D.o.A. ep.58~
「…砂舟が、まだだと?」
あれからしばらく経ち、両手足にそれぞれひとつずつはめられたあたらしい枷は、体温に馴染みつつあるが、相変わらず重々しく鈍い光を放っている。
牢獄から連れ出されたかと思えば、廊下の曲がり角あたりでいきなり鎖を引かれ制止される。
怒声がしていたが、そのせいだろうか。
制裁を承知で壁からそっと顔を出す。
玄関先で、砂避けローブをまとう人物に、ごてごてしい身なりの大男が噛みついている。
「殿下にもお乗りいただくものだぞ!なぜまだ手配できんのだ!」
「はあ…砂舟の動力は気まぐれでということで」
「一刻も早く城へお戻りになられたい殿下のお気持ちが、汲めんと申すか!」
「イエ、そのようなことはございませんが…なにぶん砂漠は広うございますし…」
毛を逆立てる獣のようにがなり立てる様子は、事情がわからずとも八つ当たりと見てとれる。
鎖の握り手が、やりとりを聞きながら苦虫を噛み潰したような渋面をつくる。
やはり、手下も身の置き所がないくらいの無理な要求をしているらしい。
それからも怒鳴り声と萎縮した答弁の応酬は続いたが、やがて飽きたのか「とにかくさっさと来させろ」と切り上げられた。
殿下という人物について語るときだけ、男は敬意と心遣いをありありと発している。
その当人がこの場にいない以上、その態度は決して芝居などではないだろう。
殿下。
この国の次期女王、シューレット=カイル=ラスキー=アルルーナ王女殿下―――。
地下の牢獄に繋がれている者たちは、出会った頃からまだ話が通じた頃まで、その名をよく口にしていた。
―――あの優しい方なら、われわれの言葉に耳を傾けてくれるにちがいない。
―――これで、ようやくわたしたちは、この境遇から抜け出せる。…あなたも、つらかっただろう?
縋るような目でそう言っていた人々は、常に獄中を満たしている薄い霧によるものか、徐々に思考を奪われていった。
今や彼らは、ものを食べること以外は、操り人形と変わらない。
彼らの先行きを思えば憐憫がわくものの、自分の立場もそんなに差はないのだから、と内心苦笑する。
こうして地上へ引き出されたのは、決して特別措置で解放してもらえるためではない。
ただ、彼らとは売り飛ばす先が異なるだけなのだ。
最後にあの子の顔を目にしてから、どれほど経っただろう。
今頃なにをしているのだろうか。
必死になって捜してくれていたら、申し訳ないけれど、少しうれしい。
二度と会えないだろうと諦めていたら―――さみしいな。
思い返せば、離れ離れになってから、あの子の夢ばかり見ている気がする。
何もできなかったことが口惜しくて、どうすれば彼が幸せに生きていけるのか考えて。結局自分には何ができただろう。
そんなとりとめもないことを思う。
この町から離れれば、もはや彼と再びまみえる可能性は失われる。
「旦那様。言いつけどおり、連れてまいりました」
激昂の余韻でかすかに紅潮した頬が、こちらを認めてゆがむ。
欲で塗りたくられた顔は人間ではないもののようにみにくく、リノンの背に戦慄を走らせた。
作品名:D.o.A. ep.58~ 作家名:har