はじまりの旅
メイトーは威嚇するように、毛を逆立てて紅い髪の大女に向かって牙を見せると、光の速さで飛びかかって行った。
大女はキャーと悲鳴をあげた。その顔には合計6本のひっかき傷が出来ていた。
「え…。」
ニタは若干戸惑っていた。クグレックも展開に戸惑っていたが、メイトーは何事もなかったかのように、再び優雅に前足を揃えて紅髪の大女の前に座る。長い尻尾だけがまるで別の生き物のように優雅に動いていた。
「この糞ネコめ、アタシの美しい顔に傷をつけたわね!」
紅髪の大女は蛇の飾りがついた杖を手に取ると、何かをブツブツ唱えて、天に掲げた。すると、杖からキラキラした光が発生して大女を包んだかと思うと、6本のひっかき傷は跡形もなく消えていた。そして、痺れたと言って尻餅を着いたままでいた大女がすっと立ち上がり「よくもやってくれたわね…。」と言って、メイトーに向かって杖を振り上げた。
ところが、紅髪の大女は急に焦り出す。自身の体が徐々に透けて来ているのだ。
「や、なに?体が透ける!え、ど、どういうこと?」
メイトーはぐるるると喉で唸りながら、大女から視線を外さない。尻尾ばかりが蛇のように妖艶に動いていた。
紅髪の大女の体は徐々に向こう側が透けて見えるようになっていた。自身に発生した異常事態にパニック状態になり、何度も自身の体をさすっている。しかし、体の先から徐々に透けて消えていき、紅髪の大女は今にも泣き出しそうだった。
「や、やだ、アタシ、死にたくない。いや、いやよ、まだ生きていたい!」
彼女は必死で拒むが、メイトーが可愛らしい声で「ニャー」と一鳴きすると、紅髪の大女の姿は忽然と消えてしまった。
騒々しい大女の声が止み、森の中には静けさが戻った。
そして、メイトーは何事もなかったかのように優美にニタとクグレックの元へやって来ると、地面に這いつくばっているニタの頭にぽふっと前足を乗せた。
すると、朦朧としていたニタの様子が一転して、目に力が宿ったかと思うと、元気よく起き上がった。
「メイトー様、助けてくれてありがとうございます。」
メイトーは満足したように「にゃーん」と鳴く。
「え、なんですか?」
ニタはメイトーに耳を傾け、相槌を打つ。メイトーは一言も鳴き声を発さないが、ニタは「えーそうなんですかー」「へー」と反応している。クグレックは呆然とした様子でニタがメイトーの話を聴いている様子を見ていた。
「なんだ、そういうことだったんだ。」
メイトーは「そういうことなんだよ」と言わんばかりににゃーんと鳴くと、クグレックの足にまとわりつき、体を擦り付けて来た。クグレックはしゃがんで、メイトーの体を優しく撫でた。短毛のつやつやした白い毛はベルベッドのようにすべすべしている。
「クク、メイトー様はニタ達に忘れ物を届けようと思って、森を閉じてたんだって。でも、ちょうどそこにさっきの変な女が入って来たから、ちょっと様子を見てたら、大分時間が経ってしまったらしい。なんか森のあちこちに魔法陣を作ってたから、全部消して回ってたんだって。」
「魔法陣?」
「うん。どんなのかはよくわからないけど。でも、あの女が作ったものだから、きっと良くないものに決まってる!」
クグレックは確かにニタの言う通りだと納得した。
「で、メイトー様、忘れ物って何ですか?」
「にゃーん。にゃおにゃお。」
メイトーは可愛らしい甲高い声で鳴くと、どこからともなく大きなリュックサックが落ちて来た。
クグレックはニタを見る。ニタはけらけら笑いながら答えた。
「どうやら、エレンからの餞別らしいよ。開けてみると良い。」
クグレックは恐る恐るリュックサックに近付き、中を確認する。すると、中にはお金と寝袋、簡易式テント、携帯食料、1冊の本が入っていた。本はいわゆる魔導書と呼ばれるもので、数種類の魔法の使い方について記されたものだった。なかなかずっしりとした荷物ではあったが、これらがあれば森の外に出てもなんとかやっていけそうだ。
「メイトー様、ありがとうございます。」
クグレックは笑顔でメイトーにお礼を言った。
「メイトー様は何もしてない、ただ届けただけだ、って言ってるけど、メイトー様がいなければあの女をどうにかすることも出来なかった。本当にありがとうございます。」
メイトー様は満足げに「にゃー」と一鳴きすると、急に駆け出し、森の奥の方へと消えて行った。
「メイトー様、おやつを残して来ちゃったから帰るって。無事に頑張ってね、だってさ。」
「メイトー様って、自由なんだね…。」
「まぁ、そうだね。じゃ、先進もうか。その荷物、きっとクグレックには持てないだろうから、ニタが持つよ。」
クグレックはここまでずっとニタに頼りっぱなしだった。少しはニタの役に立ちたいと思い、リュックサックを背負おうとしたが、結構な重さで担いだところでふらふらしてまっすぐに歩けなかった。だけど自分よりも小さなニタにこんな重いものを持たせるわけにもいかなかったので、頑張って歩いた。が、ニタがニヤニヤしながら「そんなんじゃ、今日中に森を抜け出せないよ。」と言われたので、結局リュックはニタが背負うこととなった。
ニタは平気な様子でリュックサックを背負い、今まで変わらない速さで歩くことが出来ている。小さくて可愛い外見をしているが、身体能力は特別優れているようだ。
二人はなんやかんやワイワイ言いながら、森の入り口を目指して進んで行った。もう森の異常は何もない。森の守護神メイトーを味方につけている二人は何の困難もなく森を脱することが出来るだろう。
二人のアルトフールへの旅は始まったばかりだ。