと、本日正午過ぎ、トリコ王国北東部の国境で爆発事件が発生しました。ランダムサンプリとの国境付近ということで、ランダムサンプリの工作活動によるものと政府は見ていますが、詳しい状況はまだ分かっていません。先週のエネルギー研究所の爆発事件と合わせて、政府は調査し、声明を出す模様です。』
真剣な表情で、かつはっきりと滑舌よく原稿を読み上げる女性。
ニタは「あーぁ。」とため息を吐いた。
「これは、もう戦争が始まっちゃうのかな。」
どこか他人事のように話すニタ。それは勿論、トリコ王国がニタの故郷ではないのだから、他人ごとになるのは当たり前だ。
「戦争って、こんな簡単に始まっちゃうのかな。」
クグレックは顔をしかめた。
「そんな、まさか。」
『ここ最近のランダムサンプリからの挑発に関しては、ランダムサンプリに直接抗議すると共に、こちらからも報復制裁を考えている。私の国民の命を巻き込んだランダムサンプリには、それ相応の責任を取ってもらうことで、我々トリコ王国としての誇りを取り戻す。』
映像から、聞き覚えのある声がした。
白いターバンを身に付けたトリコ王だ。トリコ王が声明を発表している。
『また、テロリストの行方も未だ分かっていない。トリコ王国の威信を賭け、エネルギー研究所爆破事件の真相を究明していきたい。』
彼の王のシナリオでは、このテロリストの首謀者はトリコ王国第1皇子ハーミッシュ。
きっとそのうち、王からハーミッシュが国家転覆を狙う国賊であると吊し上げられ、国民は混乱に陥るのだろう。
それはいやだ。絶対にいやだ。
クグレックの心はもやもやとした嫌な気持ちに包まれ、もやもやは心のキャパシティを越え、爆発した。
「ニタ、ディレィッシュを止めよう!」
クグレックは突然すくっと立ち上がり、普段は出さないような大きな声で宣言した。
のんびりしていたニタは体をびくっと反応させた。、クグレックを見た。
「クク?突然、どうしたの?」
ニタから見たクグレックは、いつもの引っ込み思案で大人しい様子のクグレックではなかった。意思をしっかりと固めた、クグレックだった。
「うん、ディレィッシュを止めるの。」
ニタは目を丸くした。目の前の気弱な女の子が、自ら動こうとしている様子を見て、なんだか泣きたい気分になったが、事態はそんな状態ではない。
「でも、鍵は開かないよ?」
ニタが言った。
「全身全霊の魔力を込める。」
そう言って、クグレックは杖を手に取り出入り口のドアの前に立った。
大きな深呼吸を2回行い、呼吸を整える。そして、ドアに向かって杖を構えると、目を閉じて自身の魔力の流れとドアのロックに意識を集中させた。
「アディマ・デプクト・バッキアム」
杖から扉へと放たれた霞の様な白い光。常であれば、光を放った瞬間に杖から意識を離しているが、クグレックはどうしてもこの扉を開けたかった。光から意識を離すことなく、集中する。
ぐるぐると回る魔力の流れ。旧式の鍵であれば、多少はぐるぐるするものの、水が流れ出るように魔力は流れて開錠する。しかし、機械のロックはそうとも行かない。さらに複雑に魔力が流れていく。終わりのないらせん構造の中を突き進んでいくが如くだったが、まるで茨に締め付けられ固まってしまったかのように魔力は科学の力に囚われて開錠することが困難であった。昔、祖母がクグレックの鍵開け魔法に対抗してかけられていた魔法の感覚に似ている。
が、量で押してみればどうだろう。クグレックはさらに杖に魔力を込めた。光はぐっと照度を増した。
しかし、どうしても魔力は扉のロックを貫くことはなかった。
クグレックは杖を降ろして鍵開けの魔法を使用することをあきらめた。
額は汗をかき、前髪が張り付く程度には、魔力疲弊による疲労度を感じていたが、クグレックは諦めることは出来なかった。思考を巡らせて、脱出する方法を考える。