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夏日 純希
夏日 純希
novelistID. 55916
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すれ違いの糸

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「おーい、啓介? 人の話聞いてる?」
「うん、聞いてるよ」
「ほんとかな。じゃあ問題です。……王様の耳は?」
「ロバの耳」
「メイドさんがつけると可愛いのは?」
「猫の耳」
「サンドウィッチに最適なのは?」
「パンの耳」
「細くて具が挟めない! でも、一口サイズでちょっといいかも……って、やっぱり真剣に話を聞いてくれてないよね」
「ん? あぁ、ごめん、ごめん。ちょっと今トリップしてた」
 頭の中で考えを構築し出すと、他人に適当に合わせるのが啓介の癖だった。自分ではこの状態をトリップと名付けている。よくあることなので、かすみにもトリップと言えば通じる。プログラミングをしているときに多いのだが、考えごとをしていると頭の中で設計図がどんどんと広がってゆくことがある。これを中断すると、また最初からやり直す必要があるので、こういう場合はひとまず考え抜くことが大事なのだ。啓介にとっては、この適当な受け答えは、思考の防衛手段と言えたが、かすみにとっては反応を楽しむおもちゃのような存在になっている。
 やがて啓介の考えはまとまり、次のように言った。
「よし、かすみのためにも一緒に犯人を捜そう」
 きっとかすみが欲しかったのはこの言葉だったに違いない。かすみの声のトーンが跳ね上がったのが啓介にはわかった。
「喜んでいるところ悪いけどさ、探し出せる可能性は低いと思うよ」
「大丈夫、大丈夫。啓介は、携帯のアプリ作れちゃうぐらい頭いいんだから」
「あんなの誰でもできるって。プログラミングなんてただのパズルだから」
 プログラムは書いたとおりに動く。だから簡単だ。啓介からすれば、人間を相手にする方がよっぽど難しい。
「ところで、どうして手伝ってくれる気になったの?」
「別に理由なんてないよ」
 啓介は自分の声がうわずっていないことを確認する。
「やっぱり啓介の主義と関係あるの?」
「主義ってあれのこと?でも、何度も言うけど、あれは主義って程大層な物ではないよ」
 美しい物は好きで、醜いものは嫌いだ。人間であれば普通のことだと思う。何げなく口にした一言だが、なぜかかすみには強く印象に残っているらしい。
「そう感じるのは普通のことだけど、そう変えていこうとするのは普通のことではないよ。みんな醜い物からは目を背けるだけだけど、啓介は違うもんね」
 確かに啓介の場合、自分の手の届く範囲で変えようと努力はしている。でも、醜いものから目をそらさないわけでもない。政治家の汚職などは見た所で何もできない。人を殺した人間が何十年か刑務所で暮らしただけで日常に復帰できるのも、納得はいかないが司法制度を変えようとは思わない。
「結局はエゴだよ。褒められたもんじゃない」
 それは啓介の本心だった。

 啓介は帰宅部だ。中学校の頃に他人と時間を共有し過ぎると疲れることに気づいたので高校ではクラブに入部しなかった。別に他人が嫌いというわけではない。人には二種類あて、人と一緒にいることで元気を回復する人と、一人でいることで元気を回復する人がいるらしい。その話を聞いたとき、自分は後者なのだなと妙に納得した覚えがある。ちなみに、かすみは前者だとと思う。それどころか一人で家にいるとなぜか、むしゃくしゃしてくるらしい。
 ふだんなら授業が終わればまっすぐに帰るはずだが、今日からは放課後にかすみのクラスに行くことになっていた。迎えに行くと、かすみはまだまわりの女子とお喋(しゃべ)りをしている。啓介は女子が集合した際に生じる障壁をできるだけ無視して、かすみの肩を叩いた。
 これからはしばらく一緒に帰ろうということは事前にかすみと合意済みである。会話に割り込んでくる啓介に、その他女子は好奇な目を向けた。彼女らはどこかしら、にやにやしている。
「私はまだ帰らないよ。だって今日手芸部の日だもん」
 かすみは少し驚いたように言った。かすみが手芸部なるものの活動をしていたのを啓介はすっかり忘れていた。少し考えた末、
「じゃあ一緒に手芸部にいこう。俺は今日からしばらく体験入部生、ということで」
 そう宣言すると、活動場所である被服室に先に向かった。かすみは女子たちに慌てて別れを告げて、後からついてくる。女子達はかすみに冷やかしの言葉を投げかけていた。入学当初から付き合っていないということを周りにきちんと説明しているのに、何だかんだでそういうふうに勘ぐっているようだ。さぞかし迷惑なのだろう、かすみの?も少し赤かった。
 被服室に着くと顧問の先生はまだいないようで、部員たちが個々でまったりと何やら制作を行っているようだった。かすみに季節外れの体験入部生だと紹介してもらうと、男子自体が貴重であるようで、それなりに歓迎をされた。そう言われて見てみると、部員は女子ばかりである。かすみは男子を連れてきたことでまた先輩にからかわれている。
 かすみの今の活動は、蓮花(れんげ)の刺繍(ししゅう)だった。布にピンク色の糸で花びらをつけていく。啓介にとっては珍しいものだったので、まじまじと見てしまった。
「あんまりじろじろ見ないでよ。気が散るでしょ」
 かすみは落ち着かない様子だった。数式の展開をしているときに、他人にノートを見られると嫌に緊張してしまうのと同じようなものかと思い、今度は窓の外をぼーっと見ることに終始してみた。すると今度は、それはそれで不満なようで
「ちょっと、せっかく来たんだから少しは興味を持ったら?」
 と頬を膨らませる。
「だって基本的には興味がないから仕方がないだろ」
 啓介がそう言うと、周りがしんとした。そう言えば、体験入部に来て興味がないとはあんまりだ。
「いや、冗談冗談。アメリカンな冗談です」
 苦しい言い訳で、ばか呼ばわりされた。全くもって理不尽である。
 啓介は試行錯誤の末、ちょうど一分ごとに外の景色と、かすみの制作風景を交互に見た。これはなかなか、かすみにとってもちょうどいいようなので、しばらくの間平穏なときが過ぎた。
 ?づえをついて外を眺めると、外には黒い雲が少しずつ増えてきているようだった。空における雲の割合によって、天気の呼び方が、晴れ、曇り、雨と変わる。小学生のときの知識を思い起こしてぼーっとしていると、急にカッターシャツの袖のボタンを引っ張られた。続いてチョキンという音。ボタンの緩やかな拘束から手首が解放されて、袖口はだらしなく垂れ下がった。
「ボタン、つけてあげよっか?」
 かすみは、得意そうに笑っていた。
「自分でちょん切っておいて『つけてあげる』はないだろ」
「じゃあつけてあげない」
 かすみはぷいっとして、また制作に取り組み始める。
 啓介は小学校の家庭科の授業を思い出した。ボタンの付け方は確かに習ったはずだ。しかし、最初に玉結びをして、ボタンをつける位置に針を通すところまでしか思い出せなかった。びろんとなった袖口は何とも心もとない。
「すいません。ボタンつけてください。お願いします」
作品名:すれ違いの糸 作家名:夏日 純希