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ゴキブリ勇者・ピエロ編

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手も呼吸も震える。
あんなに会いたかった人が、こんなにそばにいるのに、私には声をかけることすらできない。
そうしている内に、あの人の方が私に声をかけた。
あの頃とは違う、シンプルでゆったりした服は、彼女は母親になったのだと実感させた。


「アナタ……久しぶりね」

「……今、タツヤ君に会ったよ」

「ええ……今、五才なの」

「そうか……」


私は席に座り、彼女の手をちらりと見た。
左手の薬指には、指輪がはまっていた。


「指輪……つけてくれてるんだね」

「ええ、アナタに会うからつけてきたのよ……」

「そう……」


会話があまりにも続かず、私は組んだ自分の手を見つめ続けた。
気がつくといつの間にかお冷やが運ばれてきていて、彼女はなにか注文した方がいいと言った。


「私は紅茶にするわ。アナタは……?」

「じゃあ、私はオレンジジュースにするよ」

「えっ、だって酸味があるものは嫌いなんじゃないの?」

「最近こればっかり飲んでるから、慣れちゃって。
ちょっと好きになってきたんだ」

「そう……」

「うん……」


会っても話せることなどなにもない。
なのに、私たちは会ってしまった。
そして、当然のように沈黙が続いた。


「……タツヤには、アナタのことは死んだって話してあるの。余計な心配はかけたくないから」

「そう……」

「でも……」


どうしても言葉が続かない。気がつくとオレンジジュースを飲み干していた。


「……今度はいつこれるんだ?」

「えっ……?」

「今日一日だけじゃ、きっとお互いに話せないから……また今度にしよう」

「また会ってくれるの?」


私は涙をこらえながら頷いた。
彼女はちょっと笑った。
その顔は昔のままだった。


「じゃあ……また来るわね。
それまでにはタツヤと少しだけ話してみる。
全てを話すのは無理だけど……」

「ああ……分かったよ」

「それじゃあ……」


去っていく妻の後ろ姿を見て、私はある衝動にかられた。何年も押さえ込んできた気持ちだった。


「私は君のことが好きだ!」


叫んでしまった私の声を聞いて、妻が振り返った。
その顔は涙に濡れてビショビショだった。


「ありがとう」


妻は受け入れも拒みもせず、去っていった。
一人になった私は、泣いた。
とにかく泣いた。
店の人に心配されるほど泣いても、まだまだ泣きたりなかった。
作品名:ゴキブリ勇者・ピエロ編 作家名:オータ