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無窮花(ムグンファ)~二度目の恋~【続・相思花】

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 ソナとトクチョルは視線を合わせる。
「丁度、偽金が出回り始めた時期と重なっているのですね」
 トクチョルが息を吐く。
「そこが妙に思えてならない。しかも、その崔氏の旦那さま(ナーリ)が木槿村の工房に足繁く出入りしているという専らの噂だよ」
 ソナの声がかすかに震えた。
「では、もしや」
 トクチョルが?シッ?と人差し指を唇に当てた。
「あくまでも推測の域を出ない話だ。迂闊に口にしない方が君のためだよ、ソナ」
 そう言いながらも、トクチョルは首を振った。
「もっと厄介なのは使道(サド)と崔氏の旦那さまが昵懇だという話だ」
 その時、ソナにもトクチョルの懸念がやっと判った。
「つまりは使道さまと崔氏の旦那さまが?」
 皆まで言わずとも、トクチョルもソナの意図を察したらしい。
「恐らく君の考えていることと俺の読みは同じだ。でも、それを証すだけの証拠がない。まさかいきなりジャコビの工房に踏み込むわけにはいかないし、相手が崔氏だけならともかく、使道ともなるとね。下手をすれば、言いがかりをつけたと不敬罪でこちらの首が飛ぶわけだし」
 ソナも小さく頷いた。
「おっしゃるとおりです。役人を相手には私たち庶民はあまりにも無力ですから」
 トクチョルが屈託ない笑みを浮かべた。
「済まない、つまらない話をしてしまった。今の話は忘れてくれ、それが君のためでもある」
「はい」
 ソナも笑顔になった。トクチョルが銭束をソナに渡してくれる。ソナはそれを押し頂き、いつものように絹店を後にした。

 昼からは、いつものように村に戻って酒場に行った。村にただ一つの酒場は宿屋も兼ねている。特に夏の時期は都から木槿の観賞に訪れる旅行者がたまにいるから、そういうときは少し離れた町の上等な宿屋ではなく、多少粗末でも、近いここに宿を取る者もいた。
「ソナ、汁飯(クッパ)を一つ、頼むよ」
「こっちには酒の追加だ」
 客席のあちこちから声がかかる。酒場といっても、ただっ広い場所に低い大きな台を一つ置き、客は三々五々、そこに座る。ソナは小卓に乗った酒肴をその客たちに運んだり下げたりするのが役目だ。
 その合間には簡単な料理を作ったり、洗い物をしたりとこれが結構忙しい。
 昼間でもむろん酒は出すが、妓生(キーセン)ではないので、酌も客の相手もしない。
「そろそろ木槿の季節だし、都からの旅行者が増えるかな」
「俺はどうも他所(よそ)者は苦手でねぇ」
「だが、旅の者が少しは村に金を落としていってくれる。お陰で村も潤うわけだし、ありがたいと思わねえとな」
 つまりは観光客が村に滞在することにより、金を使う。それが回りに回って村人の収入になり村が潤う、そういうことなのである。
「う、まあ、それはそうだがな」
 そんな村の男たちの他愛ない会話をやり過ごしつつ、ソナは客の引けた席を片付ける。空の器ばかりの小卓を持ち上げ厨房へと戻っていると、いきなり前方に立ち塞がった大きな影があった。
「おい、姉ちゃん」
 内心、嫌な男に出くわしたと歯がみする。しかし、相手は嫌いな男でも、客は客だ。ソナは曖昧な笑みを浮かべた。
「今日こそは少し酒の相手をしてくれよ」
 大柄な男は髭も伸ばし放題、辛うじて髷は結っているが、頭に巻いた布も身に付けたパジも元の色が判らないほどに薄汚れて、おまけに異臭を放っている。同じ村に住む農夫の承尚(スンサン)であった。
「何度言っても、お断りします。私は妓生ではないの、酒の相手が欲しいのなら、町の妓房(キバン)に行ってちょうだい」
 スンサンは悪い男ではない。むしろ普段は無口で木訥な働き者だ。が、ひとたび酒が入ると、人格が変わってしまう。日頃の鬱憤を晴らすかのように饒舌になり、やたらと人に絡む。酔っているときのスンサンに拘わりたがる人間はおよそ、この世にはおるまい。
 今、二十代後半くらいだろうが、三年前に女房に夜逃げされてからは余計に酒癖の悪さに拍車がかかった。女房も亭主の酒癖の悪さに愛想を尽かし、隣家の若い男と逃げたのだ。夫婦の間に子どもはいなかった。
「ソナ、つれないことを言うなよ」
 スンサンの野太い手が伸び、ソナの細い手首をむんずと掴む。
「放して、放しなさい」
 ソナは懸命に振りほどこうとするも、農夫の途方もない力とソナのか弱い力では所詮比べものにもならない。
 周囲の男たちの表情には
―やれやれ、また始まったな。
 と、困惑が浮かんでいるものの、誰も助けてくれようとはしない。村でも一番の強力といわれるスンサンにまともに刃向かって、勝てる見込みはないし無傷で済むはずがないからだ。
 酒場の女将もまた見て見ぬふりを決め込んでいる。ヨナという女将は四十そこそこで、昔、町の小さな妓房でそれなりに売れっ妓だった妓生だという。引退して客を取らなくなってから村に引っ込んで、この酒場を始めてそろそろ十数年になる。
 ヨナも悪い女ではないのだが、何より金が一番、実を言えばソナにも客を取らせたくて堪らないのだ。ソナに邪な想いを抱く客たちにソナが身を任せれば、良い金稼ぎになることは判りきっていた。
 美人で働き者のソナは気立ても良い。しかも清楚でありながら、どこか男の心を絡め取るような妖しい色香が溢れている。村の若い男たちだけでなく、妻子持ちの男たちからも熱い視線を向けられていた。ゆえに、ソナの働く酒場に亭主が通うことを露骨に嫌がる女房もいるという有様である。
 もちろん、ソナ自身に責任はない。客に色目を使うどころか、酒の相手すらしないのだから。ただ、かつてこの国の王での心でさえ虜にした美貌は三年を経た今では、更に磨きがかかっていた。
 どこかあどけなさを漂わせていた可憐な美少女は大輪の花がひらくように臈長けた大人の女の美貌になった。そんなソナに村の男たちがつい食指を動かし言い寄ってくることがあるのだ。いつだったか、亭主がソナに夢中になり酒場に通い詰めて米代を使い込んだと、職人の女房が怒鳴り込んできたことがあった。
―この泥棒猫っ、ひとの亭主を横取りしやがって。
 背中に末の赤児を括り付け、両手に四歳と三歳の幼子の手を引いた女房がいきなり酒場に現れ、ソナを怒鳴りつけた。
 このときは女将がとりなしたのだが、
―あんた、そんなに亭主が大事なら飼い猫みたいに首に縄を付けときなよ。うちのソナは別にあんたの亭主に色目なんぞ使っちゃいないよ。まあ、あんなたいしたこともない男、ソナが相手するだけの価値もありゃしないけどね。
 と、この科白が余計に女房の怒りを煽り、何の罪もないソナは女に頬を叩かれるという騒ぎにまでなった。背中の赤児が盛大に泣き出し、二人の子どもまでもが加わり大泣きし、その場はちょっとした修羅場になった。
 結局、女房は泡を食った亭主に連れられて帰っていき、男は以後は二度と酒場には来なくなった。この事件は平和で小さな村ではちょっとした事件としてしばらく噂になったものだから、よほど懲りたのだろう。
 そんな具合で、あわよくばソナと一夜を共にしたいと願う男は実は、村だけでなく町にもごまんといる。町には名の知れた妓楼も妓生もいるのに、わざわざ輿に乗って酒場に通う酔狂な金持ちもいれば、ソナに囲い者になれと迫る両班の若さまもいた。