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夏日 純希
夏日 純希
novelistID. 55916
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すれ違いの糸

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 それを証明するのが自分の人生最大の目標とも言えた。でも、どうすればそれが証明できるのかは、ずっとわからなかった。それにやっと一つの答えが出たのが今年のことだった。糸が人の命を絶てるならば、糸は人よりも強い。ふと考えついたこの言葉は、自分の中にじわじわと染み広がって、いつの間にか真理として定着していた。
 最初の証明は二月だった。包丁で刺せば返り血を浴びるが、糸で絞め殺せば問題はない。凶器の包丁を隠すのは大変だが、糸はどこにでも隠せるし処分も容易だ。糸はその万能さをまた現したのだった。
 次の証明は四月だった。また、思った通りうまくいった。
 次は六月。先ほどの出来事だ。これはいけなかった。糸のせいではなく、完全に自分のミスだ。その原因は五月に模倣犯がいたことだった。模倣犯をマスコミが騒ぎ立てる際に、前の二件よりも芸術的であると報じたのである。犯人は上達しているとも報じられた。嵐の夜の犯行だったらしく、目撃者もいなかった。きっと私のように崇高な目的があるわけではなく、ただ私利私欲のために殺し、その犯行を私という隠れ蓑(みの)に放り込みたかっただけに違いない。
 その事件は私の琴線に触れた。偶然に決まっているが、模倣犯がより芸術的だったなど自分の中で決して許せなかった。だから今回は少し欲を出して、より芸術的に行うことに終始した。結果、目撃者を出すというミスにつながってしまった。
 目撃者は制服姿から自校の女生徒だとすぐにわかった。一部始終も見られたかもしれない。そして、始末しなければ、自分は捕まってしまうという予感があった。これは、自らの敗北ではなく、糸の敗北である。それだけは避けなければならない。その一心で追いかけた。そして手首をつかんだ。が、そこからの動きが素早く、結局逃がしてしまった。
 手には引きちぎったボタンだけが残った。ぼう然として膝に力が入らなかった。だが、糸はこんなときでも私の味方だった。ボタンについていた糸が、手芸部で使っている少し特徴のある糸だったのだ。これが既製品のシャツについているなんてことは考えられない。目撃者は手芸部の部員だ。そしてあの背丈と黒髪は恐らくあの部員だ。
 私は大きめのマスクをしていた。普段はしない眼鏡もしていた。暗闇の中で向こうはこちらには気づかなかった可能性は十分にある。現に私は生徒の顔を見分けられなかったのだから。
 本田かすみ。
 絶対に始末する。目の前に下がっているこの糸を必ずものにしてやる。つかみ取ればまだチャンスがあるはずだ。そう思えた。

 全ての生産的な勉学は夜十一時以降に行われるというのが田辺(たなべ)啓介(けいすけ)の持論である。娯楽も尽きる、世間が静かになる、そろそろ勉強しなければまずいと思い始める、この三拍子がそろってこそ勉学というものは進展を見せるのだ。ゆえに十時というこの中途半端な時間帯は、小説を読みながらその休憩に少し勉強するぐらいがちょうどいい。ただし、両親はそんなことは理解してくれない。だから近づいてくる足音を聞くたびに、小説を閉じて机の隅に置き、勉強しているふりを繰り返していた。
 また誰かが来た。足音が近づいてきたかと思うと、ノックもなしに扉が開く。もちろんこのときには既にペンを持ってノートに視線を向けている。
「かすみちゃんから電話よ」
 母親は電話の子機を持っていた。なぜ携帯電話ではなく、家にかけてきたのだろうと不思議に思う。カバンの中の携帯電話を確認すると、不在着信が五件通知されていた。いつのまにかサイレントモードの設定になっていた。不在着信はまだいい。問題なのは、緊急通知アプリが、かすみからのSOSを表示していたことだった。まずいな、と心の中で連呼しながら受話器に恐る恐る話しかけた。
「『何かあったらいつでも駆けつけてやる』って言ったのは誰だっけ」
「かすみさん、御無事なようで何よりです。お怪我(けが)はございませんか」
「怪我はないけど、危うく殺人事件が一件増えるところだったよ」
 相変わらず恐ろしいことを淡々と口にする幼なじみだった。きっと殺されるよりは、返り討ちにするという意味で、殺人事件が一件増えると言ったに違いない。
「でも、啓介は来なくて正解だったよ。呼んでおいて何だけど、あれはきっと『逃げるが勝ち』のパターンだったと思う」
「じゃあ結果オーライってことで許してくれるかな。最近、機種を変えたもんだから、よくわからないまま音が出なくなっててさ」
「また機種変更したの?! まだ前の携帯一年も使ってなかったよね? そんな無意味な機種変更のせいで気づかなかったって、そんな理屈が通じると思ってる?」
 受話器からかすみの唾まで飛んできそうな勢いだった。言い訳すること三分。謝ること二分三十五秒。自分の非からうまく話をそらすこと一分二十秒を経て、やっと普通に話ができるようになった。
 かすみはどうやら今話題の通り魔に遭遇してしまったようだった。犯行の手口がいつも細い糸のようなものによる絞殺だったので、糸の通り魔とも一部では呼ばれていた。事件は今年の二月から複数回起きているが、警察も手掛かりがなくて苦戦している様子だ。かすみの目撃情報はきっと有力な手掛かりになる……はずだった。
「警察にはもう連絡したの?」
「するわけないでしょ。私、納豆より警察嫌いだもん」
 親に無理やり納豆を食べさせられそうになって大泣きしていた小さい頃のかすみを思い出した。そして、食べ物と警察を同じ軸で評価しているあたり、やはりこの幼なじみはどこかぶっ飛んでいる。
「でも連絡した方がかすみの安全上もいいんじゃないかな」
「連絡しなくても安全に逃げてこられたから大丈夫」
 Vサインでもしていそうな自信満々なコメントを聞いて、警察に連絡してもらうことは諦めた。言い出したら、てこでも動かないやつである。となると、またかすみの身に危険が迫る可能性はある。これから携帯電話には気をつけておいた方がよさそうだ。
「あの通り魔はあそこで何してたんだろうね」
「そりゃ、通り魔だから、通り魔してたんだろう」
 話しながら引っ張り出してきたノートパソコンで最近のニュースやソーシャルメディアの検索を行った。かすみの目撃したものが、同一犯の事件だったかどうかを確かめようと思ったからだ。少し調べただけで一件のソーシャルメディア情報がそれらしい事件に言及しているのを見つけた。どうやらかすみが襲われた近辺で殺人事件が起きていたことは確からしい。
 かすみは襲われたときの状況をしばらくの間、繰り返し説明していた。その後、
「これから、どうしたらいいと思う?」
 と、啓介の出方をうかがうように聞いてきた。
「どうしたらって……犯人を捕まえたいの?」
「そんなことはないんだけど、やっぱりこのまま放置するのもどうかなって思って」
「犯人を許せないとか?」
「違う、と思う。ただ、仲のいい人が同じような目に遭うかもしれないかと思うと」
「例えば、僕が犯人に絞め殺されたとしたら?」
「それは絶対に許さない」
 躊躇(ためら)いがちな口調がここで一転した。
「そう、ありがとう」
 啓介はお礼を言った。だが、もうこの瞬間から頭の中では完全に別のことを考えていた。
作品名:すれ違いの糸 作家名:夏日 純希