D.o.A. ep.58~
Ep.69 檻
かつり、かつりと、闇の中で三人分の足音だけが、残響を伴って鳴り渡る。
僅かな光もないので、一歩一歩確実に足を着けているつもりでも、足元がひどく不確かで仕方ない。
どれだけの段数を下りたかもよくわからない。ただ階段を下っているだけなのに、やたら不安な気分だ。
手摺があるのが救いだった。これが無ければ、一段にもかなりの神経を費やしたにちがいない。
以前、こうして暗中を歩いた時には、ティルバルトの魔術の光球が周囲を照らしてくれていた。
彼は一晩のうちに姿を消して、一体どこへ行ってしまったのだろう。
宿に残された簡素な書置きに、ひどく惨めになった記憶が甦る。愛想を尽かされたのだろうと思ったし、それだけの事をしたとも思った。
こうして暗闇に支配されていると、余計な事まで考えてしまっていけない。軽く頭を振って雑念を追い払う。
「どんだけ降りさせやがる、クソ家主め。次会ったら殴りてえ、いや殴るぜってーボコる」
頭上では、グラーティスが悪態をついていた。勝手に侵入しているのはこちらなので、ナファディ卿からすればさぞ心外だろう。
足を踏み外さぬよう相当注意深く降りているために、非常に長い道程に感じられている。
レリシャにいたっては一層苦痛だろうに、足音が無ければ背後に彼女がいる事さえ疑うほど静かだった。つい、声をかける。
「レリシャ、だいじょうぶか?」
「ええ。それよりむこうの方、少しだけ明るいわ」
「へえ?オレぁ見えねえが」
「本当よ。僅かだけれど」
異常に夜目が利くのか。彼女にはよく驚かされる。
明るいという事実の意味するところは不明だが、暗闇で延々と階段を降る作業が終わってくれるならなんだってかまわない。
俄然、降る速さに勢いもつくというもので、徐々にライルの目にも、その光明が映り始める。
近付いていくに従い、光は薄く漏れているとわかってきた。魔術施錠が隠したかったものが向こうにあると考えていいだろう。
遂に段差は足元から消えた。壁に手をつき沿うように慎重に進む。
扉の前まで来た時、この扉に何らかの仕掛けがあるかどうかを一瞬だけ警戒したものの、握れば特に問題なく手応えが返ってくる。
押し開く時、ほんの微かに妙なにおいが鼻腔をくすぐった。
本来はさほど明るくもないであろう場所が、暗闇を長い間歩いたライルの目にはまばゆい。
「なんてこと…」
「あ、おい」
真っ先にレリシャが、グラーティスの制止も聞かずにライルの横を走り抜けていく。
大小途切れ途切れの呻き声と、より強い臭気に、惨状を覚悟して、目蓋を擦って視界をはっきりさせる。
けれど飛び込んできた景色は、ライルの想像以上にひどいものだった。
「おいおい…こりゃあ、」
薄く白い霧が充満する、石造りのその部屋で最も存在感があるのは、二つの檻檻だった。
中に入っているのは人間だったが、どんな重罪犯でも、ここまで非人間的な収監はあるまい。人間として扱われていれば。
壁には拷問器具らしきものは吊り下がっているが、彼らに拷問の跡はなく、ただひたすら、人間として扱われていなかった。
檻の中の人々は、侵入者であるこちらに対して、何者かと注視することも、助けてくれと懇願することもなく、まるで無反応である。
ほぼすし詰めに詰め込まれた異様さは、殺処分するためにまとめられた動物を彷彿とさせる。
しかし、豚や牛でさえまだまともな反応をするだろう。
自らの境遇に絶望も悲嘆も狼狽もなく、たまに知性の感じられないうめきを漏らしていること以外は、彼らは動物以下、まさに肉塊の集団だった。
背筋が凍りつくような現実に声すら出ず、入り口で立ち尽くしていたライルだったが、レリシャはすぐさま檻の格子に駆け寄り中にいる人々を確認し、確信をもって告げる。
「あの日に逮捕された顔触れだわ…」
「―――!リノン」
床に雑然と置かれている箱らしきものをいくつか蹴飛ばしたが、彼は気にせずに格子に飛びついた。
ガンガン、と派手な音を立てて拳を叩きつける。
「リノン!リノン!リノン…っ!この中にいるのか?俺の声が聞こえないのか?たのむよ!いたら返事してくれ…!」
これだけ騒ぎ立てても、誰一人こちらに見向きもしない。無視しているのではなく、見えてすらいないかのようだ。
再会した彼女がもし、同様の呼吸する肉塊となり果てていたとしたら。そんな恐怖をかき消すように、ライルは狂ったように咽喉が裂けるような叫びをあげ続ける。
「ライルさん、やめて!」
そのうち、何故か頭の芯が痺れるような感覚に襲われ―――
「ボウズ!ここであんまり息を乱すな!」
「ん、ぅぐう!」
後ろから珍しく切羽詰まった様子のグラーティスに、布で鼻と口をふさがれる。
「こんなんじかに吸ってたら、遠からず廃人になっちまうぜ…目の前の連中みてえにな」
抗議すべく振り仰げば、グラーティスもハンカチで自分のそれらを覆っている。冗談で絡んできたわけではないらしい。
「レリシャちゃんもな。こいつには強ェ毒性と後遺症があんだ、早めに気付けて良かったよ」
「この人たちは毒によって、こうなってしまったということ?」
彼はようやく落ち着いたライルを放すと、太い眉を顰めて周囲の空気を忌々しげに手先で払う。
「この薄い霧―――魔香を四六時中吸い続けて、神経をやられちまったのさ」
自分で鼻と口を覆って、ライルは聞き慣れない単語に首を傾げる。
なにも知らない少年に向けて、彼は憐憫の色を滲ませた眼差しをくれた。
「…気の毒だがボウズ、はっきり言わせてもらうぜ。おめぇさんの探し人がここにいるんなら、もう戻ってこねえ」
「な、なにを…」
「まさかあの成金野郎が、こんなモンに手ェ染めてるとはな」
作品名:D.o.A. ep.58~ 作家名:har