D.o.A. ep.58~
「桃源郷」を訪れた時とは別人のように、店を出たライルの全身には活気に満ちていた。
リノンが、この街にいる。その事実だけで、もはやなにひとつ恐れるものは無く、なにひとつ不可能は無いとさえ思った。
気が逸るあまり早足になる彼に、レリシャは小走りで横に並ぶ。
「あなたが人を捜していたこと、少しも知らなかった」
「俺にも積極的に関わる理由ができた。これで絶対、途中で放り出せなくなったな」
「そんな顔を、出会って初めて見たわ。大切なひとなのね」
「ああ。とても…とても大切なひとだよ」
少し前までなら、照れくさくて口にするのも躊躇われた彼女への思いを、今なら深く、強く、吐露することができた。
ライルには、いくら不愛想でも、ティルバルトが共にいたから、まだいくらか救われていた。
彼女は、気付けば見知らぬ土地へ、誰一人知る者のいない場所へ、たったひとりぼっちで放り出されたのだ。
そんな状況でも弱い者を守るのが、本当に彼女らしい。
囚われ、決して良い扱いを受けているはずもなく、不安はいかばかりか。
一秒でも早く会いたくて、目的地までの距離がひどく遠かった。
裏通りをレリシャに追従し抜け、表通りまで戻ると、クリーム色の軽鎧をつけた兵隊が、せわしなく走り回っていた。
人だかりは、先ほどより多い。
どんどん酒場の方に野次馬が増えているらしく、無暗に近寄ることを制止するのにも忙しいようだった。
ナファディ卿が姿を現している様子はない。
しかし、王女の滞在中に、こんな事件を許してしまったとなれば、ただでさえ治安維持に熱心な男としては相当大きな失態だろう。
隊長らしき兵は、犯人の要求を彼に伝えても無駄だと判断し、知られる前に迅速に処理してしまいたいようだった。
場末の目立たない酒場でならそれも可能だったろうが、ここまで大騒ぎになってしまうと、いずれナファディ卿に指示を仰ぐより他がなくなってくる。
ゆえに、犯人たちは、事件現場を町で一番大きな酒場である、あそこに決めたのかもしれない。
「―――」
タイムリミットは夜明けまで。
それまでに答えを出さねば人質の命がない事は最初から通達してあるし、無論拒否した結果とて同じであろうことは想像に容易い。
実態は犯人と人質がグルであるとはいえ、彼らの覚悟が本物ならば、どちらにせよ事態の深刻さは変わらない。
情報屋のビャクダンは、ナファディ卿という男の、王家への忠誠は海より深いと言った。
ナファディ卿が王家に対して、尋常ならざる敬愛を懐いていればいるほど、事の処理は強引に行えないはずだ。
未来の王の目と鼻の先で選択を誤り、彼女の民をみすみす殺すのか、と、ナファディ卿は激しく葛藤するだろう。
王女の存在が、ナファディ卿から普段の酷薄さと冷静さをにぶらせる可能性は十分ある。
ライルは、犯人たちを考えなしの阿呆なのではとさえ感じていたが、この騒然とした光景をあらためて目にすると、犯人側の勝率もさほど低くないような気もしてきた。
もしナファディ卿が要求拒否を選んでも、犯人も人質も身内だから、無関係の人間を犠牲にすることはない。
一人二人店外に出てきて、衆目の前で不当逮捕の事実を訴えて自害すれば、ナファディ卿に一矢報いることも出来よう。
「―――ぃ!」
(…まあ、そんなことさせないために努力するけど)
そういえば、労働移民団になぜ検挙の手が及んだのか、その真の理由を聞きそびれていた。
けれど、本人に尋ねるのが最も正確だろう。情報屋がいくらその道に長けているとはいえ、所詮他人だ。心の内などわかるはずもないのだから。
などと結論付けたところで、急に後ろから腕をひっつかまれた。
「わ…!」
レリシャにしては熱く硬い手の感触と、強い力にぎょっとして振り向けば、街灯に照らされた思いがけない顔に、瞬きを繰り返す。
「―――おいボウズ!コラ!さっきから呼んでんのに、このオレを綺麗に無視しゃぁがって!」
「は、ハイズさん…っ?」
「血相変えて走ってくから、なんぞおも…、妙な事に首突っ込んでんのかと心配してたんじゃねーか」
「…面白い事って言いかけた」
ジト目で睨み上げると、赤毛の頭を掻いて誤魔化すように空笑いするグラーティス。
そして、ライルの背後に立つレリシャを目ざとく認め、しげしげと覗きこむ。
「…ん?おめぇさん、酒場の踊り子ちゃんじゃねぇの?名前は確か、レリシャちゃん、だったよな?」
「ええ。そうよ」
「んだようボウズ〜、いつの間にこんな超美人と真夜中デートしちゃう仲になってんだよう」
「いえ、わたしとライルさんは、遊んでいるわけではなくて」
「ごめんハイズさん。急いでる。冗談は後にしてくれ。俺、行かなきゃ」
「あぁ?おいおい、楽しい事ならオレも混ぜろや」
グラーティスの手を振り払って、ライルは再び早足で歩みを進めだすが、構わず並行して絡んでくる。
「オレをガン無視ってのは結局デートなの?デートなわけ?ああそうかい、その辺でこの娘としけこむ気かい。ちくしょうめ、抜け駆けしやがって」
「………」
正直に言って、鬱陶しいことこの上ない。眉間がぴくぴくと痙攣する。
しかしはたと気付く。彼なら、有用な助っ人として活躍を期待できるのではなかろうか。
傭兵と呼ばれていたし、こういう荒事に場慣れしていそうな、むしろ歓迎すべき人材だ。
ナファディ邸に突入する際にも、ナファディ卿に色々吐かせる段にも、スマートにやってくれるかも知れない。
「ハイズさん。やっぱり来てくれ。人手が要る。事情は道中話すから」
「人手だぁ?…おめぇさん、マジでなんかやらかす気かよ」
虚を突かれ僅かに戸惑う口調と裏腹に、俄然、彼の口元は期待に吊り上がる。ライルはこくりと応えた。
「…今から、ナファディ卿の家に押し入る」
「そりゃあ、―――最高だ」
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作品名:D.o.A. ep.58~ 作家名:har