すれ違いの糸
かすみは大げさなモーションでスプーンを伸ばすと、啓介のチョコバナナパフェをくいっと横取りした。バナナの素朴な甘みとチョコレートの洗練された甘みが組合わさり、異次元の甘みとなって口の中で幸福の鐘を響かせる、とかすみが評価する一品である。ちなみに、かすみが注文したイチゴパフェも、もう既に半分以上なくなっている。さすがは、甘酸っぱいイチゴとそれを優しく包み込む生クリームは、少しとろけたバニラアイスとともに全ての細胞を癒やしと幸せで満たす、というよく分からないが最高評価のイチゴパフェである。共感できない啓介はまだ二口しかパフェを食べられていない。
「わかってると思うけど、糸は軽いんだ。普通に投げたってまともに飛ばすことなんてできないだろ」
かすみはもっともらしく頷くが、啓介の言葉に納得しているのか、パフェを味わっているのかわからない。しばらく観察しているとリスのように、もしゃもしゃしては両手をほっぺにあてては至福の表情を浮かべる。啓介はかすみの状態が落ち着くまでしばらく待った。
啓介は雑記用のノートを取り出して、まず二つの可能性について書き出した。
「投げる動作の前に巻き付いていた。投げる動作の後に巻き付いた。ま、どちらかだよね」
しばらく待った甲斐もあり、かすみは真剣な面持ちで話を聞いてくれていた。ただし、パフェはもう二つともない。啓介はほとんど食べていないにも関わらずだ。この新たに発生した謎はとりあえず横に置いておく。
「投げる前に巻き付いていたとしたら、かすみの目撃情報からは何もわからないね。だって、投げる動作からしか見てないから」
啓介は、線を引くとその先にクエスチョンマークを書いた。
「既に巻き付いていたとしたら、あのとき何を投げていたの?」
「うん、当然そういう疑問はある。絞殺が目的。既に首に糸を巻き付けていた。そこからは首を絞めるだけだ。投げるものなんて何もない」
啓介は、投げる動作の前に巻き付いていた、に可能性低と書いた。
「じゃあ、投げる動作の後に巻き付いた、としよう。ここでも、投げることによって巻き付けたのか、全く別の方法で巻き付けたのか、と二つ考えられる」
啓介は二つに枝分かれした線を描くとそれぞれの可能性を書いた。そして、今度は何も言わずに後者の方に可能性低、と追記した。絞殺が目的であるならば、その行動は首に糸を巻き付けることに対して合理的であるはずだ。
「投げることによって巻き付けた。まぁ当たり前のところまで来たね」
ここからがやっと本題だが、かすみはイチゴの期間限定メニューを先ほどから、ちらちらと見ていた。真剣に考える気があるのかと普通ならば怒り出すところかもしれない。しかし、この二人の関係からすれば、これは呼吸と同じぐらい自然なことだった。考えるのはいつも啓介一人の仕事だ。
啓介はただ無関心な態度で、太っても知らないよ、と冷たくけん制だけは入れておく。かすみは頬を膨らませた。そして、断腸の思いでメニューと決別したようだった。
「糸を投げたのか、別の何かを投げたのか」
糸なんてそうやすやすとは投げても飛ばない。糸をくくりつけた何かを投げた可能性の方が高いだろう。
投げる動作の後に巻き付いた。投げることによって巻き付けた。糸とは違う別の何かを投げた。
「状況からわかるのは、これが精一杯かな」
「でも、もしかしたらハードボイルドな通り魔で、渋い感じでたばこを投げ捨てて犯行に及んだだけかもしれないよ」
「まぁ可能性としてなくはないけど」
唾液が付着したたばこを現場に落としていくほど犯人が浅はかである可能性はどれぐらいだろう。
「ふーん、結局何もわからないってことね」
パフェを食べていただけの人に無能だと言われたようで啓介は気分を少し害した。
「ひとまず、投げて巻きつけたということは、飛んでくる糸に気をつければ安全だと思う。例えば、傘を差していれば遠くから糸を首だけに回すなんてことは不可能に近い」
「じゃあ、これからは啓介も雨の日も晴れの日も傘を差しててね」
なぜそうなるのだという意味を込めた間を精一杯とってみた。
「日傘差してる男子って正直にどう思う?」
「端的に言うと、もやしだね」
安くて栄養価が高くて歯ごたえがいい、なんてことは多分言っていない。かすみは小意地の悪い笑いを浮かべてもう一度同じ言葉を放った。
結局、謎解きはここで中断した。今日はこの話題について話をする気はもうなさそうだった。かすみが犯行時に聞いたという奇妙な低い音のこともある。どのように糸を巻き付けたかと同じくらいに普通ならば気になるはずだ。けれど、かすみは全く気にしていない。本気で考えるつもりがないのか、本当に頭が空っぽなのか。
どちらにしても多分幸福な結論ではない。であれば、今日の所は、かすみの笑顔に免じて、少しだけ笑って推理を終えるのが、今日の啓介にとっての最善なのだろう。
啓介の体験入部は二週間にもなった。皆の彼への特別扱いもそろそろ底をついた。部長さんに、
「あなたの幼なじみは、入部するの? しないの?」
と陰で尋ねられる始末である。答えは濁すことしかできない。事件が解決すれば啓介はきっともう手芸部には来ないだろう。また少し疎遠になってしまう。そう考えると、事件など解決しなければいいとも思う。さすがに、一か月以上も体験入部だと言って居座れることはないだろう。そうなれば、もしかしたら啓介も手芸部にそのまま入部するかもしれない。一度入部すれば三年生までずっと一緒に活動できるかもしれない。
気掛かりなのは啓介が針も糸もあまり手に取ろうとしないことだった。かすみの陰でずっと携帯をいじっていた。ちょっとのぞき込むと、被服室をいつのまにか撮影していたらしく、その動画を見ていたり、何か怪しげな英語のサイトを開いていたりだった。英語で、メールの送信に成功しました、と書いてあったのでメールをしていただけだとは思う。ただ、誰にメールをしていたのか本当は聞きたかった。画面を隠す素振りが何とも怪しくて、他の女の子の名前が出てきたら面白くないのでやめておいた。
啓介がいるからかすみは手芸部の活動をふだんよりも張り切った。少しでも長く一緒にいたい。他の部員の子達も何かを察してくれているようだった。
「じゃあね、かすみ。あんまり熱をあげないように」
「別に、そういうわけじゃないんだけど」
「何赤くなってるの? 私はその刺繍のこと言ったんだけど」
と、ビビッドな笑い声とともに友人は少し早めに帰っていった。
「最近は物騒だから早く帰りなさい」
金井先生は遅くまで残っているかすみに注意をしてくれた。かすみはしゅんとしつつも素直に頷く。
「まだ大丈夫ですよ。糸の通り魔は二か月に一回しか現れないみたいですから」
かすみの気持ちを知ってか知らずか啓介はいつも通り冷静だった。
「そうだとしても、通り魔の気なんていつ変わるかわからない。本田さんをきちんと送っていってあげなさい」
啓介は先生に返事をする。嫌々という感じが一切ない自然な態度だった。それだけでかすみは頬が緩んでしまう。
かすみが啓介のことをいつから好きになったのかはわからない。