はじまりの旅
そうして、ニタとマシアスは重傷の山賊達からの攻撃を一方的に受ける。クグレックは目の前の惨劇に、ただひたすら自分の無力さを恨むばかりだった。羽交い絞めにされて身動きが取れなくなってしまっては、魔法も使うことが出来ない。クグレックの友達のニタが、自分の目の前で酷い目に遭っているというのに。
と、その時であった。
闇に包まれた夜空がほんのりと明るくなった。ねぐらに戻ったとされていたニルヴァが、再び夜の空を悠遊と舞い始めたのだ。
最初はぐるりと孤を描いて飛んでいたが、徐々に高度を下げて来た。そして、悠遊とクグレックたちのもとへ降り立った。
警戒心がないだけなのか、それとも絶対的な力を持つ余裕なのか。黄金の羽毛に包まれたニルヴァは神々しい。泰然自若としたその佇まいは希少種だから出せるものなのだろう。そう言えば、メイトーの森の主である白猫のメイトーもよくよく考えれば希少種であり、同様に悠々としていた。
ニルヴァがその光り輝く翼を広げて羽ばたけば、黄金の粒子がふわりと舞う。瀕死の状態にある村の男たちの傍を低空で羽ばたく。黄金の粒子が村の男達にくっつけば、怪我は見る見るうちに回復し、傷跡や痣は何事もなかったかのように消えてしまった。ビート達が言っていたニルヴァが持つ“少し不思議な力”とは、この治癒能力のことであった。
その中の一人のビートは目を覚まし、倒れた状態のまま顔を上げた。まだ体に力は入らないようだ。悠々と旋回するニルヴァを目を細めながら見つめている。
幻想的な光景に、クグレックはニルヴァこそ本で読んだ伝説の不死鳥なのだろうかと思ったが、ビート達の話によればニルヴァは決して不死鳥ではないらしい。生き血を飲んだとしても、その肉を食したとしても、摂取したものが不老長寿になったり、不老不死になったりはしないそうだ。
だが、無常なことに神殺しは存在する。ボスが握っていたナイフをニルヴァに向かって投げつけたのだ。
ナイフは見事にニルヴァの右翼に命中し、低空を羽ばたいていたニルヴァは悲鳴を上げてバランスを崩して地に降り立った。ナイフは痛々しく右翼に刺さっており、血がどくどくと流れている。ボスは更に懐に隠し持っていたもう1本のナイフを投げつけ、ニルヴァの腹部へと刺した。
ニルヴァは「ギャアァァァ」と苦しげな悲鳴を上げ、どさりと地に伏した。炎のような赤い瞳が虚ろに地面を見つめる。
「は、は、は。死なないくせに、何がつらいんだ。」
ボスはクグレックの尻を蹴飛ばし、瀕死のニルヴァへとにじり寄った。彼はニルヴァを不死鳥だと思い込んでいるようだ。
弱々しく呼吸をするニルヴァの黄金の体躯からは、輝きが消え失せていた。
ボスはニルヴァの足を掴み、逆さにして持ち上げた。血がどくどくと流れ出るのもお構いなしにニルヴァを乱暴に扱い、両足を縄で縛り、すぐそばの木の幹に括り付けた。重傷を負ったニルヴァはもう飛び立つことも逃げ出すことも出来ない。
ボスはニルヴァの右翼に付いたナイフを抜くと、次にニタの方を振り返った。
「次はお前だ。」
と、ボスが言った。
ニタは、山賊に攻撃を加えられ、立てない程の傷を負っていたが、男がナイフの刃先を見せて近付いて来ると、途端にその白い毛を逆立てた。眼光も鋭く、いつもの愛くるしさが消えていた。瞳孔はさながら猛禽類の如く鋭利になり、容赦のない捕食者の目つきに変わっていた。そして、小さな声でぶつぶつ呟いている。
「…許さない。」
ニタはぶつぶつつぶやきながらゆらりと立ち上がる。足元はふらついているが、その視線はずっと男に張り付いたままだ。
「これだから人間は許せない。お前らは一体何様だ?生命の頂点にでも立ったつもりか?力なき生命を弄び、嬲り殺し、悦に浸って他を圧倒してどうする。お前らが思う力なきものは決して愚鈍ではない。お前らなど微塵でもない。同じことが我々にも出来る。だけどしない。ほとんどの者が、いたずらに声生命を奪うことの愚かさを知っているからだ。だが、ニタは許されている。気高き同朋の恨みを果たすべき存在として、復讐が許される存在。自らを守るために、自らの手を汚すこと誇りとするペポの戦士だ。ニルヴァはペポの二の舞にはさせない。ペポの戦士が愚かなるニンゲンに鉄槌を下す。」
山賊達は、動き出そうとするニタを止めようと持っている武器で殴りかかって来た。が、ニタは瞬時に交わした。ニタは全く重傷を負った様子を見せない上に、向かい来る山賊達をその白い拳で叩き潰した。元から手負いだった二人の山賊は、その場に倒れて動かなくなった。
ニタは病的にぶつぶつ言いながら、ゆっくりと男に近付いて行く。
クグレックはニタの呟きを聞いてしまった。距離は大して近くないはずなのに、傍にいるかのようにはっきりと聞こえた。
普段のニタからは想像できないような禍々しい言葉を吐いている。ニタは仲間の一族を全て人間に狩られたと言っていた。おそらく、この言葉は人外を生き物と思わない人間に対するニタの怒りを超えた怒りの言葉なのだ。
多分、ニタはあの男のことを殺すのだろう、とクグレックは直感的に感じた。
山賊達のボスは強い。だが、ニタはそれ以上に強い。だから、ニタはあの男を容易に殺すことが出来る。
メイトーの森を出てここまで来る間、野宿の度にニタが食事のために他の生命を奪うのは見て来た。そのたびにクグレックは居た堪れない気持ちになったが、「生きるためなんだから仕方がないの」というニタの言葉に納得し、嫌々ながらも容認してきた。だが、今目の前で起きようとしていることに関しては、納得してはいけないし、認めてもいけないとクグレックは思った。
ニタがこれ以上進んだら、もう後戻りが出来なくなるような気がした。クグレックは傍らに落ちていた杖を握りしめ、がむしゃらに杖を振った。
「ラーニャ・レイリア!」
その瞬間だった。ニタが空中へと吹き飛んだ。そして、3mほどの高さでぴたりと張り付いたように動かなくなった。
「クグレック!!!何をするんだ!」
ニタが必死の表情で叫ぶ。空中で手足をばたつかせながら抵抗しようとするが、その場から移動することが出来なかった。
クグレックはニタの問いに答えず、歯を食いしばりながら、真剣な表情でニタに杖を向けている。物体移動の魔法だ。力ではなく魔力によって任意のものを動かすという魔法だが、生き物に使うのは初めてだった。気を緩めてしまえば、魔力が解除されてニタが3m下へ落ちてしまう。クグレックは暴れるニタに意識を集中して、空中に固定させた。
「どうしてこんなことをするんだ!?そいつは私利私欲のためにニルヴァを捕まえようとしている。生け捕りにするとか言ってるけど、最終的にはニルヴァは用済みになって殺されるだけだ。二度とポルカには戻って来れない。そんなのが許されていいと思ってるのか」
クグレックはニタの問いに答えなかった。口を開いてしまえば、ニタへの集中が途切れ、魔法が解けてしまうからだ。
「くくく。さすが魔女。ペポの希少さに気付いたな。」
男が下衆い笑みを浮かべて、ニタに向かってナイフを投げようと構えた。