はじまりの旅
「ククも沖の方に行こうよ。楽しいよ!」
そう言ってニタはククの浮き輪の紐を引っ張り、超絶的なバタ足で沖へ向かう。無論クグレックにバタ足で飛び散った海水が全てかかってしまっていたのは言うまでもない。
足がつかない程の深さにいるが、浮き輪のおかげで浮いていられるし、ニタが傍にいるのだからクグレックは安心していられる。
と、その時であった。一際大きな波がやって来たかと思うと、波はぺろりとニタを呑みこんだ。そしてクグレックも浮き輪ごとひっくり返った。すぐさま浮き輪にしがみついたおかげで海中へ沈んでゆくことはなかったが、浮き輪の外側からしがみついているためうまくバランスが取れない。 クグレックは必死にばしゃばしゃと水をかきながらもがき続けた。勢いで海水も飲んでしまい、くるしい。
クグレックは大パニックに陥っていたが、ふと何者かに抱きすくめられた。
「クク、大丈夫か、ニタはどうした。」
困った時にいつも助けてくれるハッシュの声にクグレックはわずかに落ち着きを取り戻し、御山の時のようにハッシュに抱き着いた。
「ニタ、…沈んじゃった…」
「そんな!」
ハッシュは浮き輪を掴みながら、きょろきょろと辺りを見回すが、ニタの姿はない。
「…一回浜辺に戻ろう。ニタを探すのはそれからだ。」
と言って、クグレックを抱えて浜辺へ戻ろうとしたハッシュだったが、突然海面が盛り上がったかと思うとざぱんと元気よく飛び出してきたのはニタだった。ふかふかの毛は海に濡れてしなしなになっているが、黄色のヒトデを手にして満面の笑みを浮かべていた。「見てみて、星落ちてた!」と、呑気な台詞をぶちかまして。
「は?ニタ?」
「いやぁ、ちょっと大きめの波に呑まれた時はびっくりしたけど、海の底に星がいたから、つい持って来ちゃったんだよね。って、あれ、ちょっとなんでクク?」
ニタはしっかりとハッシュに抱き着くクグレックを見て戸惑った。
「ククは溺れかけたんだ。とりあえず浜辺へ戻るぞ。」
「…はーい…。」
さすがのニタも怖がってハッシュに抱き着くクグレックを見てしまっては、大人しくハッシュに従うしかなかった。
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それからクグレックは大人しく浜辺でムーと遊んだ。ニタと海で遊ぶのは海初心者のクグレックには危険とハッシュに判断されたためだ。ニタはクグレックと遊びたがっていたが、ハッシュが代わりにニタと遠泳勝負を行っている。
そして、夕暮れが近付いて来る頃、フィンが夕食をバーベキューにしてはどうかと提案をしにやって来た。一行は海を十分に満喫したので海の家にてシャワーを浴びて身を清めてから、バーベキューの準備を始めた。
道具などは海の家に準備されたものを運び出すだけだったが、火起こしなどは自分たちで行う。何故ならば、そちらの方が楽しいからだ。それに野宿慣れしている彼らなので、バーベキューなど余裕であった。
ハッシュが炭に火を起こしている間にニタとククとムーで海の家からバーベキュー用の食材を選ぶ。串に刺さった豚肉や牛肉、鶏肉、野菜や魚などがありニタとクグレックは嬉々として好きな具材を持って行く。二人が戻って来る頃にはハッシュも火起こしを終えていたので、すぐに具材を焼くことが出来た。野宿生活でニタが狩って来た野生の肉よりも断然美味しいバーベキュー。海に沈んでいく夕日を眺めながら一行はバカンスを満喫するのであった。
そうして一行は目一杯ハワイでの行楽を楽しみ、ついにその日を迎えた。
ハワイ滞在3日目は、霧雨が立ち込めて、これまでの青空は全くと言い程見えなくなっていた。
「最高のおもてなしのためには常に晴れていて欲しいと思うのですが、そう上手く行かないのが現実です。」
フィンは残念そうに雲に覆われ靄がかった空を見つめながら言った。
「…もしかすると、リリィは神域に来て欲しくないのかな。」
ムーが言った。
「それは、そうです。常時閉鎖している位なので極力来てほしくないと思ってますよ。」
クグレックは(神域に私みたいな魔女なんか入れたくないんだろうな…)と思って、この天候の悪さに責められるような心地がした。
すると突然、フィンが懐からヘアピンを取り出し、クグレックの頭に飾られていたハイビスカスをこめかみのあたりに固定した。激しく動いても簡単には取れないだろう。そして、クグレックの頭を優しく撫でながら
「リリィはただ普通にハワイでの行楽を楽しんでほしいと願っています。だから、皆さんのことが嫌なわけではないんですよ。海で泳いだり、浜辺でバーベキューしたり、ダイビングをしたり、トレッキングをしたりしてただ純粋に楽しんでもらいたいだけなのです。『楽しむ』という観点から見ると神域で過ごすことはリリィの意志に反してしまうんですよ。私達みたいな従業員が業務のために入る場合は何にも起こりませんから。」
と言った。まるで心の中を読まれていたかのような心地がしたが、クグレックはそのフィンの言葉に安堵の気持ちを覚えた。
「…1つだけアドバイスしますと、神域は少しだけ険しい道のりかもしれませんが、楽しんでください。リリィは皆さんが楽しんで充実している様子が見られれば、満足してくれます。」
「なんだ、そうなの。じゃぁ、ニタは大体いつも楽しいから、いつもの調子でいるよ。」
と、言って、ニタはクグレックの手を握った。そして、ぐいっと引っ張り駆け出した。クグレックはよろめきながらもニタと共に走った。ニタは自分本位で騒がしい奴だけど、ニタがいてくれれば、不安になりがちなクグレックの気持ちは穏やかになる。
「…ま、そういうことなんだな。ムー。」
二人の後姿を見ながら、ハッシュが言った。
ムーはパタパタと翼を羽ばたかせながら、押し黙る。常に不安になりがちなクグレックだけはなく、今はムーも友人の安否が心配であり、正直なところ楽しんでいる余裕はなかった。
「…前を見てようぜ。俺達が進む先にお前の友達が待ってるんだ、絶対に。」
この時、ハッシュはあえてムーを一瞥することなく歩を進めたが、ムーは不安を吹っ切ったのか、猛スピードでハッシュを追い越し、先を行くニタ達を追いかけた。すぐに山門に辿り着いたのだろう。くるりと振り返ったムーは
「ハッシュ、遅いよ!早く、早く!」
と、どこかからかうように叫ぶのであった。
ハッシュは一緒に歩いていたフィンと顔を見合わせながら、ふっと鼻で笑った。
山門は木の根の様なものが複雑に絡み合い門の態を成していた何となく門の様に見えるが、どのように開くのか。そして、山門と言いながらも、眼前に広がるのは山と言うよりも鬱蒼とした森である。大きな樹が立ち並び、あまり光が差し込んでるようにも見えない。陰のオーラが立ち込め、楽しいハワイの雰囲気はそこには全く存在していないであろう。
「いやぁ、なんか不気味だねぇ。」
さすがのニタも神域の不穏さに気圧されるも、臆することなく山門に手を触れる。すると、木の根はするすると左右へと退いて行き、森への鬱蒼とした道が開かれた。
「リリィは許してくれたみたいですね。」
フィンが言った。
「道は整備されていませんが、そんなに大変な道のりではありません。山の中の道は案内しますね。」