D.o.A. ep.58~
存外な力強さで手を引かれながら、ライルとしては腰が引けてしまう、夜の裏通りへと入っていく。
そういえば、レリシャと初めて会話をしたのは、この場所である。
出会った場所の近くに住んでいる、あの晩そう言っていた。
酒におぼれ間違いを犯しかけた挙句、迷子になって泣いていた情けない自分を、彼女はどう感じたのか。
叶うならあの日を違う形でやり直したい、そんな心境に駆られた。
相変わらず娼婦に男娼に破落戸らしき姿、酔っ払いや旅人など道行く人種は混沌としているが、昨日より人通りは少ない。
女連れであると見なされているためか、幸い誰にも絡まれることはなかった。
とはいえ、レリシャは踊り子の衣装のままで出てきているので、傍目からは相当奇異に映っていることだろう。
互いに一言もしゃべらず、夜道を早足で歩く。
淀みない足取りの後ろ姿を眺めつつ、先ほどレリシャが告げた行き先を、頭の中で反芻した。
トーゲンキョー。とーげんきょー。トウゲンキョウ。
(…、どこかで聞いた気がする)
その名称とまつわる記憶が、あと僅かで結びつきそうだ。
しかし、それにともない、ぞわぞわと嫌な予感が背筋を這う。
(ビャクダン…トーゲンキョー)
何度も何度も口の中で呟いてみて、ぞわぞわした感覚が明確に冷たいモノへと変わっていくのがわかる。
やっぱちょっとまってとまって、ずんずんと先を行くレリシャにそう声をかけようとすると、直前に彼女が立ち止まる。
「ついたわ、ここよ」
「…………」
明らかに、周囲とは異質な建築物。
異質というより―――異国風、と言った方が正しいだろう。
店先につるされたランプは紙でできていて、内側でオレンジ色の光が揺れている。―――そして「桃源郷」という文字が。
「ライルさん?どうしたの?…顔色が紙みたいだわ」
そりゃあそうである。
拭いがたい恐怖を植えつけられた場所へ、再び連れて来られたのであるから。
あからさまに様子がおかしいライルを気遣い、レリシャが手のひらを額に伸ばしてくる。
「……っ!」
ひんやりとやわい感触が触れて、遠くなりそうだった意識が現実へと引き戻された。
にわかに顔が熱くなり、手を振り払うと、へいき、と蚊が鳴くような声で返した。
「…本当に?体調が悪いならここには薬もあるから、遠慮せずに言ってね」
体調ではないのである。彼の精神的な問題であった。
今や記憶は完全によみがえっていた。
思い出す事にやたら手間取ったのは、自分の無意識が悪い記憶を掘り起こすまいと懸命に抵抗していたからにちがいない。
その時ちょうど、目の前で引き戸ががらりと開いた。
店内から見知らぬ中年の男と、続いて見送りがわらわらと寄ってくる。
「ありがと〜ございましたぁ〜。また来てくださいねぇ〜」
見覚えのある変わった格好の女たちと、
「またのご来店を心よりお待ち申し上げております」
同系統の服装の、こちらも見覚えのある痩躯の男が丁寧にお辞儀する。
もはやこれで、同じ名前の似た店であるという展開はなくなった。
見知らぬ中年の男は満足げに、ああ是非また来るよ、などと鷹揚に笑って、山高帽をかぶると踵を返して去っていった。
見送りが済むと、彼らはライルとレリシャの二人を認める。
「いらっしゃいませお客様ー♪」
「おや、おふたり様でございますね。ええ大丈夫です、当店は連れ込み宿としてもお使いいただけます」
「ふ、ふざけないで、ビャクダン!みんなも!」
「? 違いましたか?」
「そんなはずないでしょう!そういう冗談はやめて」
いつになく激しい物言いできっぱりと否定し、彼女は痩躯の男を睨む。
この桃源郷の店主らしい男が、かのビャクダンであるようだ。
「照れなくていいのに。しかし、レリシャが…男連れとはね。明日は槍でも降りそうね」
「そ〜よねぇ。お客様に片っ端から途中で帰られて、立つ瀬の無かったあんたがね〜」
「ちょっ…」
「でも、まだわからないわよーう。その時になってまた失敗するかも…」
女たちはなおもレリシャを意地の悪い笑みを浮かべてつつく。
「だ、…だから、わたしとライルさんは、違うと言っているでしょう…っ!」
(…頭痛がしてきた)
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作品名:D.o.A. ep.58~ 作家名:har