D.o.A. ep.58~
かつり、かつり。
来た扉の方から、足音が響いてくる。―――ひとりのものではない。
闖入者の兆しに、咄嗟に二人は彼女を背に庇い、得物に手をかける。
魔術施錠の扉は開けたままなので、屋敷の中にいる人物であれば誰でも入ることができる。
しかし、あんな灯りもない廊下の一番奥まで来ようというのは、それなりの理由があるだろう。
足音の主として最もふさわしい人物は、彼らの中で一致していた。
「…3人ってとこだな。ふんじばって締め上げてやろうぜ」
「ナファディ卿なら、あとは誰かしら」
「きっと手下とかだろう。前に見た時、悪そうな連中とつるんで酒場にいたし」
あの男ならば好都合だ。固唾を飲んで登場を待つ必要はない。
灯りくらい持参しているだろうが、どうせ狭くて暗い所なのだから、こちらから襲いかかったところで大して抵抗できまい。
グラーティスと頷き合って扉へ向かおうとしたが、それに反応したかのように、にわかに早まった足音にぎくりと阻まれた。
暗がりをものともせずに、まるで走ってくるような。
姿を見せた人物は―――全身を白い外套で覆っていた。
「――――」
フードからのぞく顔は人間の肌ではなく、つるりと無機質。唇の部分にひかれた鮮やかな赤がやけに目を引く、白い仮面。
短剣を携え、隙なくこちらを警戒している構えからは、素人ではないことが一目瞭然だ。ナファディ卿の護衛だろうか。
強固な封印を施した扉が開けられているのは、侵入者の存在があることと同義だった。
それはもう最大限に警戒してくるに決まっているし、誰が潜んでいるかもわからない所へ、彼が一番に足を踏み入れるはずがなかった。
「降りてくるのは、ナファディ卿か」
「………」
体格から少女と思しきその人物は、こちらの問いに対して無言で、微動だにしない刃をこちらへ向けている。
ナファディ卿に侍る者と言ったら、酒場で同席していたチンピラのような連中か、屋敷を警備する兵隊を想像していたので、意外ではあった。
二人とも決して後れは取らない自信はあったが、部屋は手狭な上に物が多く、おまけに暗いため、両者に言える事であるが、戦闘に適した空間ではない。
下手に相手どると降りてくる人物の行動に対応できない恐れがある。
二人対一人による沈黙の膠着状態が続く中、近付いてくる足音だけが鼓膜を打つ。
「そこにいるのでしょう、ナファディ卿。わたしはいまからあなたを、糾弾するわ」
その沈黙を破ったのは、レリシャの呼びかけだった。
かつりかつりと、乱れなく近付いてきていた靴音が少し立ち止まる。
「あなたが捕らえた人たちは、何の罪も犯していない。不遇の身にあっても悪に走らず、日々を懸命に生きていた姿を、わたしは知っている。それとも、幸福を求めることが罪だというの?あなたが黒と言えば白も黒にできるものね。―――けれど、本当の罪びとは、あなたよ。ひとの幸福を根こそぎ摘み取る権利は誰にもない。あなたの行いは悪辣極まりないわ。恥を知りなさい。そして法の裁きを受けて、彼らに償って下さい」
それは檻に囚われた、口のきけない人々の代弁のようだった。
ライルは思う。生ける肉塊の集団を、檻の中に作り上げた張本人は、ほんの刹那たりとも、自らの正しさを疑わなかったのだろうか、と。
彼は人々が健常者であった頃を見ていないが、ナファディ卿は当然目にしているはずである。
レリシャいわく懸命に生きる人々が、徐々に衰弱し白痴めいてゆく過程を、薄ら笑いを浮かべて眺めていたのなら。
…彼女の切なる訴えは、痛くも痒くもないだろう。微々たる罪悪感さえ懐かせはしまい。
良心に訴えかけることが徒労―――そのような、嘆かわしい人間も、残念ながら世の中にはいるのだ。
「…姫様をつかまえて、罪びと呼ばわりとは何事です、不敬者」
唐突に返ってきたのは、女の低い、氷のような非難だった。
言葉の意味を考え、理解に至る前に、安物のランプとは明らかに違った光が掲げられ、ライルたちの目を灼く。その一瞬を、仮面の少女は見逃さない。
地を蹴り、一息で彼らに肉薄すると、まずはグラーティスの喉笛を切り裂かんと狙う。
殺気を敏感に察知して彼が長槍で防ごうと構えると、仮面の少女は構えていた短剣を投げつけ、あっという間に別の短剣に持ち替えた。キン、と短剣と槍の柄がぶつかった。
流れるような動作で彼の背後へ回り込む。そのまま頑強な背中に飛びつき、鋭利な刃をすっと首筋に閃かせようとした刹那―――
作品名:D.o.A. ep.58~ 作家名:har