はじまりの旅
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クグレックはハッとして目を覚まし、上体を起こした。そして、きょろきょろと辺りを見回した。
彼女が今いる場所は、あの悪趣味な剥製が立ち並んだ金の部屋ではなかった。暖炉で暖められたカントリー調の優しい部屋のふんわりとしたベッドの上でクグレックは眠っていたらしい。
クグレックは悪い夢でも見ていたのだろうか、と思った。
ニタは檻に入れられてなんかいなかったし、マシアスもクグレックをかばって重傷を負わなかった。そもそもマシアスを見かけてすらなかった。
と、思い込みたかったが、クグレックは今自分がいる場所の詳細が良く分からなかった。
一体ニタはどこに行ったのか。
「ニタ…?」
不安そうなか細い声でクグレックはニタを呼んだ。
「呼んだ?」
クグレックの視界にぬっと出現したニタ。
ふかふかの白い体毛がところどころ焦げているが、愛くるしいその姿がそこにいた。
「ニタ!」
クグレックは嬉しくなってニタに抱き着いた。ニタも思わずクグレックに抱き着いた。二人はぎゅっとお互いを抱き合って、お互いの温もりを確かめ合う。
「クク、良かった。クク、あの後から丸一日寝てたんだよ!本当に良かった。」
「一日も!」
クグレックは驚いてニタから手を離した。自身のぐうたらさに呆れてしまった。
そして、あの後、とは一体いつのことなのか。クグレックはおそるおそるニタに尋ねてみた。
「ニタ、あの後って、一体…。」
「あの後、ってそりゃぁピアノ商会でクグレックがバチバチを放った後だよ。」
何でそんなことを聞くのか理解できない様子で、ニタが答えた。
ニタが言う“バチバチ”は良く分からないが、どうやら、ピアノ商会に行ったことは間違いないようだ。
「もう、大変だったんだからね。ニタが檻から出たら、マシアスは血を流して倒れているし、なんか知らない人達が沢山やって来るし、挙句の果てに、ピアノ商会も崩れちゃったし!」
「崩れた?」
どうやら、あの悪趣味な部屋での出来事は現実であり、ニタも檻に入れられていたし、マシアスはクグレックをかばって重傷を負っていたのは間違いなかった。が、それ以上に、クグレックはピアノ商会が崩れた、ということが大きな衝撃であった。
「崩れたって、どういう意味?」
「そのまんまだよ。ククのバチバチがピアノ商会を破壊したんだ。」
「嘘…。」
ニタの言う“バチバチ”が未だに理解できないが、本当にとんでもないことが起きていたのだ。
「じゃぁ、マシアスは無事なの?」
「うん。やって来た知らない人達はマシアスの仲間だった。ピアノ商会が崩落する前に、マシアスの仲間たちが、建物にいる人達を外に出してくれたから、えっと、とりあえず…全員命は無事だよ。」
クグレックは自身が破壊したとされるピアノ商会で、誰かがその瓦礫の下敷きになって命を落としていないという事実に安堵した。ただ、命“は”無事だというニタの言葉に多少の引っ掛かりを感じたが。
「ククのことも、マシアスの仲間たちが運んでくれたよ。」
「そうなんだ…。」
「マシアス、今別の部屋にいるよ。銃に撃たれてるから、まだ安静にしてたんだ。ククが起きたら話をしたいって言ってたから、行こう。」
ニタに手を引っ張られ、クグレックはマシアスの部屋に連れ込まれた。
クグレックの部屋よりも少し広い部屋に、マシアスがいた。
マシアスは上半身が裸で、腹部は包帯でグルグル巻きにされていた。金髪はぼさぼさになっており獅子のようだったが、顔色もよく、元気そうだった。クグレックは少しだけ安心した。
そしてもう一人。マシアスと同じような金髪の男性が、部屋に似つかわしくない金細工の豪勢な椅子に座って、ワイングラスを啜っている。マシアスよりは体格が華奢で、どこか気品が漂っている。髪はクグレックと同じくらいの長さのおかっぱであるが、しっかり手入れが成されているようで、艶があり絹糸のようにさらりと流れる髪だった。ワインを堪能しているらしく、彼はクグレックが入って来たことには気付いていないようだった。
マシアスは、クグレックを見ると安心した表情を見せた。
「起きたか。具合は大丈夫か?」
クグレックは、黙って頷き、マシアスを見つめた。あんなに腹から血を流していたというのに、ぴんぴんしているのはポルカで謝礼に貰ったという白魔女の薬のおかげだった。
「ピアノ商会では色々悪かったな。色々怖がらせてしまったようだ。」
マシアスはカップに温かい紅茶を注いで、クグレックとニタに渡した。
クグレックはカップを受け取り、口に含む。紅茶といえども、クグレックが今まで飲んできたものとは少々異なっていた。少しだけ酸味があるが、深みがあり、元気が出て来るような味だった。「で、話って?」
「お前のおかげでピアノ商会を潰すことが出来た。ありがとう。」
クグレックはニタに目線を遣る。マシアスの言っていることが理解できないからだ。
ニタは思い出したかのように話を始めた。
「クク、ニタはマシアスのことをちょっとだけ勘違いしてたみたい。あのピアノ商会って会社は戦争請負屋らしくて、戦争が起きれば大儲けする会社なんだって。武器とか物資を売ったり、時には社員を傭兵としても派遣しているらしい。」
「お前も見ただろう。ピアノ商会の武器庫や倉庫を。あれらは全部これから起こる戦争のための物資だ。」
マシアスが付け加えた。
クグレックはニタを探してピアノ商会を捜索した時に見た大量の木箱――中身は武器や防具、缶詰といった携帯食料のことを思い出した。あれらは全てこれから起こる戦争に使われる、ということなのだろう。
「リタルダンド共和国が、内紛にあったことは知ってるよね。一番悪い奴はその時の政治家だったんだけど、裏で暗躍していたのはピアノ商会だった。自分たちが利益を上げるために、言葉巧みに暴力を伴った戦争を起こしたんだ。それだけじゃない。奴らは希少種狩りを行う団体にも武器や狩るためのノウハウを売っていた。マシアスは、それを追っていたらしいよ。」
「そ、そう…。」
「ポルカにいたのも、ピアノ商会の社員を探すため。あの山賊達のボスはその社員のうちの一人だったらしい。」
「でも、どうして、あのポルカのボスと一緒に居たの?ボスは牢屋に入っていたんじゃないの?」
「それは、少し複雑な話になる。」
マシアスがニタが説明しているところに割って入って来た。
「ポルカであの後、取り決めをしていたんだ。俺はどうしてもピアノ商会に辿り着かなければならなかったから、ピアノ商会の社員であるアイツの存在は大きかった。だから、アイツに選択させた。
1、俺に殺される。
2、このままリタルダンド警察に捕まり、豚箱へ行く。
3、ポルカでの任務は成功したことにする。」
「どういうこと?3の選択肢って…。」
「結局アイツは殺される運命だったんだ。ピアノ商会は、失敗を許さない。任務が遂行できない場合は、除名は未だ優しい方だが、死を持って償う場合もある。それでも、生き残る可能性は一つだけ。ポルカでは、実のところ、警察に突き出していない。」
「…でも、確かに、山賊達は警察に捕まったはず。この目で確かにみたもの。」