D.o.A. ep.58~
彼に連れられ訪れたのは、町で一番大きい酒場だった。
白塗りではあるが石造りではなく木造で、中に入ると木目にあたたかみがあってなかなか感じのいい店だ。
正面に大きめのステージがあって、準備中のようだった。
まだまだ夜になったばかりだが、大勢の客で賑わい、酒や料理を手に給仕が忙しなく働いている。
「…なんか、すごいな」
「記念すべき酒場デビューかい?」
突っ立っていると、グラーティスが苦笑しつつライルを奥へうながす。
ウェリアンス夫妻の教育方針により、ほぼ清く正しく生きてきたので、酒場などには縁がなかった。
酒のにおいだけで酔いそうで、ライルは両頬をぱちんとたたいて気合を入れ直す。
まずは聞き込みだ。
したたかに酔っ払っている連中は避け、できるだけ素面の客をさがして声をかけた。
彼女の容姿の説明に四苦八苦しつつ、しかし返ってくる答えはどれも芳しくない。
人によってはあからさまに厭そうな顔をされ、こちらが途惑ってしまう。
だめか、と途方に暮れかけ、グラーティスを目で追うと、彼はカウンター席で楽しげにやっていた。
こっちが苦労している間に、と腹は立つが、彼はリノンを知らないので仕方がない。
じっと睨んでいると、おいでおいで、と手招きされた。
「ココ来てコレやらねえのは、マナー違反ってモンだぜ。ホレ、なんか頼め」
「いや、飲んだことないから…どれがいいのか、わかんないんだけど」
「シャンディガフなんかどうです?」
「お、いいね。じゃ、それ頼むわ」
目の前で勝手に話が進み、カウンターの上に出てきたのは綺麗な黄色の飲み物だった。
酒を嗜んだことはなかったが、酒に呑まれて醜態をさらした先輩なら知っている。
自分があれになるかもしれないという怯えが、ライルを及び腰にさせる。
しかしながらせっかく奢ってもらって無碍にするのも悪い。グラスをつかんで口をつけた。
「……」
劇的に旨いわけではなかったが、普通に美味しかった。ので、すぐにカラにしてしまえた。
「イケる口じゃねえのボウズ。おかわりいるかい?」
肯くと、彼は嬉しそうに笑みを深め、店主に注文する。
店主が再びなみなみと注いでくれた。それをカラにすると、今度はちがうものを勧められる。
酒に対する苦手意識が薄まり、気が大きくなってきて、それください、と自ら頼みだした。
「悪くねえモンだろう」
「うん。悪くないな」
ビール。ウィスキー。ワイン。サケ。地酒。勧められるままに杯を重ねる。
そしてどんどん度数が高くなっていったのだった。
「―――今宵を彩るのは、舞姫レリシャちゃん!美しき彼女の舞いを、心ゆくまでご堪能ください!」
ステージの準備が終わったらしい。催しの紹介がされている。
「こういう舞台のオネーチャンの謳い文句は、大体誇張だよなぁ」
「いいえお客さん、今夜のは、とびきりの上玉ですよ」
「ホンモノの美人が、こんなバーで働くかよぉ。せいぜい中の上くらいが関の山じゃねえの?」
まだ現れてもいない舞い手を適当に想像して、グラーティスは口のまわりのビールの泡を舐めている。
他の客も、まあ始めたら見てやるか、といった感じで、ステージに大して注意を払っていない。
だが、彼女が舞台に立つと、その空気は一変した。
「……こりゃ、ホンモノだったわ」
金糸がさらりと揺れる。
踊り子の衣装に包まれたほっそりとした肢体は、しかし豊かで、かつ優美だ。
小さな輪郭におさまるパーツは、最高のものが最適な位置に並ぶ。
極上の美人とは、えてして人形めいて、冷たいものを感じさせがちだ。
だというのに、彼女の面差しは陽だまりのようにあたたかで、ひたすらに優しげだった。
遠くから眺めるより傍へいって接してみたい、そんな気にさせる。
ステージに立っただけなのに、彼女は老若男女問わず、一瞬でこの場を魅了していた。
ご多分にもれず、ライルもその一人だった。
けれど彼は、美人だとか、綺麗だという理由で見惚れているのではなかった。
ただ、まばたきが惜しいほどに、目が離せない。
鼓動が速まり、胸のあたりがやけに熱くなり、その熱は顔へと伝播した。
―――こんな感覚を、知らない。
彼女は舞いはじめる。
音楽はない。
そんなものがあったとしても、彼女を前にすれば、雑音同然でしかなかっただろう。
清らかな鈴の音が聞こえてくるような、不思議で繊細な踊り。
囃し立てたり、口笛を吹いたりする者はいなかった。
ひどく冒しがたく、まるで神に捧げるかのような神聖さに、酒場はしんと静まり返っている。
そして、彼女が舞い終われば、万雷の拍手で埋め尽くされるはずだった。
―――しかし、その静謐は、ガラスが砕ける音で、唐突に破られた。
作品名:D.o.A. ep.58~ 作家名:har