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無窮花(ムグンファ)~二度目の恋~【続・相思花】

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 そのときのソナの衝撃は生半ではなかった。ついにバレたかという想いで眼の前が暗くなった。
「湯浴みをさせて連れてこいって言われたんでね」
 連れていかれた先は湯殿だった。湯をたっぷりと張った浴槽で湯浴みをした後は、身体の線が透けてしまうような薄い夜着を着せられた。
「良いかい、生きてここを出たかったら、できるだけ使道さまには逆らわないことだ。まあ、あの鬼畜のような旦那に見込まれたときから、あんたの生命も既に尽きたようなもんだろうけどね」
 女中頭は使道の私室まで案内すると、同情とも蔑みとも取れる表情でソナを見てから引き返していった。
 その瞬間、ソナは逆に自分の命運はまだ尽きていないと悟った。使道はソナがスウォルだと気付いたから寝所に呼んだのではない。伽の相手をさせるために呼んだのだ。
 ならば、まだ望みはある。
 ソナは静かに扉を開き、室に入った。その場に座り、手をつかえる。
「参ったか、待ちかねたぞ」
 使道はまた飲んでいたようである。傍らには酒肴の載った小卓があった。普段は人前であまり飲まない男だと聞いていたが、やはり、偽金が暗行御使に見つかったときのことを考え、不安でならないのだろう。
 万が一、御使に罪状を突きつけられれば、都に凱旋どころではなく、使道の生命は終わりだ。鬱々とした心を酒で紛らわしたいに相違なかった。
「こちらへ」
 手招きされ、ソナは胸に手のひらを添えたまま静々と近寄った。一礼して少し距離を置いた場所に片膝を立てて座った。
「あの場所では無粋な邪魔者がいたが、ここは二人だけの閨の中、誰にも遠慮は入らぬ。ささ、もそっと、こちらへ参れ」
 促されて、ソナは更に膝を膝行り進めた。いかにも恥ずかしげにうつむき、顔を背ける。
「そなたのような極上の美女は都にもそうそうは見かけぬ。その麗しい花のかんばせを見せてくれ」
 さあ、と、促され、ソナはひと想いに使道を見つめた。底光りのする両の眼(まなこ)が冷えたまなざしでソナを射貫いている。我知らず身体が震えそうになるのを叱咤し、平静を装った。
 使道が首を傾げた。
「やはり、そなたに似た誰かにどこかで逢っているような気がするのだ。何故であろうな」
 ソナは窺うように使道の眼を見た。どうやら、その表情は本当にまだ思い出せてはいないようである。
 ソナは意を決した。気は進まないけれど、ここは色香を使って誘惑し男の気を逸らすしか、すべはなさそうだ。
「お酌をしてもよろしうございますか?」
 ソナはおずおずと言い、使道を見上げた。淫らな笑みがその好色そうな口許に浮かぶ。
「おお、なかなか気が利くではないか」
 盃を差し出すのに、ソナは酒器を捧げ持ち空の盃を満たした。数杯を立て続けに煽り、使道は上機嫌だ。
「そなたはここに来るまでは、いずこの屋敷で働いておったのだ」
 この問いには焦った。必要な情報を引き出した後はすぐに消える手筈だったため、そこまで詳細なことは決めていない。慌てて思考を巡らせた。
「隣町のキムさま(ヨンガン)のお屋敷で働いておりました」
 隣町にキム氏という両班がいるかどうかは知らないけれど、どこにでもある姓だから、可能性はある。第一、朝までにはソナは何とかしてここから逃げ出さなければならない。
 ソナがここから逃走してしまえば、明日の朝、使道の手の者が隣町の両班キム某を探しても無駄なことだ。
「ホウ、隣町のキム氏といえば、元礼?参判(イエジヨチヤンパン)を務められたこともあるキム令監(ヨンガン)だな」
 よく判らないが、そういうことにしておこう。ソナは素直に頷いた。
「はい、さようにございます」
「令監はお元気でいらせられるか?」
 これも応えようがないが、応えないわけにはゆかない。ソナは冷や汗が流れるのを自覚しつつ、ようよう頷いた。
「はい」
 このような場合、余計なことは言わないのが賢明だ。ソナは小さく頷き、次の問いを待った。
「歳はいかほどになる?」
 これはキム大監ではなく、ソナ自身について問われているのだろうと判る。
「二十歳になります」
「ホホウ、うちの嫁き遅れの娘と同じ歳ではないか。亭主はどうしている?」
 そこで、ソナはうつむき、咄嗟に思い浮かんだ応えを口にした。
「十六で同じ村の幼なじみに嫁ぎましたが、良人は二年ほどで亡くなりました。流行病(はやりやまい)を得てやむなく―」
 使道が頷いた。
「それは哀れなことだ。子は?」
「おりません」
 使道が手を伸ばしてソナを引き寄せた。
「そなたの亭主はみすみす宝を手放したな。このような色香溢れる女房を残して逝くとは、さぞ心残りだったことであろうよ。まさに、触れなば落ちん風情、花ならば花盗人に手折られるのを待ち受けている魔性の花ではないか。この若さで男を知ったのだ、二年も独り身でよくぞ身体が疼かなんだものよ、それとも、一度可愛がられる歓びを知ってしまったからには、夜な夜な道行く男を寝床に引き込んでいたものか」
 うつむいたソナから使道の表情は見えないが、今や彼はソナを男に飢えた美しき未亡人と勝手に信じ込んでいるようであった。顎に手を掛けられ顔を仰のけられる。
 間近で見る使道の顔は、確かに四十過ぎにしては若く意外に整っていた。使道の手は依然としてソナの背に回ったままだ。その体勢で、もう一方の手がソナの夜着の前紐を解いた。シュルリと紐の解ける音が静まった寝所の中で大きく響いた。
 その顔が迫ってくる。今、ここで使道を突き飛ばして逃げるべきか、ソナは迷った。しかし、たとえ逃げ出したとしても、すぐに追われ捕まってしまうだろう。ここはもう少し様子を見た方が良い。使道をしこたま酔わせて眠らせてしまえば、こちらのものだ。
 唇が塞がれた。下唇をつつかれた。口を開けと催促されているのは判ったけれど、到底、そんな気にはなれない。あまりに頑ななのも疑われてはと少しだけ開いたその隙間から、すかさず舌が入り込んできた。
―嫌っ。
 刹那、吐き気がしそうになり、ソナは弾かれたように使道から離れていた。
「貴様ッ」
 使道の唇から血が細く滴っている。あまりの気持ち悪さに、ソナが咬んだのだ。
「奴婢の分際で、両班に傷を付けるとは」
 使道が寝所の片隅に立てかけてあった長刀を握った。刃を抜き、うずくまったソナに向かって振り上げる。使道の双眸がくちなわのように冷たく光った。
 そのときだった。遠くから人声や物音が聞こえ、それは俄に物々しさを増した。
「暗行御使出御(アメンオサのおなり)〜、暗行御使出御」
 人声は次第に近づくにつれて、はっきりと聞こえてくる。その科白にソナはハッとし、使道は血の気を失った。
 突如として寝所の扉が外側から勢いよく開けられ、わらわらと数人の男たちが流れ込んでくる。皆、一様に笠を被り、白一色のパジを着ている。
「暗行御使出御」
 その声が男たちから発せられているのであり、その一列に並ぶ男たちが真ん中で割れ、背後からゆっくりと一人の人物が進み出てきた。その人が暗行御使であることはソナにも判った。
「使道、最早、そなたの命運もここで尽きたようだ。既に使道の罪業は明白。潔く縛につかれよ。その方が身のためだ」