ゴキブリ勇者・ピエロ編
「ちょっと頼みたいことがあんだよ。とりあえず聞いてくれ」
外は残暑が厳しく、まだセミの声が聞こえる。
強い日差しをカーテンで遮った部屋で、私はオレンジジュースを飲んでいた。
魔王城ではオレンジジュースしか出されたことがなかった。
「アンタに広告塔になってもらいてぇんだ。
クラウン商会はヤバイってアンタが言えば、聞くやつも多いだろ」
「そんなまさか。
私はただのピエロですよ。
私の言葉に説得力があるとはとても思えません」
「……いや、アンタの母ちゃんの名前を出せば、宣伝効果はバッチリだ」
魔王はばつが悪そうな顔をしながら、オレンジジュースを飲んだ。
私ももう一度オレンジに口をつける。
私はクラショーから抜け出したあの日から今日まで、なにもしてこなかった。
なにかをするということは、死んだ母や妻を敵に回すということだ。
私は家に帰れば温かく迎えられるという幻想を、いまだに捨てられていなかった。
「アンタも辛いってことは分かってる。
俺だって正面きって戦うのはコエーよ。
だけど……このままじゃなにも変わらねぇから」
私はなにも答えられなかった。
「ま、一回帰って考えてくれよ。俺も色々考えてみるから。
今日はごめんな」
魔王といえど、まだあんな少年に気を使われて、なにも決心出来ずに、私はなにをしているのだろう。
帰り道の途中で立ち止まり、私は写真を取り出した。
写真の中の妻と母は笑っていた。
「私がしようとしていることは、間違っているのかな」
写真は答えない。
回りを囲む木々も、しんと押し黙ったままだった。
だけど、私の腹は決まった。
くるりと後ろを振り返り、先が分からない毎日へと歩み出した。
作品名:ゴキブリ勇者・ピエロ編 作家名:オータ