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D.o.A. ep.58~

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透き通った、こちらを案ずる呼びかけがあった。
涙でゆがんだ目で声の主を振り仰ぐ。
それはあまりにも印象深い、あのステージの踊り子とよく似た姿だった。
否、彼女のような容貌をもつ者はこの世に二人といないだろうから、本人に間違いない。
舞台での煌びやかな衣装とは違い、飾り気のない服装をしていたが、それもとてもよく似合っていた。

「だ、だいじょうぶで、す」
「よかった。てっきり気分がよくないのかと思って」
ホッとした安堵の表情に、ささくれだっていた心中が安らいでいくのがわかる。
同時に、さっきまでの自分が恥ずかしくなってきて、頬が熱くなる。
今も恥ずかしい状況であるのに変わりないが。いっそ、彼女に尋ねてしまうか。
逡巡しているうち、雲に隠れていた月が姿を現し、二人を照らしだした。

「あなたの顔、憶えがあります」
「え」
「思い出した。あなたを、あの酒場で見たのね」
「憶えてた、のか」
「ええ。止めに入るひとは珍しいもの。それにあなた、酒場に来るような人には見えなかったから、なおさら」
くすくすと笑う彼女の金糸が、月明かりの中でより美しい。
子供っぽいという意味だろうか、と若干引っかかりつつも、彼女の記憶に残っていたことが、喩えようもなく擽ったい気持ちだった。
しかし、止めに入る人は珍しい、ということは、彼女はよくあのように絡まれているのか。
「……店の中めちゃくちゃになったよな。悪かった」
「いいえ。それはマスターさんに言ってあげて下さい。わたしとしてはむしろ、お礼を言いたいくらいなのだから」
「うん。わかった。今度会ったら…謝っとく」
乱闘の原因の迷惑な客としての悪い印象は持たれていないようでホッと胸を撫で下ろす。
どうして彼女からの評価に、こんなに一喜一憂してしまうのだろう。
自分で自分がわからず、誤魔化すように話題を切り替える。

「あのさ…ステージ、見てた!本当にすごく、よかった…びっくりするくらい」
「そう言ってもらえると、とても嬉しい。わたしには、あれしかないから」
「あれしか…って?」
「そんなことより、あなたはどうしてこんな場所にいたの?」
「俺はその……み、道に迷って。そっちこそこんなトコに一人で…危ないだろ」
「わたしはこの辺りに住まわせてもらっているのよ。そう、あなたは迷子なのね。帰る所は、わかる?」
今夜はいろいろなことが起こりすぎて、宿の名前などどこかへ飛んでしまっていた。
それでも、時間をかけてなんとか記憶の底の方から名前をさぐりあてる。
「こうさてい、紅沙亭、だ」
「それなら知っているわ。ついてきて、送ってあげる」

ライルの返事を待たず、彼女は方向転換した。
迷子を親切なお姉さんが家まで送り届けてくれる、この状況は限りなくそれに近い。
成人していないとはいえ、大の男が迷子とは――――実に情けない。
肩を落として続くと、彼女は振り向いて優しく微笑んでいて、どきりとする。

「落ちこむことはないわ。誰だって道に迷うことはあるものよ。困った時には誰かに助けてもらえばいい。人間は助け合うものでしょう?」
「そう、だな。…そのとおりだ」

それから、言葉少なながらも話をしながら、紅沙亭への距離を着実に縮めていった。
彼女は不思議な女性だった。
外見もとびきりの美人だが、なにより話してみて、常人ならざる何かを感じる。
全く淀みがなく、曖昧さのない明快な言葉の数々が、そう思わせるのか。
はっきりした滑舌のよい口調は、ずっと聞いていたいほどの透徹さだ。
目的地に着かなければいいのに、と乙女のような思考回路に内心で苦笑する。
しかし当然、歩いた分だけ宿屋に近付いてゆき、裏町を抜け、ほどなくして覚えのある建物が見えてきた。

「……あそこだ。あれが、泊まってた宿だ」

その声には我ながら残念そうな響きがあからさまで、悟られただろうかと気恥ずかしくなる。
レリシャは街灯のもとでたたずんでいて、そうしていて初めて、彼女の瞳の色を知った。
鮮やかな赤と金色。
――――世にも珍しい、オッドアイ。
息を呑むほど美しいその色彩が、彼女のかんばせに、より神秘的な魅力を与えている。

「……ありがとう。おかげで今夜はちゃんとベッドで寝られるよ」
「どういたしまして。ぐっすり眠ってね。よい夢を」

言って、彼女は踵を返した。
それが、急に名残惜しくなって、衝動的に、

「…あ、あの。まって…!」

そう呼び止めてしまい、きょとんとした表情に気まずくなった。用などないのである。引き止めるべき理由はないのだ。
言葉につまるライルの沈黙を、彼女は辛抱強く待っている。
苦し紛れに吐き出したのは、本来もう少し早くに済ませておくべきものだった。
「俺、俺の名前は……ライ…、ライル=レオグリット、っていうんだ」

「そう。ライルさんというのね。いい名前ね」

彼女が紡ぐ自分の名が、ひどく特別なものに感じられた。
そのむず痒さに、頬を緩めればいいのか引き締めるべきかうろたえてしまう。
彼女はそんなライルを知ってか知らずか、光の下で軽やかにステップし、くるりと一回転して見せた。
眩いほどの金糸も共に踊り、彼はぼんやりと見蕩れた。

「明日も、あのステージで踊らせてもらえるの。よければ、また見に来てほしい」

そして、最後にこう付け加えると、闇夜にまぎれるように立ち去っていく。

「――――わたしは、レリシャよ」


作品名:D.o.A. ep.58~ 作家名:har